息子は、幼い頃から、公文に通っていました。



 最初は、遊びの延長のような感じで、やっていることを勉強とは思っていなかったでしょうね。



 私も、何か、勉強する姿勢というものが子供の身につけばと思って通わせていました。




 私は、公文に行けば、計算力が着くということを先輩の子供の成功から確信していましたので、同じような問題を延々と解かされて、子供が飽きていても、辞めさせるということはしませんでした。
 


 

 課題を家でやることは殆どありませんでしたが、どうにか止めることなく、中学校まで続けました。



 息子が、公文について面白いことを言っていたので、紹介します。



 息子が言うには



 『公文は、上に積み重なっている全ての知識や能力の重心をとらえて、一番下でそれを支えている礎みたいなもの。』



という感じらしいです。



 つまり、決して大きなものではないが



『上に広がっている多くの知識や能力の重心をとらえて、しっかりとその全てを支えている一番大事なもの』


と言ってました。



 その基礎となるしっかりとした土台の上に色んな知識が乗っていて、それが無くなると、全てが倒れてしまう。



 そんな例えをしていました。



 公文を続けていたからこそ、特に役に立ったこと、それは



『問題に対する早い処理能力がついたこと』



です。



 息子と同じように医学部医学科を受けた人の中で、息子よりも確実に能力がありながら、問題に対する早い処理能力が不十分で不合格になった人がたくさんいると言っていました。



 医学部医学科を目指す人なら承知されているでしょうが、最難関である国公立医学部医学科に合格するには、問題に対する高い知識と応用力、プラス早い処理能力が必要です。



 例え、今、子供が東大や京大、医学部医学科に行きたいなんて言ってなくても、公文に行っておけば、子供がそのようなことを言った時に、本当にそこを目指すために必要な能力がついているかも知れません。



 その点で、公文は、子供の将来の選択肢を無限大にする可能性があります。


 
 もちろん、公文は、全体から言えば、決して大きなものではありませんが、すべての能力を支える基礎となるもの、逆ピラミッドの一番下にあって、重心をとらえて全ての知識を支えるものになるでしょう。



 3歳から訳が分からないままに、させられるままに公文に通って、途中、全く課題をすることもなく、家では、ほとんど公文の勉強をしない時期の方が多かったような気もしますが、辞めずに公文に通い続けました。



 知らず知らずに能力がついたのかなという感じです。



 よく、途中で公文を辞めさせる親御さんがおられますが、辛抱強く、続けさせてみてはどうでしょう。



 確かに、公文の教室によって、良い先生、そうでもない先生がいるということは否定できませんが、うちの子が通った公文は、生徒思いの非常に良い先生でした。



 その子と先生の相性も大事ですね。



 『公文はすべての礎となる』


 
 最終的に、医師になるための最大の壁である医学部医学科受験を勝ち抜いた息子が言っていたことなので、間違いないと思います。



 




 
 
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