後期ゴシック彫刻・市民運動・演劇教育

小学校大学教師体験から演劇教育の実践と理論、憲法九条を活かす市民運動の現在、後期ゴシック彫刻の魅力について語る。

〔249〕『ハンセン病療養所と自治の歴史』(みすず書房)は矢部顕さんの推薦図書です。

2020年02月22日 | 図書案内
 矢部顕さんから下掲のようなメールが入りました。『ハンセン病療養所と自治の歴史』という新刊書のご紹介でした。高価な本なのでなかなか個人での購入は難しいでしょうが、図書館などに購入希望を出そうかと考えています。 読者の皆様にはとりあえず本の目次と表紙をご覧ください。
 
●福田三津夫様

 わたくしが学生時代からかかわっているサークルであるフレンズ国際
労働キャンプ(FIWC)の友人に、最近こんなメールを送っています。

 友人で、若い研究者の松岡弘之さんが、このたび『ハンセン病療養所と
自治の歴史』(みすず書房、5400円+税)という大著を上梓されました。
 たいへんな労作で、これほどまでに療養所の自治の歴史を研究した人は
いないのではないか、と思います。
 わたくしは学生時代に、FIWCが取り組んだ「交流(むすび)の家」建設
運動で、当時はハンセン病療養所の入所者であった鈴木重雄さんと活動を
共にすることが多くありました。
 鈴木さんは、戦前戦後、療養所の患者自治会会長を歴任されていましたが、
そのことはこの本の本論に描かれています。
 社会復帰するあたりのことから以降は、本論とは別に、補論2として
「鈴木重雄の社会復帰」が収められています。

 松岡弘之さんとは、鈴木重雄さんの調査研究のために一緒に気仙沼唐桑を
訪れ、鈴木さんを故郷に迎えた方々の聞き取りをしたことがあります。東日本大
震災の後のことです。唐桑の漁村は壊滅的な被害だったのですが、みなさんは
御無事でした。

 元ハンセン病の人たちは、今でも故郷に帰ることが出来る人は稀です。
50年前に、元ハンセン病の鈴木さんを故郷に迎え、町長になってほしいと
懇願した漁業の町唐桑の船主たちがいたのです。
 その方々も、今はお亡くなりになっていて、思えば、聞き取り調査の最後の
チャンスだったのでした。
 その後も、松岡さんは何度か気仙沼唐桑を訪れ、鈴木重雄さんが設立した
社会福祉法人「洗心会」に保存されている膨大な鈴木さんの貴重な史料(震災
の被害から免れた!)の分類整理をして、研究をされました。

 表紙ならびに目次を添付します。

 400頁を超える大著で定価もそうとうします。版元のみすず書房の出版の
英断にも驚きます。
 ぜひとも、お近くの図書館にリクエストして、配備していただくように
運動することをお願いします。

                            矢部 顕



●みすず書房のサイトより
『ハンセン病療養所と自治の歴史』
著者松岡弘之

 病者の隔離と排除を目的とした施設は、連帯と解放の拠点たりうるか。瀬戸内の島で当事者が行動し、社会や人間を問うた百年の精神史。

 発病によって隔離され、それまでの生活を失った人びとが人間や社会のあり方を問いつづけながら、身近な場所をよりよい世界に変えようとした百年の軌跡である。
 岡山県瀬戸内市の長島には、二つのハンセン病療養所がある。1909年に大阪府西成郡に開設された外島(そとじま)保養院が1934年の室戸台風によって壊滅し移転した邑久(おく)光明園、もう一つは、隔離を牽引した光田健輔を園長とする初の国立療養所として1930年に開設された長島愛生園である。
 入所者が主体的に療養生活上の課題を解決していく「自治」の起点と、その広がりや葛藤を、手紙や日誌、会議記録、行政文書などから読み解いていく。大正デモクラシーの時代と呼応しながら外島で産声をあげた自治会は、プロレタリア運動・エスペラント運動に関わった人びとが追放された「外島事件」(1933年)、入所者が作業ゼネストやハンストで処遇改善を求めた「長島事件」(1936年)をへて、アジア・太平洋戦争のなかで解体を迫られた。
 だが、こうした経験は、戦後の治療薬の登場と社会の民主化のなかで、当事者自らが闘い、社会復帰していく土台となり、ついにはらい予防法の廃止、国家賠償請求訴訟に至る。
 彼らの歩みは鏡のように、近代日本を映し出す。苦難と希望が刻まれた記憶は、現在もさまざまな場所で自由や自治の実現に取り組む人びとへの励ましであり、未来への伝言であろう。

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目次


はじめに

序章
1 近代日本のハンセン病問題のあらまし
2 「検証」と記録
3 「自治」の射程
4 本書の対象

第I部 第三区連合府県立外島保養院

第一章 自治の模索
1 療養所における治療と生活
2 「自治」の誕生
3 「相愛互助」──自治の実践

第二章 作業制度と自治──1932年外島保養院作業改革を手がかりに
1 1930年代の外島保養院
2 1932年の作業改革
3 労働と分配をめぐる対決
4 追放される者の旅立ちに

第三章 壊滅と移転
1 大阪から瀬戸内へ
2 復興を求めて
3 長島事件と外島関係者
4 委託患者の希望

第II部 国立療養所長島愛生園

第四章 国立療養所の設置と地域社会
1 隔離の推進
2 療養所建設と「村の利益」
3 交差する住民と患者
4 漁民の生活圏の中で
 
第五章 創設期の入園者統制──『舎長会議事録』から
1 光田健輔園長の下で
2 入園者総代の設置
3 「家族主義」の動揺
4 不信の臨界

第六章 長島事件
1 事件への道程
2 事件の勃発
3 自助会の発足
4 長島事件をくぐり抜けて

第III部 戦争と「自治」

第七章 総力戦下の長島愛生園
1 自治会の苦闘
2 常務委員長・田中文雄
3 自治会の解体
4 生きのびるための共同体

第八章 手放された自治──光明園から邑久光明園へ
1 光明園の開設
2 「評議員会議録」のなかの戦時
3 国への移管
4 「外島精神」の終焉

終章 戦後への展望
1 療養所における自治とは
2 プロミン獲得運動とらい予防法反対闘争
3 国家賠償請求訴訟
4 課題

補論
補論1 小川正子の晩景
1 臨床の現場へ
2 病床の小川正子
3 最後の手紙と短歌
4 潰えた「初志」

補論2 鈴木重雄の社会復帰
1 「田中文雄」から鈴木重雄へ
2 唐桑町長選挙への出馬と敗北
3 知的障害者のための施設建設──「社会復帰」拠点として
4 鈴木重雄の遺したもの

あとがき

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著訳者略歴
松岡弘之まつおか・ひろゆき
1976年、広島県福山市生まれ。2005年、大阪市立大学大学院文学研究科後期博士課程哲学歴史学専攻単位修得退学。博士(文学、大阪市立大学)。専門は日本近現代史。

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