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ヨシヒロの読書ブログ

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投資で一番大切な20の教え 賢い投資家になるための隠れた常識

前書き

今回は株式投資に必要な投資哲学についての本『投資で一番大切な20の教え』について書きたいと思います。本書は世界最高の投資家ウォーレン・バフェットが推薦する投資哲学についての本です。 

著者について

著者のハワード・マークスは、運用資産800億ドル以上の投資会社であるオークツリー・キャピタル・マネジメントの会長兼共同創業者です。

はじめに

投資を成功させるには、数多くの独立した要素に、同時に思慮深く注意を向ける必要がある。

 

投資哲学というものは、周りをよく見渡しながら生きていくことで育まれる。投資家は、世の中で何が起きているのか、その結果どのような状況が生じるのかということを意識していなければならない。そうすることでのみ、過去の教訓を同じような状況が再現されたときに生かせる。過去の教訓を生かしそこなうことは、ほかの何にもまして、投資家をバブルと暴落のサイクルに翻弄されつづける運命へと導く要因になる。

二次的思考をめぐらす

投資の目標は平均的なリターンを得ることではない。平均を上回るリターンをあげることだ。そのためには、ほかの人よりもすぐれた、より強力かつ高次元の思考を身につける必要がある。

 

誰も思いつかないことを考える。周りが見逃しているものに目を向ける、ほかの人にはない洞察力を発揮するといったことが必要であり、他の投資家とは違った反応や振る舞いをしなければならない。つまり、投資で成功するためには、物事を正しく見極めることが必要条件になるだろうが、それだけでは十分条件にはならない。ほかの投資家よりも正確に見極める力が必要なのだ。言い換えれば、周りとは違う思考方法を持たなければならない。

 

それでは、二次的思考とはどのようなものだろうか。

 

「これはよい企業だから、株を買おう」というのが一次的思考。一方、「これはよい企業だ。ただ、周り偉大な企業とみているが、実際にはそうではない。この株は過大評価されていて割高だから売ろう」というのが二次的思考である。

 

標準よりもすぐれたパフォーマンスを達成するためには、標準的ではない見通し、ひいてはポートフォリオを持たなければならない。そして、その見通しはコンセンサスよりも正確でなければならない。周りと違っていて、なおかつ、よりすぐれていること。二次的思考の特徴を端的に説明すると、こうなるだろう。

市場の効率性(とその限界)を理解する

効率的市場仮説は以下のように説く。

 

市場参加者の力が結集することで、情報は完全かつ即座にそれぞれの資産の市場価格に反映される。そして、参加者がただちに安すぎる資産を買い、高すぎる資産を売ることで、資産の価格は絶対的にも、他の資産との相対比較で見ても公正な水準になる。

 

しかし、市場価格はつねに正しいと断言するのは不可能だ。前提条件を見ると、とりわけ説得力に欠ける要素がある。客観性だ。人間は冷徹な計算機ではない。むしろ、ほとんどの人は強欲、恐怖、嫉妬などの感情につき動かされて客観性を失い、重大な過ちを犯す傾向がある。

 

過ちとミスプライシングが起きている市場では、類まれな洞察力を持った者が勝つことが可能である。つまり、非効率性の存在によってアウトパフォーマンスの可能性が生じるのであり、非効率性がアウトパフォーマンスの必要条件と言えるのだ。ただし、市場が非効率的だからといって、必ずしもアウトパフォームできるわけではない。

 

非効率性の存在は、価格がつねに公正なわけではなく、誤りが生じていることを意味する。つまり、価格が低すぎる資産もあれば、高すぎる資産もあるということだ。割高な資産よりも割安な資産をつねに多く買うためには、他の投資家よりもすぐれた洞察力が必要なのだ。どんなときでも、すばらしい掘り出し物の多くは、他の投資家が気づいていない、あるいは今後も気づくことのないところで見つかる。ほかの者には「市場には勝てない」と思い込ませておけばよい。冒険しようと思わない者がいるからこそ、冒険する者にはチャンスが生まれるのだ。

バリュー投資を行う

バリュー投資で追求するのは安さである。一般的に、バリュー投資家は利益、キャッシュフロー、配当、実物資産、企業価値などの財務指標に注目し、これらから安いと判断した銘柄を買うことを重視する。したがって、バリュー投資家にとっての第一目標は、発行企業の現在価値を定量化し、安く買えるときに株を買うことである。

