この記事では、2019年12月に廃止が公表された、金融庁による金融検査マニュアルの廃止について纏めており、その功罪や銀行業界への影響、戦略立案の要諦について考察している。

20年にも及ぶ長い期間、銀行の融資運営を束縛した金融検査マニュアルの廃止は、否応なく国内銀行に大きな変革を強いることになる。

金融検査マニュアルは、バブル崩壊後の不良債権処理において効力を発揮した。またリーマンショックで邦銀が比較的、軽傷で済んだのも金融検査マニュアルによる功績だ。

然しながら同マニュアルがもたらす弊害もある。画一的で硬直的な金融検査マニュアルの影響で、過去の実績しか鑑みない審査姿勢、創業期の企業支援、経営改善を要する企業への支援など、本質的に銀行が果たすべき使命に制約を与えてしまったのである。

金融検査マニュアルの廃止は、こうした弊害への問題意識が根本にある。画一的なマニュアルは廃止され、各銀行の経営戦略や方針といった個性・特性に併せた検査へと変貌することで銀行の裁量が拡大し、より柔軟性を内包した戦略を描くことが可能になる。

斯かる潮流の中で、メガバンクを含めた国内銀行勢は、中堅・中小企業向けの融資戦略で抜本的な方針および戦略の転換が求められる。

金融検査マニュアルの廃止により、創業期の企業支援や経営支援を求めている企業へのコンサルティングなど、銀行が果たす社会的な役割が拡大する。銀行の融資商品やサービスはおのずと進化せざるを得ない。

また過去のみならず将来のリスクを計測する必要性が高まる中で、デジタル・テクノロジーによる分析ケイパビリティの改善は、優先度が更に向上すると見ている。

最後に、商品・サービスに本質的な差を見出しづらい銀行業は長年「差別化が難しい」と叫ばれ戦略策定に苦慮してきたが、今回の金融検査マニュアル廃止に伴って、各行が"色"の違いを出す余地が生まれたと言えるだろう。

以下では、元銀行員としての知見や、外資系戦略コンサルティングファームにて銀行の戦略立案支援に従事し、銀行の経営・事業に係わる中で養った独自の観点も踏まえつつ、詳細に解説していく。

金融検査マニュアルの概要

検査マニュアルはバブル崩壊で社会問題化した不良債権をあぶり出すのを主眼に、金融庁が1999年に導入。2000年代は不良債権の処理こそ進んだが、融資先に厳格な審査を求めたあまり担保や保証に頼った融資が急増。思い切った融資が影を潜めるという弊害を生んだのも事実だ。

日本経済新聞

金融庁が策定した金融検査マニュアルの一義的な目的はバブル崩壊後の不良債権処理。その主な特徴は以下の通り。

  • 過去の決算数値で融資先を格付し評価、債券を分類
  • 「自己査定」により評価に応じて貸倒引当金・償却を算出

金融庁は、金融検査マニュアルを片手に国内銀行の融資状況を追求し続けてきた。「なぜこの企業に融資を実行したのか」「もっと取れる保証や担保は無いのか」と厳しく迫ることで、甘い融資判断を許さず、兜の緒を引き締め続けてきた。

金融検査マニュアルの功績:不良債権処理は収束

金融検査マニュアルを元にした銀行に対する徹底指導・引き締めにより、銀行の不良債権が白日の下にさらされ、また不良債権化する蓋然性が高い融資実行が未然に防止される運営体制が構築された。

結果として、先述の不良債権処理という大上段の目的を達成するために大きな役割を果たしている。2019年3月期の国内銀行の不良債権比率(リスク管理債権)は、東京商工リサーチによるとたったの1.20%だった。CEICによると米国の2019年9月時点の不良債権比率は1.5%より低くかなりの低水準と言える。

勿論、国内各銀行や融資取引先でる企業の努力の賜物だが、斯かる動きの源である金融検査マニュアルの功績は非常に大きい。

金融検査マニュアルの弊害:既に役目を終え時代錯誤の規定に

1998 年の金融監督庁発足から数年は、既に発生した不良債権を的確に把握し、足元までの資産価格の下落という要因を引当に反映させ、国内外の信用を回復することが優先的な課題の一つであった。 そのため、金融監督庁は、金融機関の裁量の余地が少ない一律の基準を策定し(検査マニュアル別表)、貸出先が実質債務超過かどうか、貸出が担保・保証により 保全されているかを重視して、自己査定結果の検証を行ってきた。また、引当の見積りにおいても、一律の基準に基づいた検査が行われた結果、過去の貸倒実績等を基本として債務者区分毎に一定の計算式に基づき引当額の計算を行う実務が定着した。

