ここのブログは経済学の基礎知識について書いた記事の保管庫として開設し、現在補講として「将来の予想と合理的期待仮説」について書いていますが、今回は時評的な意味合いも含めます。

 

経済学の世界で出てくる予想とか期待という言葉でありますが、ある意味これは政府や中央銀行が国民や民間企業の経営者らからの信用や安心感を築くと言ってもいいかも知れません。その信用とは景気や雇用を安定させ、所得を持続的に伸ばし続けられる経済状況を生み出すことです。このような発言をすると介入主義だとか社会主義ではないかと言い出す人がいますが、資本主義経済黎明期のイングランドとかは別にして現代において政府や中央銀行が金融政策や財政政策をまったく行わない国がどこにあるのでしょうか?不思議なことに自分は自由主義者だの小さな政府主義だなどと言っている人が、日本はハイパーインフレを起こすかも知れないから財政規律を守らねばとか、バブルの発生を防ぐために民間企業に過剰投資させてはいけないなどと言っていたりします。言っている自称・自由主義者の本人は気づいていないかも知れませんが、財政規律を守るというのはれっきとした政府の財政政策ですし、バブル発生防止のために企業に過剰投資をさせないという考え方も実は干渉主義であり、民間企業の経営活動の抑制です。仮にハイパーインフレのような状況が起きて、それを鎮火させるときも結局政府や中央銀行が金融や財政政策の態度を変えることで解決するしかありません。

 

保守、小さな政府主義や自由主義的経済思想は、極力政・官が民間企業による経済活動の発展に協力し、その妨げにならないように余分な規制や政治的干渉や介入をしないということです。民間企業のポテンシャルを十分に引き伸ばすことで、国富の最大化を目指すのが保守や自由主義流の経済政策観です。民間活力の最大化といえば規制緩和や民営化などを思い出す方が多いですが、金融緩和政策もそれに入ります。民間企業が研究開発や設備投資、雇用といった投資がしやすいように資金調達コストを下げる配慮が金融緩和政策の狙いです。逆に1990年代初頭に日銀の三重野康総裁がバブル退治だといって行った金利引き上げは銀行による民間企業への融資態度を硬化させ、企業の投資を一気に冷え込ませています。これこそが官による民間経済活動への介入や抑制といえましょう。

 

話がかなり脱線しましたが、今回のコロナウィルス蔓延で起きてしまった製造業・観光産業・宿泊業・輸送業・遊興業・流通業界等への経済的打撃に対し、政府が財政出動で被災企業や個人を支援することは自由主義の理念に反することでしょうか?私はそう思いません。平時においては民でできることは民に委ねていくべきだが、民間だけでは対応できない疫病や天災、戦災等については政府が動き、民に手を差し伸べるべきでしょう。コロナウィルス発生による供給ショックや需要ショックは短期的なものかも知れませんが、この間にも生産停止や売り上げ急減などによって資金繰り悪化に追い込まれ、借入金返済や従業員への給与支払いができなくなってしまう企業が出てきています。北海道の観光バス会社は中国などからのインバウンド需要が急に落ち込んで、運転手を解雇したり会社自体を廃業させてしまったりする動きが広がっています。恐ろしい話です。あと突然に無収入になってしまった人たちも大勢いるでしょう。

 

経済活動は人間の生命活動とよく似ています。心臓が停まって各組織・細胞に血液が循環しなくなると、それが壊死して死に至ります。現在起きているコロナショックやちょうど9年前に起きた東日本大震災のときは心筋梗塞を起こしたようなものです。

 

経済活動の麻痺で普段わたしたち国民に多くの富や財を産み出し続けてくれている民間企業や勤労者が次々と壊死してしまうようなことがあってはなりません。そうなってしまうとコロナウィルスが収束してからも民間の生産活動や消費がなかなか回復しないということになってしまう恐れがあります。非常時には思い切った財政出動で政府が民間を助けていくことは現実的対応となります。非常時を脱した後で民間企業が頑張って収益をあげ、政府に租税して借りを還していけばいいことです。

 

非常時においても政府が国民・民間企業をしっかり守り支えるといった行動をいま政府が示すことで、多くの人々に信頼や安心感を与え、持続的な経済成長の実現へと結びつくことでしょう。

 

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