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人間関係で双極性障害を患った私が前を向けた経緯と大事なきっかけ。

以前勤務していた介護施設での人間関係や、身にあまる重責により、私は双極性障害になりました。一時は自室にこもりきりになっていましたが、現在では家事を行い、自宅でライターとして活動しています。私と同じように心に傷を負い、人生に苦しんでいる方の助けになればと思い、私が立ち直った経験をご紹介していきます。

▼人生に絶望している方へ

人は独りでは生きていけません。

感じていること・考えていることのすべてを家族や友人、身の回りの人と共有することはできませんが、ほんのわずかでも人は共感することができます。

自分が苦しんでいるときには周りの声に耳を傾けるのは難しく、誰も自分のことを理解してくれない、苦しんでいるのは自分だけだと考えてしまいがちです。

しかし家族や友人、身の回りの人の中にはあなたのことを想い、気に留めている人間が必ずいます。私自身、双極性障害を患い、苦しんでいるときには妻や子供たち、両親の声に耳を傾けることはできませんでした。

そんな私が家族の声に耳を傾けられたのは、ある看護師との出会いがきっかけになったのです。その看護師との出会いにより、想っていること・感じていることは口に出して話し合わなければ、身近にいる家族でさえ、理解し合うのが難しいことに気づかされました。

私がどのようにして立ち直ったかをお話しする前に、私が双極性障害を患った経緯から話をはじめましょう。

▼私はこうして双極性障害を患った

1、一部門のリーダーに配置転換

私は介護施設で事務員として勤務していました。介護施設で働き始めてから3年目に、一部門のリーダーを任されることになります。それまで事務処理業務が主だったものでしたが、新たな業務として、契約や利用者の家族対応、介護業務に関する現場との調整を担当することになります。
私がその業務に就く前には、別の職員が職務を担っていましたが、その職員は介護スタッフとして現場で働くことになったのです。便宜上、その職員のことをAさんと呼称します。

私とAさんは直接的な業務上のやり取りはなく、事務所内でよく会話をする同僚のような人間関係でした。私の勝手な思い込みかもしれませんが、Aさんのことを職場での数少ない友人と考えていたのです。

2、人間関係、慣れない業務により心の負担が大きくなる

私が一部門のリーダーとなってから、Aさんとの関係が険悪なものになっていきました。以前のように談笑することはなく、最低限行わなければならない業務上のやり取りのみになったのです。

後ほどAさんに親しい職員から聞いたのですが、Aさんは自分の意に反して、介護スタッフとして現場で働くことになったようです。一部門のリーダーとして勤務し続けたいという希望がAさんにはあったようですが、人員配置からやむを得ず介護の現場への移動となりました。

Aさんとの人間関係が悪化していくのと並行して、新たな業務に私は日々ストレスを感じるようになりました。一部門のリーダーとして介護スタッフと介護業務の調整は、それまで事務処理だけを行っていた私には、あまりにも負担が大きすぎる業務だったのです。

介護スタッフと介護業務について調整し、提供するサービスの内容を改善していくには、介護的な手法や専門知識が必要になります。私はそれらのテクニックや知識を有しておらず、またそのことを上司にも相談できませんでした。

3、はじめてのズル休み

一部門のリーダーを任されてから1年ほど経ったある日、私は仕事をズル休みしてしまいます。私はそれまで一度も、病欠などのやむを得ない理由を除き欠勤したことがありませんでした。私の様子を不審に思った妻の助言により精神科を受診すると、双極性障害との診断が下ったのです。

双極性障害の診断が下りたことを理由に一定期間、求職をしましたが職場へ復帰することはできず、私は退職することになりました。

▼退職後の生活と私が救われた看護師との出会い

1、退職後の生活

仕事を辞めた私は部屋にこもりきり、家族や友人との接触を断ちました。そのころには長女が生まれていましたが、長女の世話を妻へまかせっきりです。食事はコンビニやファミレスで済ませ、暗い部屋で一日中、趣味のゲームに没頭しました。

こんな人生に何の意味があるのか。生きていても「いいこと」はない。誰も自分のことを理解してくれない。心を許しても、いつか裏切られ、哀しい想いをする。これらのようなことで私の頭の中はいっぱいでした。

