不登校が生み出す絶望感
不登校の解決策ってそれぞれ過ぎて決定だなんてないんだけど、二つに分かれていて、学校に行きたい 学校に行きたくない
勉強がしたい 勉強がしたくない
人と関わりたい 人と関わりたくない
様々な事が重なり合って要因となっている。
とにかく自由を手に入れるために学生時代に勉強(経験)をしている事を、知れば生きる為の絶望感も生まれる代わりに生きるためには努力が必要ということも分かるはず。俺はそれを分かったのが24歳でした。それは迄は逃げの人生でね、丁度24の誕生日位に、「このままフリーターを続けたら親が死んだら俺も死ぬんだな」
と考えが過って、絶望に直面したんだよね。
今不登校の子たちも、何かしらギャップを感じていると思うんよね。その自分が思い描く友達や学校や親とのコミュニケーションを一度自分で整理して、親(誰かに)に伝えられて、全員で取り組み必要がある。
だから俺も現在、子供には学校であった
- 良いこと
- 悪いこと
全て聞いてる、話をしてくれるまでは。その話をしてくれる期間をどこまで引き出せるかだよね。それが親子の信頼関係なのかな。
子供へ不安なのが俺が不登校になった切っ掛けのような親からの期待感を持ってほしくないということと、人間関係。人間関係は致し方ないところもあるだろうけど、親の立ち振る舞いをみて影響受けているだろうしね。
こればっかりは自立するまでは、親の任を果たせたかは分からない。