米国推理小説界の巨匠スー・グラフトン(Sue Grafton 1940~2017)のアルファベットシリーズの”S”である。2005年の作品。

 スー・グラフトンは新機さを模索し続けた作家だが、本作品でハードボイルドの基準である1人称1視点での描写を離れ、キンジーの一人称一視点を基軸にしながらも登場人物数名の三人称一視点での物語を多数織り込む方法で描写している。
 今回の事件は30年前の失踪事件を暴く物語である。従って、登場人物の語りは30年前の現在形の語りと、現在の語りが出てくることになり、30数年間の変転を経た現在の語りは、自ずと人生を語る事が多くなる。長編である(下記ストーリーでは各登場人物の人生の変転はほとんど触れていない)。
 各人が語る真実をキンジーに話すとは限らない。極めてアクロバテックな手法である。書いていて混乱しないかと心配になる。登場人物が多い事もあり、読んでる方は混乱するのだから。

 アルファベットシリーズは、探偵報告書の体裁をとっているので、最後は「以上、報告します。キンジー・ミルホーン」(嵯峨静江訳)”Respectfully submitted  Kinsey Millhone ”で終わるのがお約束である。さすがに本作品では、このお約束は破られている。だが、また後には報告書体裁に戻る。本作品がチャレンジだった事がわかる。

 アルファベットシリーズの日本語版は「アリバイのA」以降、2005年に「ロマンスのR」(嵯峨静江訳)が出て以来、本書以降は刊行されていない。グラフトンファンには寂しい限りである。

 グラフトン作品は文学者めいた表現や低俗な会話、方言が少ないので英語版でも比較的分かりやすい。むしろ、本作ではグラフトンの人生語りに幻惑されて本筋を追うのに往生した印象が強い。

<ストーリー>
 ヴァイオレットは自由奔放な女だった。24才だが、娘のディジーは7才で、夫フォリーと結婚して8年になる。隣に住む高校生リサにディジーの子守を頼んで出歩くことが多く、町の酒場「ブルームーン」では常連だった。建設工のフォリーは貧しかったが毎日のように飲んでいた。ヴァイオレットの男出入りが原因で喧嘩が絶えず、彼女は顔の傷や目の痣を見せびらかすように出歩いていた。セレナ・ステーションは小さな町である。噂の種だったが、彼女が気にする事はなかった。

 1953年7月、隣町の公園で花火大会があり、リサはヴァイオレットからディジーの子守を頼まれた。リサはヴァイオレットが好きだった。転校生のティと交際しており、「気にせずに、やれば」と言ってくれたのはヴァイオレットだけだった。リサは友人キャシーとの約束を断ってヴァイオレットの借家に行った。彼女はいつものように裸に和服をひっかけて化粧をしていた。和服に背中一面に龍の刺繍があった。
 ヴァイオレットは、ポメラニアンの愛犬を抱えて、持ち帰ったばかりの新車シボレー・ベルエアに乗って出かけて行った。ディジーを寝かせつけてティと会い、戻るとフォリーが帰って寝ていた。

 翌日、ヴァイオレットは戻らなかった。フォリーは失踪届を出し探したが行方は知れなかった。争いが絶えなかったフォリーが疑われた。駆落ちしたとも噂された。警察の広域捜査にも関わらず、本人の行方も子犬や車の行方も掴めなかった。周辺で失踪した男はおらず駆落ち説も影を潜めた。迷宮入りになった。

 キンジー・ミルホーンはサンタ・テレサの私立探偵である。元警察官で37才女性、離婚歴2回の独身。
 知人でバー「スニーキー・ピートズ」のマネージャー、バーテンダーのタミー・オットウェイラーから話があった。友人の刑事ドーランや元保安官のステーシーと通っている店である。彼女の幼馴染ディジーの母親ヴァイオレットの行方を捜してくれないかと言う。ディジーと会って話を聞いた。4回離婚して独身だった。母の失踪がトラウマになっていると。母は彼女と父を捨てたのか・・犬の方を選んだのか? 悪い子だったから良い子になろうと努力したが帰ってはこなかったと。どこかにいると分かっても会いたいと言って母を困らせる事はしないと。
 だが、34年前の事件である(現在は1987年9月)。病院でタイピストをしているディジーに余計な調査料を払わせるわけにはいかない。5日間だけ調査する契約した。

