戦国の七雄とは?場所や国ごとの特徴、覚え方まで分かりやすく解説

「戦国の七雄って何だろう?」
「戦国の七雄の国々についてもっと知りたい」
「戦国の七雄をどうやって覚えたらいい?」

この記事をご覧のあなたはそのような疑問を持っているのではないでしょうか?戦国の七雄とは、中国の戦国時代に互いに争った有力な7つの国のことです。それぞれの国の指導者は王を名乗り、力を競い合いました。

かつて、中国は周(西周)によって統一されていました。周が紀元前770年に西方の異民族によって都を奪われてから、周の力は大きく低下します。かわって、各地を治める諸侯が力を持ちました。こうした諸侯の中で強大化した7つの国が戦国の七雄だといってよいでしょう。

今回は、戦国の七雄とは何か、戦国の七雄の成り立ち、戦国の七雄のそれぞれの特徴、この時代の外交政策、戦国の七雄の覚え方などについてわかりやすく解説します。

この記事を書いた人

一橋大卒 歴史学専攻

京藤 一葉

Rekisiru編集部、京藤 一葉(きょうとういちよう)。一橋大学にて大学院含め6年間歴史学を研究。専攻は世界史の近代〜現代。卒業後は出版業界に就職。世界史・日本史含め多岐に渡る編集業務に従事。その後、結婚を境に地方移住し、現在はWebメディアで編集者に従事。

戦国の七雄とは

戦国の七雄の地図

戦国の七雄とは中国の戦国時代に有力だった7つの国の総称です。かつて、地方を支配する諸侯は中国全土を治める周王室に遠慮し、公などと称していました。しかし、周の力が衰えた戦国時代になると、七雄の指導者は王を名乗ります。

7つの国は「燕・斉・楚・韓・魏・趙・秦」の7カ国です。この7国は周辺の弱小国を併合します。その結果、戦国時代には春秋時代の小規模国家はほとんど姿を消し、戦国の七雄と衛や魯などの中規模国だけが残りました。

戦国の七雄は富国強兵を図りましたが、西方の秦の力が頭一つ抜け出す状態となりました。そして、最終的に秦が他の六国を併合して中国を統一します。

この戦国の七雄の時代を舞台にしたマンガが大ヒットした『キングダム』です。このマンガは、秦王政や政とそっくりの少年、秦の将軍李信らを主人公に、秦が戦国の七雄の国々と戦い天下統一するまでを描いた作品です。

もちろん、『キングダム』のすべてが事実ではありませんが、史実をもとのしたマンガで戦国の七雄の世界を十分に堪能できると思います。ぜひ、読んでみてください。

戦国の七雄の誕生

周の衰退と覇者の登場

紀元前770年、中国の西方に住んでいた異民族が周の都の鎬京を攻め落としました。周王は東の洛邑に逃れます。この敗北により、周の権威はがた落ちしました。

春秋の五覇の一人、斉の桓公と宰相の管仲

権威が低下した周王室に代わって中国全土に影響力を及ぼしたのが「春秋の五覇」です。斉の桓公や晋の文公などはその代表です。彼らは周の王室を尊重し、諸侯をあつめ盟約を結ぶ会盟を行い、結束を固めました。

下剋上の動き

諸侯が覇者のもとで結束し、周王室を立てる尊王攘夷の考えが強かった春秋時代に対し、戦国時代は実力で上位の者を打倒し、自ら成り上がる下剋上の風潮が見られた時代でした。下剋上の代表である晋の分割と斉のクーデタをみてみましょう。

大国「晋」の分割

春秋時代の晋は、中国の中央部である中原を支配する大国でした。文公の時代、晋は諸侯を束ねる覇者として強い力を誇ります。しかし、文公の死後、晋の君主は暗愚・酷薄なものが多く、人々の信頼を失いました。

暗愚な主君に代わり晋の実権握ったのは6人の有力豪族でした。その6豪族とは知・范・中行・韓・魏・趙の6氏のことです。このうち、知氏が勢力を急拡大させ、范氏と中行氏を滅ぼしました。これに脅威を感じた韓氏・魏氏・趙氏は紀元前453年に連合して知氏を滅ぼしました。

韓・魏・趙の「三晋」の領土
出典:Wikipedia

その結果、晋は韓氏・魏氏・趙氏によって分割統治されるようになります。そして、周王は紀元前403年にこれら3氏を諸侯に認定します。一般には、3氏が知氏を滅ぼした紀元前453年をもって戦国時代の始まりと考えます。

斉でおきたクーデタ

周王によって斉の地を与えられた軍師太公望

周王の謀臣として活躍した太公望の子孫は領土として斉の地を与えられました。春秋時代にはリーダーとなることが多く、斉の桓公は春秋の五覇の一人に数えられます。その桓公の死後、斉の政治は乱れてしまいました。

紀元前404年に即位した斉の康公は酒色にふけり政治を顧みませんでした。康公にかわって斉の政治を執り行ったのは宰相の田和です。紀元前391年、田和は康公を海上の孤島に追放し、斉の君主の座を奪い取りました。こうして太公望の子孫は斉を失い、かわりに田氏が斉の主となります。以後の斉を田斉とよびます。

戦国の七雄の成立

紀元前403年、かつての晋の領土を支配していた韓氏・魏氏・趙氏が周王によって諸侯と認められました。紀元前391年に田和が康公を追放し斉の君主となります。これに、以前から諸侯として各地を支配していた燕・楚・秦の7カ国が中国大陸の有力国となります。

こうして、いわゆる戦国の七雄が成立しました。これらの国は富国強兵を行い、周辺諸国を併合します。そして、中国全土から人材を募り自国の発展をはかりました。戦国の七雄の各国は独自の経済政策や軍事活動を行い他の国に負けないよう発展します。

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