前回記事「中央銀行の独立性が通貨の安定を保障するのか? 」という記事であるトンデモな経済怪説動画について批判をしました。

 

問題の動画、「中央銀行ってなに?~お金の歴史から読み解く通貨の信認とは~

 

 

この動画は金融政策や中央銀行の役割に対する知識が中途半端で、経済活動の維持安定に重要な民間企業や個人の事業や投資意欲の活発化あるいは逆に鎮静化という重大使命について説明されていません。明らかに欠陥動画です。そればかりではなく貨幣の発祥や意味についての説明がまるでなっていません。この動画以外で貨幣の歴史とかを調べ直していくと、致命的な誤解や下調べ不足、矛盾点が山ほど見つかります。貨幣の発祥や信用創造がいかなる形で生まれたのかということを正確に知らないと金融危機の発生や銀行の預金封鎖がなぜ発生するのかがきちんと理解できません。

 

そして私がひどく驚いてしまったのは、この動画で貨幣の価値を裏付けるもの(のひとつ)は金(gold)だと言ってしまっていることです。この人は重金・重商主義者でしょうか?MMTer(現代貨幣理論支持者)ですと「金属主義」といって批判することでしょう。(念のために強調しておきますが私はMMTを支持していません) 重金・重商主義者は富とは金・銀・銅などの貴金属や宝飾品といったものであると考え、その蓄財によって豊かになれると主張していました。しかしアダム・スミスらによってそれは否定され、富とは人々が日々使用する実物財であると指摘します。私もそう考えます。砂漠のど真ん中や無人島で金銀や宝飾品が価値を持つものでしょうか?それよりも水や食糧品などの生活物資の方が貴重となります。動画が説明していたように金や銀を信用の裏付けとして貨幣(紙幣)を発行する金本位制が19世紀~20世紀の間に世界各国で採られていましたが、それが貨幣の本質なのかというとそうとはいえません。

 

ここでウィキペディアの「貨幣史」より、貨幣の起源や機能について(2)書かれた箇所を引用しておきましょう。

 

貨幣の起源は、市場や貿易とは別個にあるとされる。貨幣の機能には、(1)支払い、(2)価値の尺度、(3)蓄蔵、(4)交換手段があり、いずれか1つに使われていれば貨幣と見なせる

貨幣の4つの機能は、それぞれ異なる起源を持つ。

(1)支払いの貨幣は、責務の決済を起源とする。賠償、貢物、贈物、宗教的犠牲、納税などがこれにあたる。

(2)価値尺度の貨幣は、物々交換や財政の管理を起源とする。歴史的には単位のみで物理的に存在しない貨幣もある。

(3)蓄蔵の貨幣は、財や権力の蓄積を起源とする。食料や家畜、身分を表す財宝などがこれにあたる。

(4)交換の貨幣は、財を入手するための交換を起源とする。売買がこれにあたる。4つの機能をすべて備えた貨幣が使われるようになるのは文字を持つ社会が発生して以降となる

前述のように貨幣には4つの機能があり、いずれかに使われていれば貨幣と見なせる。歴史的には、用途によって特定の機能の貨幣があり、複数の貨幣を組み合わせていた。バビロニアでは価値尺度としての銀、支払い用の大麦、交換用の羊毛やナツメヤシなどが使い分けられた。中国の漢では賜与や贈与の目的や立場に応じて、金、布帛、銅が厳密に使い分けられた。

 

一般的に多くの人たちが認識している貨幣の発祥説は(2)や(4)のように実物財の交換やそのときの価値尺度を表すものだったり、(3)のように財を得る権利を保全する手段として生まれたというものですが、(1)の財を手渡すとか奉仕するといった責務を果たす約束の証や手形として貨幣が生まれたという説も有力になっています。

(1)については何のことやらピンとこないかも知れませんが、現代の私たちが日常で遣っているクレジットカードになぞらえると意味がわかってきます。クレカは現代のツケ払いシステムやツケ帳みたいなものです。

お店で素敵な商品を見つけたけれども、手持ちの現金が不足していたとしましょう。そのときにクレジットカードをお店に示して手渡すと現金がなくても商品を購入できます。しかしその時点であなたは負債をつくってそのお店ないしはクレジット会社から借金したことになります。当然あなたは後日カード会社を通じて商品を買ったお店に負債を還す必要が出てきます。原始や古代における貨幣もそんな形で生まれたという説があるのです。文化人類学者のデヴィッド・グレーバーという人は「負債論~貨幣と暴力の5000年~」という本の中でそれを説明していました。池田信夫氏や飯田泰之さんもそのことを取り上げています。