 

バリュー投資のアプローチを採用することにし、証券や資産の本質的価値を推計したら、次に重要となるのはそこからぶれないことだ。投資の世界では、何かが正しかったとしても、必ずしもそれがすぐに証明されるわけではないからだ。

 

利益や配当、株価水準、あるいは事業内容についての無知(あるいは無関心)な投資家は、単純に正しいことを正しいタイミングで行うのに必要な強い意志を持つことができない。周りの人がみな株を買い、カネを儲けている状況において、株価が上がりすぎたことを理解し、その輪に加わるのをやめることなど不可能だ。また、株価が急落しているときに、持ち株を保有しつづけたり、大幅に低下した価格で買ったりするのに必要な自信を持つこともできないのだ。

価格と価値の関係性に目を向ける

本質的価値を算定する際のカギは高度な財務分析にあるが、価格と本質的価値の関係性(そしてその見通し)を理解するうえでのカギは、主として他の投資家の心を読むことにある。短期的に見ると、投資家心理はファンダメンタルズとは無関係に、証券の価格をいかようにも動かす要因となりうる。

 

絶対に理解しておくべき点は、ファンダメンタルズに基づく価値は、証券を買う日の価格を決定する要因の一つにすぎないということだ。心理とテクニカル要因も味方に つけられるよう、心がけなければならない。

 

私は堅実な本質的価値の分析に基づく投資アプローチが最も信頼に足ると考えている。一方で、本質的価値とは無関係に利益をもたらすものをあてにすること(バブルに頼ること)は、おそらく最も信頼性が低いやり方だろう。

リスクを理解する

リスクに対処するには、まずリスクを理解し、次にそれが高まったときにしっかり認識することだ。そして、最も重要な最後のステップが、リスクをコントロールすることである。

 

リスク評価が投資プロセスにおいて非常に重要な要素であると言う背景には、三つの強力な理由がある。

 

第一に、リスクは悪いものであり、分別のある人のほとんどはこれを回避あるいは最小化したがる。

 

第二に、投資を検討する際には、潜在的なリターンだけでなく、付随するリスクも考慮して判断を下すはずだ。投資家はリスクを嫌うため、追加的なリスクを許容するうえで、高めの予想リターンという見返りを求める。

 

第三に、投資成績について考える際、リターンそのものだけを見るのではなく、付随したリスクについても評価する必要がある。そのリターンをもたらしたのは、安全な資産への投資だったのか、それともリスクの高い資産への投資だったのか。

 

「リスク」とは何よりもまず、資金を失う可能性のことである。

 

理論では、高リターンは高リスクに付随することになっている。前者は後者の見返りとして存在するとの理由からである。だが実利主義のバリュー投資家は、まったく逆の考え方をする。本質的価値を大幅に下回る価格で資産を買えば、高リターンと低リスクは両立しうるというのだ。同様に、高すぎる価格で買うことは、低リターン・高リスクを意味する。

リスクを認識する

リスクの認識は多くの場合、投資家が過渡に楽観的でリスクをないがしろにしており、その結果として、ある資産を高すぎる価格で買っていると気づくところから始まる。言い換えれば、高リスクは主として高い価格とともに訪れる。個別の証券など、特定の資産が過大評価されて割高となっている場合でも、相場全体が強気のセンチメントに押し上げられて青天井となっている場合でも、価格が高い状況で及び腰にならず、輪に加わることが、リスクの主因となるのだ。

 

リスクが生じる主因の一つは、「リスクが低い」、場合によっては「リスクがまったくなくなってしまった」という思い込みである。こうした思い込みが価格を押し上げ、期待リターンが低い状況であるみもかかわらず、投資家をリスクの高い行動へと駆り立てるのだ。

 

投資リスクは主として高すぎる価格によって生まれ、高すぎる価格は多くの場合、楽観主義が行き過ぎ、懐疑主義とリスク回避が鳴りをひそめることによって生じる。

リスクをコントロールする

獲得するリターンに相応する水準よりも低いリスクをとる者こそ、すぐれた投資家だと私は考える。つまり、低いリスクをとってほどほどのリターンをあげたり、ほどほどのリスクをとって高いリターンをあげたりする者だ。

