ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

習慣を変えたら、自然に良くなるか?

2020-03-25 08:48:40 | 弟子づくり
まだ、子供達が小さかった頃、「親行」とか「建設的な生き方」というところに行って、教えてもらったことがある。実践もしてみたが、根本的に変わったとは思えなかった。
なぜなら、表面的なところのやり方を変えるテクニックのようであったからだと、クリスチャンになった今、思います。

わかった! そうすれば良いのね! よし、私もやろう!
そんな決心は続かない。三日坊主になる。「レント」だというので、「よし、これをやめよう」と思ったことは、大失敗でできなかった。自分の愚かさと弱さを思い知った。
今度、教会で連続断食祈祷をしようという声が上がっている。私は今、まだ動機の部分で十分納得できていないところがあるので、たとい「やります」と意思表明をしても、ただご飯を食べないだけで、どれだれ祈れるか、分かりません。

からだ、心、霊という同心円のような人間です。一番深い霊の部分で悔い改め、考え方が変えられたなら、その変わった分だけが、こんな言葉はないけど、「三日目発」となると私は思う。つまり、わかった!と、瞬間的に変わるのではなく、祈ったり、そのことについて重ねて経験することがあったり、分かち合ったりするしばらくの時間の後に、みことばに従う前進を一歩進められる。

私は、表面を取り繕う遺伝子、古い罪の性質と戦わないと、なし崩しに後退している。罪に対して、NOの時にははっきりNOと拒んでいないと、中途半端になって、サタン・悪霊に引きずられてしまうものです。

一日をみことばに満たされて始め、みことばとともに生活しているなら、サタンは退散する。手出しはできない。これは聖書のみことばを良く知っているとか、信仰生活が長いか短いかに関係がない。みことばの導きに身を委ね、聞き従って一歩一歩を歩み進もうという思いがあるかどうかによる。

その姿勢が同じであるクリスチャンとは、国籍や人種が違っても、共感し合い、祈り合えることが、昨日のハワイから来られたご夫妻との会話の中で確認できました。




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