 

参考1

池田信夫氏 「国家が貨幣と市場を生み出した:『負債論』 」

参考2

飯田泰之 明治大学准教授 「お金とは何か」日本史で考えると、その本質がこんなにクリアになる

 

貨幣の原型が生まれたのは、農耕社会になった新石器時代(1.2万~1.1万年前)です。農作物は種をまいたり苗を植えてから収穫までの間タイムラグが発生してしまうのですが、それを埋めるために貨幣が活用されました。

例えばリンゴ農家のキツネさんがタヌキさんがつくっているぶどうがほしいとします。ところがキツネさんがつくっているリンゴがまだ実っていません。そうしたときにキツネさんが「リンゴが実ったらタヌキさんに差し上げます」という約束手形を渡し、タヌキさんが持っているぶどうを先に頂きます。このときキツネさんはタヌキさんに借りをつくったことになるのです。

動画では物々交換だと同価値のものを用意する必要があって面倒臭い。取引のスピードを上げるために貨幣が生まれたという説明をしていますが、掘り下げが浅すぎます。仮に物々交換で自分か相手が同価値のものを用意できなかった場合、どちらかが「いつか同価値のものを渡すから」という”借り”を発生させることになります。その債務の記録や証、約束手形が貨幣であったということです。

 

結局お金というものはそれを象る材料そのものに価値があるのかというと違います。お金というのは人間が使う言葉とか文字、記号、データと同じで脳化した存在です。引用したウィキペディアの解説でも「4つの機能をすべて備えた貨幣が使われるようになるのは、文字を持つ社会が発生して以降となる。」と書かれており、それを裏付けています。

(私はあまり使っていませんが、MMTerはこれを表券主義だと言っているようです)

貸し借りの記録、責務や約束の証、実物財の価値水準といった数値を残す方法や材質は何でも構いません。貨幣として遣われた記憶媒体は金銀だけではなく、紙切れから貝殻、穀物、巨石、家畜、布、刑務所ではタバコ、ハイパーインフレが進んだベネズエラでは卵なんて例もなんかもありました。現代は電子決済が当たり前になっていますが、これこそ貨幣が極めて脳化された存在であることの証左であり、貨幣の究極形態であるといっていいでしょう。貨幣はものの価値とか責務を果たす信用を表す偶像であり象徴なのです。それが太古の昔から現代に至るまで変わらないお金の本質です。金本位制下の金(gold)についてもやはり偶像や象徴でしかなかったのです。

 

あと動画の4分30秒目あたりから1844年にイングランドで制定されたピール銀行条例についての話が出てきます。ピール銀行条例が導入された背景は当時特権認可された複数の銀行が独自に銀行券を発行し、しかも保有する金(gold)の量を無視して濫発したために金融危機や銀行倒産が頻発し、銀行券が紙屑となってしまうような混乱が発生していました。それを防止するためにイングランド銀行を中央銀行とし、それ以外の銀行が銀行券を発行することを禁止しました。イングランド銀行券を新規発行する場合は同額の正貨(金貨・銀貨)の準備をしなくてはならなくなったのです。しかしながら動画の説明だけでは当時の金融混乱について理解しきれません。時代をもっと遡りゴールドスミスや信用創造の発祥について知らないといけないのです。

 

もともと銀行家の前身は金細工職人=ゴールドスミスであったことは「無からマネーを生み出す信用創造 」で紹介しました。

 

 

ゴールドスミスは貴金属の加工を行い、金貨や銀貨の鋳造も行ったりします。当然彼らは盗賊に金品を奪われないように強固な金庫を持ちます。この金庫で自分の財貨を預かってほしいと思う人が多くいて、ゴールドスミスは貸金庫業も兼業するようになり、その預かり証である金匠手形(ゴールドスミスノート)を発行します。。この手形は金貨・銀貨のかわりに市場で商取引に遣われ始め、さらにゴールドスミスは預かったお金を遣って金貸し業もはじめます。これが銀行の発祥です。

ここでゴールドスミスはとんだ悪知恵を思いつきました。「どうせオレの金庫の中なんか誰も見ていないんだから、手形だけ発行してそれを貸し出せばもっと儲かるだろう」というものです。これが信用創造へとつながっていきます。つまりは保有している金銀の量より多くの手形を発行し出したのです。とんだペテンです。

ゴールドスミスのことはウィキペディアにも記載されていますし、 「お金ができる仕組み 銀行の詐欺システム」というアニメーションでも登場します。

 


