リタイア/移住/安心介護=年金だけでは将来不安な日本を出て南国フィリピンで悠々生活の実現を!「悠々苑」で

生活費が日本に比べて半分の国で暮らせば毎月の年金が2倍に増えたと同じです。年金受給者・介護でお悩みの方にもお勧め!

日本とは対極にある「マクナマタタ」、又は「ケセラ・セラ」

2020-09-23 17:50:57 | 日記
「マクナマタタ」はフィリピンでは慣用句として結構使われるらしいですが(「らしい」と言うのは、そう聞くけど私自身、誰かに面と向って「マクナマタタ」と言われた事は無いので「らしい」と書いておきますが)フィリピン人の精神構造としては誰もが基本に持っている考えのようです。似た言葉で言い換えるなら「ケセラ・セラ」これは聞いた事があると思いますが、一応ウィキペディアで調べたら下のように書かれていました。  
「ケセラセラ」 (Que Sera, Sera) は、ドリス・デイの1956年の楽曲である。
同年のヒッチコック監督映画『 知りすぎていた男 』の主題歌で、主演女優で歌手でもあるドリス・デイ( Doris Day ) が歌った。「 Que Será, Será 」は「 なるようになる(Whatever will be, will be) 」という意味のスペイン語だとされることもあるが実際はスペイン語の文としては非文法的であり、スペインで用いられた歴史もない
「 意味は、要は「なるようになるさ 」、考えても仕方がない。= 自分が考えてどうにか出来る事ならともかく、そうで無い事をイチイチ考えあぐねて思い悩むのはつまらない事だ。
何事も計画好きで、生真面目な、日本人の「どうなるか皆目、不確定要素ばかりの将来をあれこれ考えあぐねて、思い悩む」という傾向の対極にあるフィリピン人の、いかにもラテン的な大雑把さ「考えても仕方の無い事は考えない。 全ては神様の思し召し(おぼしめし)という、楽天的というか、結構能天気な気質。 スペイン文化に造詣の深い某舞台俳優は、「スペイン人は朝生れて夜死ぬのだ、だから、生きている今の一瞬一瞬を最大限に楽しむ事に全力を尽くす。 明日の太陽が拝めるという保証はどこにも無いのだから、、」という極めて刹那的とも言える人生観。 昔の江戸っ子の「宵越しの銭は持たない」に似たところがあります。
だから、フィリピン人は皆、陽気で明るい。 聞いてみたら旦那は今失業中、奥さんも無職、小さな子供が5~6人居て、明日の食べ物を買うお金のメドも立っていない(=一般に貧乏な家庭では自分で調理するよりも御飯だけ炊いて、オカズは買う事が多い)。 日本人なら真っ青になって深刻に思い悩むような状況ですが、フィリピン人は至ってノンキ。 それこそ標題の「マクナ・マタタ」です。 江戸っ子風に言えば「お天道様と米のメシは、何処でも付いて回る」という実にアッケラカンとした、「開き直り」があります。 まあ、フィリピン人の場合、元々「先を読む」という計画性に欠ける傾向があるので、先の問題をちゃんと把握していないとも言えるのですが、、そうは言ってもこの明るさは見事です。  
例えばフィリピンの貧乏で子沢山の夫婦が日本人を見たら、「貴方達、毎日、食べるには困らないだけの何がしかの収入もあって、身体も一応は健康で、それなのになんでそんな暗い表情をしているの? 貴方達は十分に神様に祝福されているのよ! それをもっと感謝して、楽しく暮らすべきよ!」と言うでしょう。 こちらの人は「もっと、Blight sideを見る」と言いますが、「物事の暗い面、問題点ではなく、明るい面をもっと見ようよ!」という考え方です。 どちらが正しいという問題ではありませんが、「何事も考え方一つで大きく変わる」のは真実で、 人生なんて何から何まで計画通りに進む訳が無い以上、ちゃんと考えて行動しているなら、その先は楽観的に、いつも前向きに明るく生きるのがやっぱり精神にも健康にも一番良いだろうと私は思います。 マクナ・マタタ 又は ケセラ・セラで毎日を明るく!   

最新の画像もっと見る

コメントを投稿