 ディジーの家に行き、詳しい話を聞いた。新聞の切り抜きをスクラップしており、多数の関係者のリストもまとめていた。調査の間、泊まるよう勧めてくれた。
 ヴァイオレットはディジーを出産する際、医療事故があり、病院から示談金をもらい銀行の貸金庫に預けていたが失踪前に空にしていた。車はフォリーが前日に月賦でヴァイオレットに買ってやったもので月賦は遅滞なく完済していた。フォリーはヴァイオレット失踪後、一切酒を飲まず、悪評で仕事をなくしたが隣町の牧師に救われ、教会に住み下働きをしていた。

 当時、住んでいた借家は家主のトム・パジェットからディジーが買い取っていた。ディジー宅から借家へは新しい道ニューカットロードを通っていた。途中、大きなターナー屋敷があり、タミーの母の実家で毎週通って手入れしているのだと言う。昔は大地主で、邸宅は敷地の真ん中にあったが道路が敷地を貫き邸宅の前は道になっていた。

 キンジーは事件を担当した元保安官のティモシーに話を聞いた。スティーシーの同僚だった彼は捜査資料を見せてくれ協力を約した。彼にとっても気がかりな事件だったのだ。
 キンジーはディジーの関係者リストを頼りに話を聞きに回った。

(トム・パジェットの語り)当時、ハンサムなトムは、資産家の未亡人で15歳年上のカラと結婚したばかりだった。野心家でテーマパークなど新事業に取組んでは潰していた。当時から重機のリース会社を経営しており、新事業を目論んでいたがカラは金を出そうとはせず、資金繰りにも困っていた。「ブルームーン」の常連でヴァイオレットと関係を持っており、彼女が金を持っている事も知っていた。関係が明らかになればカラから追い出され身の破滅だった。今はカラが死んで遺産を引継ぎ、裕福な町の名士となっている。

(チェット・クラマーの語り)チェットはセールスマンからスタートしてシボレーのデーラーを経営するまでになっていた。娘のキャシーは我儘で、教会活動に熱心な妻は頑なな女だった。個人宅でテレビがある家は珍しくリサがよく来ていた。
 店にヴァイオレットが来て当時大学休学中だったウィンストンが対応した。ベル・エアが気に入ったようだがチェットに売る気はなかった。払える筈がなくトラブルの元だ。事情を知らないウィンストンは熱心に売り込んでいた。夏休みで店でアルバイトしていたキャシーはウィンストンに熱中していた。人目を惹く派手な美人で、リサを夢中にさせているヴァイオレットは嫌いだった。
 オフィスに来たヴァイオレットに魅惑されたチェットはホテルに行った。瞬く間に虜になり、ベルエアを与えてサンタテレサのアパートでヴァイオレットを囲う事を申し出たが、笑われた。ベルエアはなんとかしようと言った。払えなくても付き合ってもらえればいい。
 翌日、フォリーがベルエアを月賦で買いたいと言って来たので売った。その日、ホテルで会ったヴァイオレットから別れようと云われた。騙されたと悟った。フォリーは完済した。
 その後、妻が死に、36歳下のキャサリーンと再婚した。ヴァイオレットそっくりの女だった。キャシーはウィンストンと結婚した。彼はいまでも店にいる。キャシーは相変わらずひとりよがりで我儘である。

