☆波乱家族ダイアリー☆大人の自閉症ととADHD

夫や娘、大人の発達障害に関すること、 日々の出来事や気になったことを綴っています。




【 小5の時の娘の① 】学校のクラスと担任について



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小学校五年生の時の、 クラスの担任の先生や友達とのこと、学校でのトラブルなどをメインに、書いていきたいと思います。

クラス替えや担任の先生について

娘が通っていたのは自宅近くの公立小学校なのだが、

その学校では、学年が上がるたびにクラス替えが行われた。 

またそれに伴い 担任も別の学年へ移動し、毎回 違う先生に変わっていた。


環境の変化に弱い娘は、 クラス替えの時期になると、いつも不安と緊張に苛まれていた。



娘には親友と呼べるような友達はいなかったので、

絶対に一緒のクラスになりたいといった友達はいなかった。

しかし娘は どんな友達と一緒になり、 どんな先生が担任になるのかはとても気掛かりなようだった。


娘はとにかく環境の変化に弱く、新たな環境に慣れるのに人一倍時間が掛かった。

また 人とのコミュニケーションも苦手だったので、心配は尽きなかったのである。


五年生のクラスと担任

五年生になった始業式の当日、娘は緊張しながら新しいクラスへ向かった。 

教室に入ると、   残念ながら娘と比較的仲が良かった友達は同じクラスになっていなかった。

しかし、わりと家の近所に住む 何人かの友だちとは一緒だったので、 多少は安心したようだった。



新しい担任の先生は、20代の前半ぐらいに見える女性で、

ついこの間まで大学生だった・・・といった雰囲気を漂わせていた。

性格的には明るく 活発そうだった。



この時点では  どんなクラスになるのか想像はできなかったのだが、

私には何となく   嫌な予感がしていた。


そして 私のこの予感は、 見事に当たった。



先生と娘、   私、クラスの友達との間でのちに大きなトラブルが発生し

その渦に巻き込まれ、翻弄されることになったのである。



クラス担任は初めて

娘の担任の先生は 私の第一印象どおり、 クラスを受け持つのが初めてだという事が 少し経ってから分かった。


だから それ以前に教員としてのキャリアは無かったし、 生徒への対応にも慣れていなかった。

当然、 教師としての方針が確立しているわけもなかった。



宿題を出さない先生

宿題なども過去に出した経験が無いので、 生徒に何をやらせれば良いのかを把握しておらず、

宿題プリントなどのストックは、 何も 持っていないようだった。


そんな訳で、 その先生は勉強に関する宿題は殆ど出さず、   

代わりに毎日 生徒に、

「今日の反省・今日やったこと」などを書くプリントを渡して記入させていた。


新任の先生では仕事に慣れていないのだから、 多少のことは仕方ないと私は考えていた。

また あえて 指摘するつもりもなかった。


しかし 一学期の間 毎日そんな状況だったので、 段々と

先生が宿題について考えたりすることやプリントを作成するのが面倒なので、

手抜きをしているのではないか・・・私はそう感じるようになった。



娘は、 先生とクラスの子が話しているのを聞いたことがあった。

それによると、 その先生はもともと教師志望ではなく、

「希望の就職に就けなかったため、 取り敢えず試験を受けて教員になった」

ということだったようだ。



そのことを聞いた私は、 その先生は 希望の職に就くまで、 腰掛的に教員をやるだけなのかもしれないと思った。


それはそれで個人の自由なのだし、 どうこう言える筋合いのものではない。

教師をしている間だけきちんとやってくれれば問題は無い。



しかし その先生について私が感じた怠慢は私だけでなく、 同じクラス内の保護者の中にも

少なからず そう感じている人は結構いるようだった。


そんなこともあって少しずつ、 担任の先生に対する不信感が募っていった。


個人面談で疑問

娘の学校では個人面談が、 年に三回 学期の終了前に行われた。


その先生ときちんと話したのは 一学期の終わりの個人面談が初めてで、 この時は先生と私の 二者で行われた。



多少の世間話をしたあとに、先生からはあることを伝えられた。