金融庁

しかし一方で以下のように揶揄される土壌を育んだ要因だと断じるにも論を待たない。国内の銀行で働く人、中堅・中小企業で働く人ならば一度は耳にしたことがあるだろう。人気ドラマ「半沢直樹」でも謳われたセリフだ。

「銀行は雨の日に傘を取り上げ、晴れの日に傘を差しだす」

つまり、経営が好調で利益を生み自己資本も厚い優良企業には資金が不要でも貸したがる一方で、経営が厳しく資金が不足している企業に対してはすぐに資金を引き揚げる、という銀行の姿勢を批判した言葉である。

このような銀行の姿勢は、金融検査マニュアルを元にした金融庁の指導が非常に大きな影響を与えてる。銀行の健全性に重きを置く金融検査マニュアルにおいては、資金繰りが厳しく経営改善のために資金を必要とする企業への融資実行は、担保がない限りは困難だった。

また金融検査マニュアルの大前提として、過去の実績を元に融資債権を評価するシステムがあり、その特性上、いくら将来的に有望な企業であっても、創業期の企業に融資を実行するのは不可能。

しかも、金融検査マニュアルは極めて画一的であり、どの銀行においても同様の指導がなされた。不良債権を強制的に処理させるためのシステムと考えれば、銀行側の裁量の余地が少ないのは当然のことだ。

ただ各行の強みや地域特性は加味されることなく、全く同様のルールの元にした融資実行体制を強要されることで、国内銀行は殊に融資においては顧客から違いが全く見えない状態になってしまった。

纏めると、時流にそぐわない金融検査マニュアルの「弊害」は以下の3点に集約される。

  • 融資は企業の健全性や返済の安全性を最重視し保証・担保至上主義
  • 過去実績のみを見て将来性を鑑みない
    (経営改善の余地を考慮しない、スタートアップに融資しない 等)
  • 画一的な文字通りの「マニュアル」

金融検査マニュアル廃止による変化

金融検査マニュアルが廃止されるからと言って、検査がなくなる訳でも、手法や進め方が全てがゼロスクラッチで再構築されるわけではない。従来の型をベースにしつつ、時流に合わなくなったルールを変更していくとの見方が強い。

20年来続いた融資に対する考え方を根底からひっくり返してしまっては混乱を来すことは目に見えているため当然の措置だろう。先述の3つの「弊害」を踏まえた変化の方向性は以下の通り。

金融検査マニュアル廃止による変化①:ビジネスモデルの多様性の発揮が求められる時代への対応

かつては、国内の資金不足のため、資金ニーズが高く、金融機関が貸出先を選 択することができたが、近時は、金融を巡る環境が、人口減少・高齢化の進展、低 金利環境の長期化等、大きく変化してきている中、金融機関間の金利競争が続き、 金融機関が貸出先から選ばれる時代となっている。

また、近時は、金融サービスの受け手のニーズが多様化している。例えば、地 域企業は、融資取引のみならず、事業承継、M&A、販路開拓、人材派遣、オーナ ー経営者の資産運用等、多様なニーズを持つようになっている。

このような環境下で、様々な顧客のニーズに応えるため、自らの強みを活かし、 顧客との関係性(リレーション)により事業への理解を深めて、コンサルティング機能を発揮しつつ資金ニーズに対応する等、独自の取組みを行っている金融機関も 増えている。こうした動きは今後も広がることが考えられる。

例えば、一部の金融機関では、単なる資金の貸付けにとどまらず顧客に付加価値を提供する取組みや、かつてのように財務データや担保・保証の有無を過度 に重視した融資から、貸出先の事業の将来性や将来のキャッシュフローから返済 可能性を評価した融資のあり方に立ち戻るような取組みが見られる。

さらには、創業支援の場合に、銀行自らリスクテイクすることが難しいが成長が見込めるような 顧客にベンチャーキャピタルや投資ファンドを紹介することや、顧客企業の商流拡大について助言する等、融資に留まらない様々な取組みも始まっている。

金融庁

金融検査マニュアル廃止による変化②:将来の損失や危機に適切に備える態勢を重視

上記のような金融機関の経営戦略や融資方針の多様化、貸出先のビジネスの多様化・複雑化、貸出先の事業環境の変化等に伴い、金融機関の融資ポートフォリオの信用リスクの要因も多様化している。

今後も、経営状態に重大な問題が生じている債務者に適切に対応していく態勢が金融機関にとって重要であることは変わらない。

これに加えて、経営状態に重大な問題が生じていない債務者に対する債権であっても、将来信用状態が大きく悪化するリスクが潜んでいる場合に、如何に将来の貸倒れに備えつつ、リスクが顕在化する前に実効的な経営支援に着手できるか どうかが、多くの金融機関にとって重要な課題の一つになっている。

