遠藤こどもクリニックは小平市の小児科アレルギー科のクリニックです。こども達の近くにいる診療を心がけています。

腰痛とメタボからの脱却とアンチエイジングを決意した64歳体育会系小児科医の日記

故郷

2020年02月09日 | 日記

もう生まれ育った八王子の

実家はない。

高校を卒業して1年浪人して

地方都市の大学に入るまでの

19年間を過ごした。


お肉屋さんで卸もしていたから。

店番をしたり食肉処理場に行ったり

飼っていた種豚の世話をした。

直接今の仕事につながっているとは

言えないが糧となってしる。


大学は行った事もない東北地方。

共通一次試験(センター試験)

成績はそう芳しいものでなく、

関東近隣の大学は厳しいし、

あまちゃんな自分は社会人になる

前に一人暮らしをすべきだと

考えていた。


高校の同級生が現役で入って

いたし、二次試験の科目も

あっているし、

自分を見つめ直すには良いと

思って選んだ厳しい北の土地。

西や南へ行こうという発想は

なかった。

一年後輩になったが高校の

同級生がもう1人入ってきた。


絶対自炊はしないだろうかと

選んだ賄い付き下宿から1ヶ月で

自由を求め6+ミニキッチン

押入れ付きのアパートにリアカー

2往復で引越した。

僕を含めて同級生3人住んでいた

アパートは

「娯楽の殿堂岩崎アパート」

と呼ばれることとなった。


6+ミニキッチン押入れ付き

物件に出窓に座る者や、押入れに

半分突っ込んだベッドに座る

複数はもちろん片足だけを

踏み入れている者も含め最高

17人が集まった。

自由はあったが独りには

なれなかったが楽しかった。

卒業まで住んだ。


その岩崎アパートもずいぶん前に

老朽化と区画整理で取り壊された。

考えたら40年も前の話。

産婦人科を一年経験し、

断腸の思いと背水の陣で東京に

戻ってはや35年目だが自分は

東京人とは

言いきれない気がしている。


大学の同期会が5年毎に

秋田と東京で交互に行われる。

今年は東京なので、幹事会と

称してあつまることになっている。

あのまま秋田に残っていたら

どうなっていたのかと時々考える。


若い時に生まれ故郷を忘れられず、

自分の道を思い悩み戻ってきた

けれど思えば優しい土地だった。

3人いた高校の同級生は僕以外は

そのまま秋田で今も過ごしている。

今ならあらためてあの優しさと

静かさの大切さがわかる。



故郷

その人に古くからゆかりの深い所。

生まれ(育っ)た土地や以前に

住み、またはなじんでいた場所。

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