それは娘に対しての、否定的とも取れるような発言だった。


「お嬢さんは、 人と話したり、 言葉で人に何かを伝えるのは苦手なようです。

いつも私ときちんと会話をしませんし、 言いたいことを伝えられていません。

私の言ったことも ちゃんと理解してくれていないようです。

ノートに書いたり、  作文では上手く伝えられるようなのですが・・・

もしこのまま   大人になったら、 大変なことになりますよー!」


大まかにいうと、 そんな感じの内容だった。



とにかく先生は、

 「このまま大人になったら困ります!大変なことになりますよー!」 

それを何度も繰り返して、  強調していた。



「だから何? どうしろっていうの?」

私はそう   先生に質問したかった。



娘が人との コミュニケーションが苦手で先生や友達との関りが難しい、

或いは 先生が娘への対応が難しくて困っているとか

そういった具体的なことを敢えて示唆するわけではなかったので、 こちらも答えに困った。



その頃はまだ、 発達障害について現在ほど学校や世間で認知されていなかったこともあり、

もし学校で行った知能検査や学校生活の中で
娘が他の子と特に違っているとか、

発達障害を持っているのではとの疑いを持ったとしても、 実際に先生が口に出して言ったり、

そういった検査を勧めるのは難しいことだったのかもしれない。



それに場合によっては発言が責任問題に発展したりすることもあるかもしれない・・・

そう考えたり、学校からも止められたりすれば、

障害に関することを、保護者に簡単に伝えることはできなかったのだろう。




それでも

「大人になって困ります!」

みたいな曖昧な言い方ではなく、 はっきりとしたことを伝えてくれていれば

こちらも対処のしようが あったかもしれない。



面談で 担任の先生の話を聞いているうちに、段々と先生が 娘のことを心配するというより

単に娘のことを 問題を抱えた面倒な人間と感じ、

娘を嫌悪しているだけなのではないかとさえ思うようになった。

先生が、 娘のことを否定するし過ぎるし、将来的に困ると決めつけていたからだ。



また担任は、 それまで教員としての経験及び担任としての経験が無いことから、

クラスでの日々のことや 様々な生徒のことで、 パニック状態に陥っているようだった。



発達障害かもしれないと伝えられていたら

もし先生からこの時点で、 娘に発達障害あるのではないかと伝えられ、

検査を受けるように勧められていたとしたら、娘の人生は違ったものに なっていたかもしれない。


これは私がかなり後になってから思ったことだ。

実際、 障害については何も伝えられず、 どうしようもないことだったのだが・・・。


発達障害とは伝えられなかった要因とは?

娘に 発達障害があるのではないかと 担任の先生から伝えられなかった原因は、 幾つかあったように思う。



一つには、

娘に発達障害があるのではないかと 担任の先生が疑ったとしても、

正式な検査をしたわけでもなく、確信が持てないという状況。

新米の先生が その判断だけで、 或いは他の先生方に相談したとしても

それを簡単に 私達に伝えることはまず無いのではないか。


もし、 誰から見ても、或いはとてつもないトラブルが学校内や家庭で起こり、

ほぼ100%発達障害に違いない! そういった状況になれば別かもしれないが、

そうでなければ責任問題などが絡んでくるので、簡単には告げられなかったのだろう。

(担任だけでなくひいては校長先生なども)





もう一つには

娘は勉強が比較的よく出来たのだが、 特に算数は得意で、計算は恐ろしく速かった。

また、 成績はクラスの中で 上のほうだったこと。

学校では娘のように比較的 勉強のできる生徒に対して確定していないのに

発達障害 云々を口にだして告げるのは、 はばかられたのだろう。


それらのことが、発達障害等について告げない原因になったのではないか、

私はそう考えている。



これらはあくまでも

私自身の推測に過ぎないのだが・・・。



※上記の、 娘についての状況や発達障害に関する記述は、あくまでも娘個人についてのことであり、他の発達障害の方々に共通するものではありません。




小学校4年生の時の様子はこちらから
↓↓
harandiary.hatenablog.com