2、入院中に出会った看護師

自室に引きこもり、他社との交流を断つ日々が数か月ほど続いたある日、私は自殺未遂をしてしまいます。自殺未遂をし、搬送された病院で私の担当になったのが、冒頭で紹介した看護師でした。経緯を理解しやすいようにB看護師と呼称することにします。

B看護師は大柄で、笑顔が絶えない人でした。そして自殺未遂をした私に気遣う様子もなく、私が入院した経緯を知らないような様子で、日々の業務をこなしていたのです。

3、思っていること・感じていることを伝える

入院中のある日、私に行っている処置をめぐって、B看護師に声を上げることになります。その処置は苦痛を伴うものであり、快復するためには必要であると頭ではわかっていたものの、気持ちが追いついていませんでした。

私は処置を止めて欲しいと懇願すると、B看護師はすんなり承諾してくれたのです。そしてB看護師はその処置をされるのが嫌だと、私が感じていることに気づいていたが、あえて口に出さなかったと答えたのです。

私は相手が嫌だと感じている処置を、どうして続けられたのか問いただしたところ、B看護師は口に出さなければわからないと返答しました。

4、言葉にしてはじめて伝わる

そのとき、はじめてB看護師は私が自殺未遂をしたことに触れたのです。それまで嫌だと感じたこと、不安に思っていることを、妻や両親などの家族と話したことがあるのか。もし嫌だと感じたこと不安に思っていることを、妻や両親に話していれば、自殺未遂をすることがなかったのではないかと。

当時の私は家族にさえ、自分の本心を隠し、伝えることができませんでした。またどのようにして伝えたらよいかさえ、わからなくなっていたのです。特に妻には、不満や不安を伝えることはなくなっていました。年月を重ねるごとに、長い付き合いなんだから言わなくても伝わると、思い込むようになっていました。

私はB看護師にそのような心うちを伝えると、B看護師は思ったこと、考えていることは絶対言わなければ、相手は理解できないと答えました。つらい現実で自分を追い詰めてしまう前に、ストレスの原因となっている気持ちを伝えなければ、人生をよい方向へ進んで行けない。そう言葉を続けました。

この言葉は私の心に突き刺さりました。なぜかというと、私が思っていることを伝えたことによって、嫌でしかたなかった処置を止めると、B看護師が承諾してくれたからです。

▼気持ちは通じ合える

1、妻の苦しみ

私は退院後、妻へ自分が感じている不安や不満を伝えました。そのとき妻からも私に対して、一人で育児をしていく不安や、双極性障害という心の病に対して、どのように接したらよいかわからないということを打ち明けられたのです。

妻は自分の夫が心の病を患ってしまったこと、自分一人で育児をしていく毎日につかれてしまっていることに、私は気づかされたのです。私だけでなく、彼女も苦しんでいた。そしてその苦しみを私は共感することができていなかった。

でも思っていること、考えていることを言ったから、彼女とほんの少しだけでも共感できたのだと確信しました。

それからというもの、私は嫌だと感じたことや不満に思ったことなど、ストレスにつながる出来事は必ず妻へ伝えるようにしています。

2、あの自殺未遂から数年が経った現在

あの自殺未遂から数年が経ち、私は小学校へ通う子供たちの対応をしつつ、ライターとして活動しています。以前は学校の行事に顔を出すことはありませんでしたが、授業参観や運動会などに可能な限り参加しています。

またよいクライアントとのめぐり逢いにより、わずかではありますが、自分でお金を稼ぐこともできるようになりました。

双極性障害を患ったことにより、仕事や友人など失ったものは多くあります。しかし代わりに妻、両親そして子供たちと良い関係を築くことができました。

あの時、看護師から投げかけられた言葉によって私は立ち直れたのです。

▼さいごに

心が苦しいとき、未来が見えないときは、自分の気持ちを誰かに伝えるようにしましょう。家族でも友人でも、私が経験したように病院など医療機関のスタッフでもいいので、心の中に抱えている不安や不満を吐き出すのです。

上手に言えなくても、順序立てていなくとも問題ありません。重要なことはあなたが感じていること、考えていることを誰かに伝えることなのです。