水害

生活

今日は埼玉県でも雨が降っています。熊本で大変なことになっていることを考えれば、決して文句を言うほどのことではありませんが、やはりこうよく降ると嫌になりますね。

女子高生だった私が氾濫河川に侵入

私は高校生のときに、氾濫した河川に侵入したことがあります。そこを通らないと家に帰れなかったからです。その日は休日でしたが、私は文化祭の準備のために登校しました。朝から雨でしたが、どんどんひどくなり、昼過ぎには先生からも帰った方が良いと言われ、急遽帰宅することになりました。

いつもの駅前の通りが水没して通れず、かなり回り道をしましたが、電車は普通に走っていたので、たまたまその駅前だけに水が出たのかと思っていました。でも、自宅の最寄り駅からのバスは運休していました。歩いても30分程度だったので、何も考えず歩いたところ、後もう少しで自宅のある団地だというところで河川が氾濫していたのです。

河川といっても普段は小川と呼ぶのにふさわしいかわいいものでしたが、その日は道路にまで水が溢れ、どこが河川でどこが道路なのかわからない状態でした。でも、もう団地は目に見えていたので、そこさえ通れば何の問題もないと私は考えてしまいました。

危険はなかなか実感できない

何も考えず水の中に足を踏み入れたときに、偶然近所を見回りしていた消防団の人が私のことを見つけました。当時の私はおじさんだと思いましたが、もしかすると今の私よりもかなり若かったのかもしれません。

消防団の人は大きな声で私を呼び止め、氾濫した河川に入ることの危険さを教えてくれました。これくらいの川でも、流されて死ぬこともあるんだと言われましたが、私には実感がわきませんでした。今でも、そんなに危ないことだったのかと疑問に思っているくらいです。

結局私はその人に手を引いてもらい、無事に帰宅しました。水は意外に深くて、私は胸辺りまで水に浸かりました。そのことは母に話しましたが、母も危険だという実感はない様子でした。

でも、最近毎年のように水害が報じられるようになり、亡くなった方のことを考えると、こう思えてくるのです。

ゆみこねこ
ゆみこねこ

あのときの私と同じだったのかも。危険を危険とも思わずに水に入って、そのままのまれてしまったのかな…

危険を危険と思えないことは確かにあると思います。だから正常性バイアス(大きな災害にあっているのに、まだ自分は大丈夫と思う状態。避難が遅れる原因になる)などという言葉もあるのでしょう。

正しく恐れたい

胸まで泥水に浸かってしまったので、次の日は制服が着られませんでした。私は夏服のスカートにセーターだけという軽装で登校するしかありませんでした。先生に事情を話し、了解を得ましたが、クラスのみんなには笑われたことを覚えています。

誰もそれは危険だったとは思っていなかったでしょう。そんな心にに危険はつけ込んで来るのかもしれません。危険を感じ取れるように、正しく恐れることを常に考えておくと良いと思いますし、自分もそうありたいと思います。

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