(ジェイク・オットウェイラーの語り)タミーと、近くで自動車修理工場を経営しているスティーブの父である。妻はターナー家の一人娘で、当時は病床で死期が近かった。失業して苦しい時期だったが病院に通っていた。「ブルームーン」でヴァイオレットと深夜、二人きりになった時初めて言葉を交わし誘われて車でやった。何回も誘われた。困っていたジェイクは金の無心をした。ヴァイオレットはジェイクが妻を愛しているのを知っていた。ターナー家の知るところとなり、ジェイクは妻やターナー家の遺産を受け取る事が出来なかった。義父は後を追って自殺した。
 「ブルームーン」が売りに出され、ジェイクは、バーテン、用心棒のB・W・マクフィーと共同で買い取った。妻の生命保険を充てた。

 キンジーはシボレーのデーラーに行き、チェットとウィンストンから話を聞いた。ウィンストンはキャシーとの生活に疲れていた。離婚を準備中だと。事件当日、チェットからクビだと云われ、落ち込んで郊外に出たがニューカットロードでベルエアを見たという。ヴァイオレットの車に間違いはない。事件後、誰にも話したことはないと。現場に一緒に行ってくれた。ターナー屋敷の隣だった。当時は道路工事中で、その先は造成中だった。

 ヴァイオレットの兄カルヴァンは父の資産で「ウィルコックス建設」を創業していた。父は蛍光塗料の特許で資産を積んだがヴァイオレットには何も渡さなかったという。母を時々訪問して小遣いをもらい、宝石をくすねたりしていたと言った。彼も妹を見放していた。

 キンジーは「ブルームーン」でディジーとタミーと落ち合って食事した。ジェイクが挨拶に来て、バーテンのB・Wと話す段取りをしてくれた。トムもいて、ヴァイオレットは男と逃げたのだと言った。

 翌朝、カフェでB・Wから話を聞いた。ヴァイオレットは手当たり次第で、それでフォリーといつも揉めていたという。町では、ヴァレットの話を聞きまわるキンジーが古傷を掻き出し迷惑と言う者もいると話してくれた。道路わきに停めていた愛車ワーゲンのタイヤが切られていた。タミーの兄スティーブに来てもらいタイヤを交換する羽目になった。

(リサの語り)リサは、離婚して酒ばかり飲んでいる母と暮らしていた。ひとりよがりな友人キャッシ―にも疲れていた。転校してきたばかりのティと付き合い始め、空き家のターナー屋敷に忍び込んで抱き合っていた。彼は触るだけでなく最後までやりたがるが決心がつかなかった。事件の夜、ディジーが寝た後、ティが来て、彼のトラックで抱き合った。深夜ヴァイオレット宅に戻るとフォリーは寝ていた。リサはフォリーが戻った時間を知らなかったので遅かったと証言した。そのためフォーリーは疑われることになったが、真実は語れない。ティは翌日、学校から姿を消した。女生徒と問題があって転校してきた彼は、問題を起こしているという匿名の電話で母が連れ戻しに来たのだった。
 その後、母が死に。コロラドに住んでいた父に引き取られたが新しい家庭に馴染めず逃げ帰り、地元で自動車修理工場を営んでいるクレメンツ夫婦の養女になった。暖かい家庭で、彼女は計理士になった夫婦の息子と結婚した。継ぐ者のいなくなった工場はスティーブが買い取った。
 リサは夫婦生活に物足りず別居していた。離婚する事になっている。キャシーとは時々会って話を聞いている。ティが戻るキッカケになった電話はキャッシ―から話を聞いた彼女の母からだった事も知っている。
 リサは大胆なヴァイオレットのようになりたかった。誕生日のプレゼントにもらったペンダントを今でも大事にしている。ペンダントに内蔵されている写真の裏には養子に出したティとの間に生まれた赤子の写真があった(後に、キンジーがティを探し出し、リサと付き合うようになる)。

 キンジーは、タミーが手入れに来ているターナー屋敷を訪ねた。邸宅は長らく空き家だったので浮浪者の棲家となり、挙句、火災が発生し屋内は荒廃していた。タミーは歴史遺産として残したかったがスティーブは維持だけでも大変なので壊したかった。
 キンジーは2階の窓から整備が進んでいる広大な庭園を眺めた。アジサイが花盛りだった。一面のピンクのアジサイの一角に青のアジサイが咲いていた。キンジーを育ててくれた叔母はアジサイが好きだった。青のアジサイを咲かせようと植木鉢に釘を埋めていたのを思い出した。青のアジサイの一角に埋められているのはベルエアかも知れない。

