こんにちは。
人によって家事の大変さの順序は異なると思いますが、
僕は個人的に、料理がもっとも大変な家事だと思っています。
離乳食の話をする前に、なぜ料理という家事が
他の家事に比べて大変なのか考えてみましょう。
個人的に、その理由は大きく2つあると思っています。
1つ目は、実は作る以外の工程がしんどいこと。
2つ目は、自分で時間をコントロールできないこと。
まず、1つ目から考えていきましょう。
普段料理をしない人がたまに料理をする場合、作りたいものを決め、
レシピを見て、それに合わせて材料を買い、レシピ通りに作って終わりだと思います。
ここにしんどい作業は出てきません。しかも一回きり。
レシピ決定(作りたいもの)
↓
材料購入
↓
調理
ところが、毎日料理を作る場合はどうでしょう。
在庫確認(冷蔵庫チェック)
↓
レシピ決定(古い食材から使いきりたい)
↓
材料購入(不足分、なるべく安く日持ちさせたい)
↓
調理(家族の味の好みに合わせて調整)
↓
在庫確認(冷蔵庫チェック)
↓
レシピ決定(古い食材から使いきりたい)
↓
・
・
・
永遠に続く
一回の食事だけで見ると工程が1つ増えるだけなのですが、
同じ工程でも、実は()の中があることが、とても重要です。
この()の存在が「自分の好きな料理が出来るわけではない」状態を生み出します。
つまり毎日料理を続けることは、常に一定の制約条件の中で作業しているということになります。
そしてこれがエンドレスに毎日続くというのが更にポイントで、
そうなるとレシピが枯渇してくるわ、冷蔵庫チェックを忘れる日もあるわ、あれ食べたいこれ嫌だと言われる日もあるわで、
その制約条件が日によって厳しくなったり変化したりする訳です。
(もちろん、逆に緩くなる日もあります)
仕事に置き換えてみると、これがいかにストレスな状態か想像できると思います。
僕は料理が大好きです。
レシピをあれこれ考える時間も含めて、大好きです。
それもまた料理の一部であり醍醐味だと思っています。
でもそれは時に足かせになります。
裏を返すと、考える行為が辛い状態では、料理という家事は一気に滞るのです。
料理は、実は考える行為が起点となっている家事であり、
これが、考える比重よりルーチンワークとしての比重の方が大きい掃除や洗濯との、大きな違いであると思っています。
たまにしか料理を作らない人には、この風景が見えていません。
自分がたまに作るときの作業を、1日3回繰り返しているものだと思っています。
毎日料理をする場合は、前提となる制約条件が常に発生していて、且つそれが厳しくなったり変わったりする。
もし料理をしない男性がこれを読んでいるとしたら、
是非このことを覚えておいて欲しいと思います。
人によって家事の大変さの順序は異なると思いますが、
僕は個人的に、料理がもっとも大変な家事だと思っています。
離乳食の話をする前に、なぜ料理という家事が
他の家事に比べて大変なのか考えてみましょう。
個人的に、その理由は大きく2つあると思っています。
1つ目は、実は作る以外の工程がしんどいこと。
2つ目は、自分で時間をコントロールできないこと。
まず、1つ目から考えていきましょう。
普段料理をしない人がたまに料理をする場合、作りたいものを決め、
レシピを見て、それに合わせて材料を買い、レシピ通りに作って終わりだと思います。
ここにしんどい作業は出てきません。しかも一回きり。
レシピ決定(作りたいもの)
↓
材料購入
↓
調理
ところが、毎日料理を作る場合はどうでしょう。
在庫確認(冷蔵庫チェック)
↓
レシピ決定(古い食材から使いきりたい)
↓
材料購入(不足分、なるべく安く日持ちさせたい)
↓
調理(家族の味の好みに合わせて調整)
↓
在庫確認(冷蔵庫チェック)
↓
レシピ決定(古い食材から使いきりたい)
↓
・
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永遠に続く
一回の食事だけで見ると工程が1つ増えるだけなのですが、
同じ工程でも、実は()の中があることが、とても重要です。
この()の存在が「自分の好きな料理が出来るわけではない」状態を生み出します。
つまり毎日料理を続けることは、常に一定の制約条件の中で作業しているということになります。
そしてこれがエンドレスに毎日続くというのが更にポイントで、
そうなるとレシピが枯渇してくるわ、冷蔵庫チェックを忘れる日もあるわ、あれ食べたいこれ嫌だと言われる日もあるわで、
その制約条件が日によって厳しくなったり変化したりする訳です。
(もちろん、逆に緩くなる日もあります)
仕事に置き換えてみると、これがいかにストレスな状態か想像できると思います。
僕は料理が大好きです。
レシピをあれこれ考える時間も含めて、大好きです。
それもまた料理の一部であり醍醐味だと思っています。
でもそれは時に足かせになります。
裏を返すと、考える行為が辛い状態では、料理という家事は一気に滞るのです。
料理は、実は考える行為が起点となっている家事であり、
これが、考える比重よりルーチンワークとしての比重の方が大きい掃除や洗濯との、大きな違いであると思っています。
たまにしか料理を作らない人には、この風景が見えていません。
自分がたまに作るときの作業を、1日3回繰り返しているものだと思っています。
毎日料理をする場合は、前提となる制約条件が常に発生していて、且つそれが厳しくなったり変わったりする。
もし料理をしない男性がこれを読んでいるとしたら、
是非このことを覚えておいて欲しいと思います。