普段何もなければ金匠→銀行家のペテンはバレませんが、何かで悪い噂がたって「あそこの銀行はオレたちが預けた金を還せるのか?」と不安が拡がると一斉に顧客が預金払い戻しを求めます。こうなったら一巻の終わりで預かっている金銀以上の額の手形を発行していたことが皆に知られて銀行は破綻します。当然手形の価値は一気に失われ紙屑になります。これが取り付け騒ぎや金融危機というものです。銀行などの経営破綻が危ぶまれると預金封鎖などが行われたりしますが、信用創造のことを理解していないと発生原因が説明できません。

ピール銀行条例前はこんなことが頻発していたというわけですが、動画ではそのことを伝えていません。信用創造のことまで踏み込んでいないのです。

 

信用創造によって取り付け騒ぎやらバブルが発生したりしたわけですが、決して負の面だけではありませんでした。私は信用創造があったからこそ産業革命が実現し、近代文明の発展が成し遂げられたと見ています。産業革命初期の手工業的事業でしたらまださほど大きな資金が必要でなかったのですが、蒸気機関や鉄道、船、製鋼などになってきますとかなり巨額の資金が必要となってきます。株を発行して資金を集める他に銀行が融資するという方法でその事業の資金が調達されます。このときに信用創造が大きな役割を果たすのです。


動画では「市場に流通している金の量だけでは産業革命後に巨大化した世界経済を賄えなくなった」という説明をしていますが、それよりも先に金の量に縛られて新しい産業を興すための資金が調達しきれないという問題が金本位制に存在していました。民間の実業家たちの資金枯れで恐慌を引き起こすといったことが何度か発生します。ピール銀行条例は新銀行券の発行に100%の金準備率が要求されていたのですが、金融危機の際には政府は条例の効力を保留することが可能となっており、1847年と1857年、1866年と3回もそれが実行されています。

 

よく考えてみると経済成長をするということは国内総生産高が上がっていくことですが、そのときにその分お金の量が殖えています。そのお金はどこから産まれたの?という疑問がわいてきますね。自分は「お金をどんどん刷ってやれば景気が良くなるんダー、経済成長するんダー」などという短絡的な思考をまったく支持できませんが、GDPが増えるということは民間が事業拡大のために積極投資をはじめ、それに伴って信用創造が進まないと起きえない現象ではないかと思えてならないのです。

 

自分が2017年にYahoo!blogsでいまの前身となるブログを開設したときは井上智洋さんや山口薫氏らのように通貨改革を行って、新たに生まれるお金は政府貨幣(公共貨幣)とし民間銀行の信用創造を停止すべきだとか、フリードマンが主張していた100%マネーとかk%ルールを適用せよなんて主張をしていたことがあったのですが、では民間銀行の信用創造を停止してしまったら民間が大型投資のために巨額の資金を必要としたときに対応できないのではないかという疑問が出てきたのです。それによって井上智洋さんや山口薫氏らの主張を支持していたグループから私は離れました。民間企業の投資を理解していない発想だったからです。

 

本来豊かな社会とは何かといえば質が高くて優れたものやサービスがたくさん市中に出回っていて、誰でも手軽にそれを入手できるような経済環境が整っていることだと私は考えますが、重金・重商主義的な思考や金本位制回帰という幻想に囚われてしまった人たちは実物財の生産や供給を活発化させるという発想ができていないのです。

 

問題の動画の制作者は自分で自由主義者だの、反社会主義だのと言っていますが、社会主義経済の行き詰まりは民間の自由な事業活動の抑圧やその否定が原因で起きています。投資という発想がないので社会主義国家では経済成長や民間産業の発展が停まっていました。彼が制作した動画をいくつか視聴すると新しい事業への投資といった観点が完全に欠落しているのです。お金の価値を守ることにしがみつき過ぎて、投資で実物財や富を殖やすという発想はどこにも見当たりません。彼に限らず悪しき日銀理論に染まった人たちはその傾向にあります。

 

日本という国を豊かにし続けるには、優れたもの創りやサービス創りが不可欠で、それを実行するにも潤沢な資金を調達し、投じていかねばなりません。過去30年以上に渡り日銀は民間事業者の事業意欲を挫くような金融政策を続け、投資の萎縮を招いてきたのです。私はむしろこの状態こそが日本のゆるやかな社会主義化に他ならないと思っております。彼は別の動画で「民間の投資機会がないのに」なんてシナリオを書いてしまっていますが、こういう主張は脱成長とか脱資本主義的なことを言っている日本の左派論客が唱えていることです。

 

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「新・暮らしの経済」~時評編~

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