ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

セルフヒーリング・クックブック

昔いい本をたくさん持っていたのに、気がつくと手元に残っていない。断捨離の結果。

 

断捨離はすっきりして気持ちがいいから、その時は何か高揚感に包まれて「捨てモード」のスイッチが入る。迷ったら取っておくではなくて、迷ったら捨てる、その迷いがいけないんだ、どんどん手放そうとなりやすい。そうしないと物は溜まる一方なのだから仕方がないけれど。

 

それでもあの本はやっぱり取っておけばよかったと、後で後悔することもある。今の自分の原点のようなマクロビオティックの本、ベジタリアンの本、、、。何度も何度も見て、作って、色々な思いがこもった本。でもある時期から「人のレシピにばかり依存するのは違うのではないか」と思い始め、もうレシピ本は要らないと勢いでほとんど捨ててしまった。

 

それでも手放さなっかったのがこの本。

 

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度重なる断捨離を経て、それでも手元に残ったセルフヒーリング・クックブック

 

それこそもう25年ぐらい前に買った本だ。すっかり黄ばんでしまったけど、久しぶりに目を通してみると、今でも心に響く内容でびっくりしてしまう。

 

裏表紙の説明によると、「著者のクリスティーナ・ターナーが自らの主婦としての経験や主催するセルフヒーリングのための料理教室での体験をまとめ、1987年に自費出版したもの」とある。なんと始まりは自費出版だ。

 

そして「お料理ブックの域をこえて・・・セルフヒーリングの旅へといざなう、暖かみあふれた手引きの書」とサブタイトルがついていて、最初のページにセルフヒーリングについて書かれている。

 

セルフヒーリング・・・自分で自分をいたわってあげること

 

シンプルな言葉の中に深い意味があると感じた。「あげる」という言葉。わざわざ意識して自分をいたわってあげないと、私たちは頑張りすぎたり、無理をしたり、体を酷使したりしてしまうということだろう。また、「暖かみあふれた手引きの書」とあるように、全編を通して心癒される、手描きのイラストが満載だ。そして、食生活がいかに私たちの心と体に影響を及ぼすかについて、わかりやすく書かれている。

 

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手描きのイラストに癒される

 

 ターナーはこの本の中でレシピはもちろん、他にも色々な提案をしているが、「フード/ムード日誌をつけよう」Starting Food / Mood Journalという提案がとても気に入った。自分はどんな心情の時、どんな食べ物を食べる傾向があるのか、またどんな食べ物を食べた時、心と体にどんな変化が起きるのか等、食べ物と自分の心身の関係を探りながら、セルフヒーリングのプロセスを大切にしていくという提案だ。

 

確かにイライラすると、なんとなくだらだら過食してしまい、お腹が重くて活動も鈍り、メンタルもますます沈んでいく、なんてことはよくある。逆に夏の暑さにへたばっている時に、トマトをひとつ丸かじりしただけで、生き返ったようにエネルギーが溢れてきたりするから本当に不思議だ。

 

私はこれに加えて、セルフケア日誌をつけている。日誌というほど大げさなものではないけれど、具合が悪くなった日にちと症状をちょっと書き留めておく。長年つけていると「春の終わり頃にめまいが出やすいな」とか「去年もおととしも何故か11月に決まって頭痛が出てる、どうしてだろう」等、意外と発見があるものだ。事前予防的に、その頃には何を気をつけようとか、どんなケアをすればいいかなどを探りながら、自分の体や食べ物に自然と意識が向く。最近では「気象病」といって、めまいと天気の関係も明らかになってきたけど、私たちの体はやっぱり季節の巡りに敏感に反応し、影響を受ける。自然界とは切っても切れない関係なのだ。

 

私が著書を読んで感銘を受けている七合診療所所長の本間真二郎先生は、多忙な大学病院の医師を辞め田舎に引っ越したご経験から「自然から離れるほど、いのちが減っていくーつまり病気になります」とおっしゃっているが、まさにその通りだと感じている。 

 

shizenha-ishi.com

 

☆最後にターナーのこんな言葉をご紹介します。

もし祖先の人々が、私たちの食べているものを見ることができたら、泣くのを通りこして大笑いするかもしれないと思うことがあります。

 

この本が最初に出版されてから30年以上経っても、まだ私たちを取り巻く食の環境は変わっていない。それどころかますますひどくなっているかもしれない。未来の人たちが現代の私たちの食べているものを見て、昔はすごいものを食べていたんだねと大笑いする日が来ればいいけれど。