金融庁

金融検査マニュアル廃止による変化③:金融機関の多様性に合わせた検査・監督

上記のように、金融機関の経営環境が大きく変化していることや、融資ポートフ ォリオの信用リスクの要因が多様化していること等を踏まえつつ、「金融システム の安定」と「金融仲介機能の発揮」をバランスの取れた形で実現するためには、当局も、金融機関が自主的な創意工夫を行いやすくなるよう、ビジネスモデルの多様 性に合わせて検査・監督手法を継続的に見直していく必要がある。

金融庁

こうした監督機関としての金融庁の検査方針の変化が、銀行の融資業務に関する戦略に大きな影響をもたらすのは間違いない。

金融検査マニュアル廃止を受けた戦略立案の視点

これまでは、金融検査マニュアルによって規定される一種の枠組みに沿った融資実行体制を敷いていれば、というよりそうした体制を取る以外に、国内銀行は選択肢が存在しなかった。

しかしながら今般の金融検査マニュアルの廃止に伴い、銀行の裁量が増大する中で、従来型の融資方針を抜本的に見直しする必要がある。必ず到来する決められた未来であり、先送りにせず早急に方針を固めた方が良い。

既に動いている、或いは従来の取組みの延長として継続的に遂行する戦略も存在するだろうが、ここでは金融検査マニュアル廃止を受けた戦略立案に対するサプリメントとしての要諦をご紹介する。

未だ金融庁による検査手法の具体的な内容は決まっておらず今後議論が深まっていく、という状況の中で、頭の体操の意味合いが強い見立てである点、ご容赦願いたい。

戦略立案の視点①-A:新たなビジネスモデル(収益モデル)の構築

前述の変化①に対応する戦略立案の視点として、従来型の融資商品すなわち融資実行手数料や金利以外の収益源の確保がポイントとなる可能性がある。

例えば、新規事業の創出や経営の立て直しに対するコンサルティングでのフィー獲得、銀行がターンアラウンドに精通した人材を確保のうえ一定の期間中に対象企業へ派遣を行い、期間中に月額利用料金を頂く、といったサブスクリプション型の収益モデルも考えうる。

戦略立案の視点①-B:リスクリターン目標の再定義

同様に、変化①に対する視点として、融資方針を検討する上で、従来型の「不良債権を極力抑える」という運営ではなく、一定程度のリスクを負った上で適切なリターンを確保する指針の導入も一考の価値ありと見る。

全てを根底から変えるという意味ではない。例えば、金融庁検査マニュアル廃止に伴い、銀行によるスタートアップへの資金供給、M&Aファイナンスが活発化することが想定されるが、どの程度までリスクテイク・リターン獲得を狙うか、各行ごとに独自のガイドラインを設定するといった運営方法が考えられる。

保証・担保で固めない思い切った融資形態でリスクテイクしつつ、高いリターンを確保できれば、低金利環境下でのスプレッドの低減に悩む銀行の大いなる救いとなる可能性を秘めている。

戦略立案の視点②:将来リスク分析におけるデジタルテクノロジー活用の高度化

変化②に対して、ビッグデータ・AI活用といったデジタル・テクノロジーの活用による将来リスク分析の高度化が最重要になる。

人間の手のみで、数多の融資案件に対する将来リスクのシミュレーションは現実離れし過ぎている。国内のどの銀行もデジタルテクノロジー活用は開始しているが、早急な分析能力と体制の構築を要する。

戦略立案の視点③:差別化された戦略の導入

変化③における画一化された融資体制から解放されることを見据え、自行の強みをレバレッジした差別化戦略を模索することが肝要だ。銀行の経営陣や現場を悩ませ続けてきた、「お金に色が無い」「他行と差別化が困難」という状況から脱する機会がようやく到来したのである。この機を逃すわけにはいかない。

王道ではあるが、自社の顧客基盤や営業に係わる組織的なケイパビリティから強みや勝ち筋を見出し、戦略構築の礎にするアプローチが考えうる。創業支援・M&A・事業承継・ビジネスマッチング等、ソリューションが似たり寄ったりになる可能性がある中で、如何に独自の戦略を構築するかが第一関門だ。

まとめ:金融検査マニュアルの廃止は銀行の在り方に変革をもたらす

これまで見てきた通り、金融検査マニュアル廃止は決して小さな変化ではない。銀行の、特に中堅・中小法人戦略に対して甚大な影響を与える可能性が高い変化だ。

戦略立案に取り込む価値がある考え方として「新たなビジネスモデルの構築」「リスクリターンの再定義」「将来リスク分析におけるデジタル・テクノロジー活用」「差別化戦略の導入」が挙げられる。

いずれにせよ、今般のマニュアル廃止を機会と捉えて自行の事業拡大の糧とするか、単なる当局対応とするかで、今後の成長ポテンシャルは変わってくる。

今後の動向を引き続きウォッチしていきたい。

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