 元保安官のティモシーに連絡した。事態を告げられた彼は、金属探知機を持った友人の元鑑識員ケンを連れて来た。鉄の塊が埋められている事が分かり、掘ってみると車だった。
 警察に電話し、大規模な現場検証が始まる騒ぎとなった。重機が持ち込まれた。重機リース会社社長のトムも来た。
 スティーブやジェイク、B・Wやウィンストンも来た。キンジーが電話しディージーも来た。テレビ局も来た。

 ベルエアが出てきた。死体があり、子犬もいた。ヴァイオレットに間違いなかった。金はなかった。

 キンジーはタミーとディジー宅に泊まりに行った。B・Wからフォリーが来ていると電話があった。ディジーとキンジーが「ブルームーン」に行くと、酒を断っていた父フォリーが飲んでいた。
 フォリーはヴァイオレットを愛していた。ベルエアの月賦を払い続けたのもヴァイオレットがどこかにいると信じていたからだった。ヴァイオレットの遺体とベルエアが発見されて彼は壊れた。ジェイクにヴァイオレットを弄んだと言った。ジェイクは誤解だと。B・Wはフォリーを追い出した。戻ろうとするフォリーは殴られて昏倒し血だらけになった。ディジーは教会に連れて帰った。

 ヴァイオレット失踪事件は、殺人事件に変った。母の死が判明してディジーはキンジーに調査は終えていいと言った。調査費用は5日分貰っている。まだ、1日残っている。キンジーは調査は続けると言った。

 ベルエアを埋めるためには重機がいる。リース会社のトムは30年以上も前の貸出リストは残っていないと言う。  
 当時の電話帳で近所にいた人たちから話を聞いた。得るものはない。

 刑事がディジー宅に説明に来た。遺体と子犬はヴァイオレットが大事にしていたカーテン生地で蔽われ、衣服が積まれていたという。埋めた男はヴァイオレットを大事に思っていたのかもしれない。落ち合って、駆け落ち? ヴァイオレットが子犬は大事にしていたのは何故? 誰から手に入れた?

 ティモシーに聞くと近隣でポメラニアンを扱っていた業者は少ない。教えてもらった元ブリーザーのミセス・ウィリックに電話すると扱った事があると言う。夜遅いが、顧客台帳を見せてもらう事になった。
 町はずれの一軒家だった。顧客はトムだった。表に誰か来たようなので彼女が出て行ったが戻って来て「トムが来たのかと思った」と言う。ポメラニアンをトムに売ったかと尋ねてくるものがいたら電話する約束だったのだと言う。

 トムはヴァイオレットとは顔見知りではあるが関りはない事になっていた。キンジーには犯人が分かったし、トムもそれを知った。

 ワーゲンで夜道を急いだ。大型トラックが接近してくる。ワーゲンは道を外れ、空き地に押し出された。穴が掘られている。トムのリース会社の重機置き場の隣だった。トムが大型ブルドーザーを始動させた。ワーゲンごと埋める積りのようだ。キンジーは銃を4発撃った。彼は死んだ。トラックで署に行き事情を説明した。翌日、疲れ果ててサンタテレサに戻った。

 それから1年、ディジーから、なにも連絡がなかった。タミーも知らないと言う。短い時間だったが、ディジーとは共に悩み、語り合った。仕事だから感謝を求めはしないが、それでも傷ついた。
 8月の終わり、ディジーが事務所の前で待っていた。母の運命が分かれば人生が変わると思っていたが何も変わらなかったと。自分で選ぶものだと分かったと言った。
 タミーの店に行く事にした。彼女のサラミのチーズサンドイッチは最高だ。

 


<<ご参考  シボレー ベル・エア1953年式>>