一番近い店でも、片道30分以上。
一応、弁当のヒライという弁当屋があった。
今になって、コンビニが一軒できたが、一番近いコンビニでも車で20分くらい掛かる。
ちなみに、コンビニはセブンイレブンである。
今でも、夜、買い物に行くのは一苦労。
コンビニに行って帰ってくるのに一時間弱かかる。
まあ、悪いところばかりかというと、そうでもなくて、都会と違って、夜空の星はめちゃくちゃ綺麗。
夜、気分転換のため外に出て、空を見上げると、無数の星が輝く、満天の星空を見ることができた。
でも、受験生当時は、やっぱり街に住んでいる友達が羨ましかった。
夜食食べたいなと思っても、すぐには買いに行けないから大変だった。
そんな感じだから、私が高校受験や大学受験の勉強をしてたころ、よくお袋が夜食を作ってくれた。
毎日、夜中の2時くらいまで勉強してて、午前0時を過ぎるころになるといつも小腹が空いていた。
その時間、両親は既に就寝していた。
ゆっくりと両親の部屋を開け、小さい声で
『お母さん、ラーメン作って~。』
と一言。
すると、起きていたのか、すぐに
『はい。はい。分かった。』
との返事。
今、思うと、私のことが心配で熟睡出来なかったんだろうなと思う。
そして、自分の部屋に戻って勉強していると、15分くらいして、お袋が部屋にどんぶりに入った熱々のインスタントラーメンを持ってきてくれてた。
『早く、寝なさいよ。』
『無理しなさんな。』
お袋は、また、静かに部屋に戻って行く。
母の作ってくれたラーメンは、とてもおいしかった。
『うまかっちゃん』が多かったかな。
いつも、ラーメンの中に、卵が一つ入っていた。
『ちょっと雑炊』ってことも、たまにあったなあ。
この前、久しぶりに実家に帰ると、実家の階段の急なこと、急なこと。
『お袋も俺も毎日、ここを上ったり下りたりしていたんだなあ。』
俺の部屋がある二階まで、お袋は、その急な階段を、お盆に熱々のどんぶりを載せて上っていたと思うと、あらためて親の愛情を感じた。
やっぱり、いつまでも両親には感謝です。
そのお袋も、もうすぐ80歳になる。
今は、足腰も弱り、階段を上ることもままならない。
今は、割と元気だけど、数年前、交通事故で大怪我をし、その後、脳梗塞になり、ずっと入院していた。
今でも、毎月、脳神経外科に通っている。
実家の階段の途中に、ビートルズの『LET IT BE』のポスターが受験勉強をしていた当時のままになっている。
実家に帰って2階に上がる度に、受験勉強をしていた当時のことを思い出す。
朝から晩まで働き、口数は少ないが支えてくれた親父、ずっと夜食を作ってくれて、何があっても俺をかばってくれていたお袋。
両親には、いつまでも、長生きしてもらいたいものだ。
その両親も、初孫の息子が医学部に合格した時は、泣いて喜んでくれた。
私も夜中に息子にラーメン作ってやったことが何回かあるけど、今は、どんぶりに水とインスタントラーメンの麺を入れれば、レンジでインスタントラーメンが作れるから、めちゃくちゃ楽だね。
でも、受験勉強の時の夜食って微妙で、食べ過ぎると眠くなるし、でも、おいしかったら食べ過ぎてしまうし、難しいんだよねえ。
まずいものは食べたくないしね。
お袋がいつも言う。
『孫に診察してもらうまでは死ねない。』
孫に診察してもらうのが夢
と。
息子が医学部に入ったおかげで、両親にも、小さな夢が出来た。
息子に感謝。
家族の夢を背負って、よく頑張ってくれていると思う。