母のおかげで文章を書いている、かも

ブログ好き

私が文章を書くことを意識したのは、母のせいだと思います。小学生の頃の宿題で作文を書いたことが母にとてもほめられました。普段は私に厳しい母でしたが、かなり大げさにほめてくれたので、かえって私はプレッシャーを感じてしまいました。

ほめられて生まれたプレッシャー

一体どんな作文だったのかと言うと、自分の家庭の伝記を作ろう、という内容でした。だから父や母の生い立ちから、自分が生まれて成長するまでを書きました。母は小学3年生のときに終戦を迎え、今まで正しいと教えられてきたこと(日本は神風が吹く特別な国だ、などの軍国教育)がひっくり返ってしまいました。小学校高学年だった私はその話を作文に盛り込み、『母が何事も疑うようになったのは、終戦で価値観がひっくり返ってしまったからだろう』などと書いたのです。

これに母が感心して、「お前の書くものは面白いから、ドンドン書きなさい」と言い出したのです。しかし面白い文章は自分で意識して書けるものではありません。母をがっかりさせたくなかった私は原稿用紙を前にすると、文字を書いては消すことを繰り返すようになり、すっかり文章を書くことから離れてしまいました。もともと読書が好きで、文章を書くことにも興味があったのに、一時は読書感想文を書くのも面倒になってしまいました。

パソコンのおかげで変わった!

そのまま大人になり、結婚もして、文章はおろか手紙を書くのも面倒だという状態でしたが、それを変えたのはパソコンの登場でした。子供会の役員を引き受けたときに、パソコンがあると回覧文書を作るのに便利だということで、家族で使えるようにパソコンを買いました。

パソコンがあると原稿用を書いては消していたような苦労がありません。文章を直したいと思ったら、切り貼りが自由にできるのです。パソコンの登場でかなり文章を書くことのハードルが下がりましたが、最初は役員などで頼まれたものだけを作っていました。自分で考えた文章を作るようになったのは、子どもたちが成人した後のことです。それだけ私の文章を書くことへのプレッシャーは強かったのでしょう。

私が文章を書きたくなった理由とは

今から5年前に母が亡くなり、私には胸の中に溜まったものがありました。病気を気づいてあげられなかったこと、最後には延命治療を断ったこと、亡くなった後に母の衣類を片づけたときに私が感じたことなどが、ドンドン溜まっていくのに、知っている人には話しにくいと感じて(誰でも経験することで、私だけが辛いわけではなかったからです)、誰にも話せないでいました。

それを少しでも外に出したくて、最初はクラウドソーシングで文章を書く機会がある度に、文章にしてきました。始めたばかりの頃は、1つの文章が1000文字で100円と言うこともありました。でも、少額でもお金と引き換えに私の文章を渡すことで、後悔の種として私の中に溜まっていたものが少しずつ手放されたように感じました。

しばらくするとどれだけ書いても、自分の文章として残らないクラウドソーシングが寂しく感じられるようになりました。そこで自分が自由に文章を書ける場として、ブログを始めてみようと考えるようになりました。こう考えるようになったということは、母が私に与えたプレッシャーや後悔が少しずつ減ってきた証拠だったと思います。

母のおかげで楽しい思いができています

母のせいで文章から遠ざかったこともありましたが、今は文章を書くことの力を感じています。文章を書くことで自分にとってネガティブな感情を手放すことができるし、楽しい思いをすることもできます。

自粛期間中、仕事ができない夫はつまらなそうにしていることも多かったですが、私はブログに何を書こうかと考えるだけで、あっという間に時間が経ち、あまりつまらないとは思いませんでした。あれを書こう、これはどうだろうと考えるのは本当に楽しい時間です。

もう母のせいだと考えないで、母のおかげで楽しいことに出会えたと考えるべきだと思います。母に感謝をしたいです。しかし、母がも生きていても、決してこのブログを読ませようとは思いません。やはり恥ずかしいですから…

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