サイクルに注意を向ける

人生と同じく、投資の世界では確実なことなどほとんどない。価値は消失するかもしれず、予測は外れうる。環境は変わる可能性があり、「確実なこと」が崩れる場合もある。それでも、胸を張って信じられる原則が二つある。

 

原則その①……ほとんどの物事にはサイクルがあることがやがて判明する

原則その②……利益や損失を生み出す大きな機会は、周りの者が原則その①を忘れたときに生じることがある

 

ほとんどの物事は一本調子には進まない。前進もすれば、後退もする。好調だったものが不調に転じたりもする。急速に前進したあと、減速する場合もある。じわじわと悪くなっていたものが、急激に悪化することもある。だがどれも根底にあるのは、物事は上昇と下降、成長と衰退を繰り返すという基本原則だ。経済、市場、企業も例外ではない。必ず浮き沈みがあるのだ。

 

サイクルの存在を無視し、これまでのトレンドをそのまま未来に当てはめようとすることは、投資家が冒しうる重大な危険の一つである。人々は往々にして、好調の企業がずっとその調子を維持する、あるいはアウトパフォームしている投資が永遠にアウトパフォームしつづけるかのように振る舞う(逆方向のトレンドの場合も同様である)。だがトレンドが反転するほうが、現実となる公算は大きいのだ。

振り子を意識する 

証券市場における地合いの動きは、振り子の振動によく似ている。振り子の軌道の中心点は「平均的な」位置と呼ぶにふさわしいが、実際にその場所に振り子がある時間はほんの一瞬である。そもそも、振り子は軌道の一端からもう一端へとほぼ休みなく揺れ動いている。そして一端に近づけば、遅かれ早かれ中心点に向かってまた動きが反転することは避けれらない。じつのところ、一端に向かう動きこそが、もう一端に揺れ戻るためのエネルギーを生み出すのだ。

 

リスクに対する振り子の振動は、すべての振り子の中でも特に影響力が強いものだ。私は最近、投資における主要リスクを「損失を出すリスク」と「機会を逸するリスク」の二つに集約した。このうちどちらかをほぼ排除することは可能だが、両方をなくすことはできない。理想的な世界では、投資家はこの二つのバランスをとるだろう。だが時期によって、振り子が軌道の一端に達する、つまり、どちらかが支配的になる状況が生じるのだ。

心理的要因の悪影響をかわす

スプライシング、誤解、他人が犯す過ちなどの非効率性は、すばらしいパフォーマンスをあげる機会を提供してくれる。むしろ、こうした非効率性を逆手に取ることが、アウトパフォームしつづけるための唯一の手段である。ほかの者と差をつけるには、過ちを犯す側ではなく、見極める側にいなければならない。 

 

投資家の努力を台無しにする感情の第一は金銭欲である。とりわけ、金銭欲が強欲へと姿を変えると大きな影響が生じる。

 

強欲の力はきわめて強大だ。常識、リスク回避、慎重さ、警戒感、論理、苦痛に満ちた過去の教訓の記憶、強い覚悟、恐怖心など、本来ならば投資家がトラブルに巻き込まれるのを阻止するであろう、すべての要素をねじふせてしまうほどである。そして、時として強欲のせいで、投資家は利益を求める群衆と運命を共にする衝動に駆られ、やがてその代償を支払うはめになるのだ。

 

強欲の対極は恐怖であり、これが第二に考慮すべき心理的要因である。投資の世界において、恐怖は論理的かつ実際的なリスク回避を意味する言葉ではない。むしろ、強欲と同様に行き過ぎた様子を示すのであって、どちらかというとパニックに近い意味を持つ。つまり、恐怖は行き過ぎた懸念であり、しかるべき建設的な行為を投資家が実践に移すのを妨げるのだ。

 

三番目に論じたい心理的要因は、論理、過去、そして伝統的な規範を無視してしまう人々の性向である。こうした性向から、人は(筋が通った話ならまだしも)疑わしい投資案件であっても、カネ儲けできそうな可能性があれば受け入れてしまう。

 

投資家の過ちを引き起こす四番目の心理的要因は、たとえ明らかにおかしいところがあったとしても「多数派の見方に(逆らうよりも)同調する傾向」である。

 

投資家の行動を左右する五番目の心理的要因は嫉妬だ。人々を「もっともっと」と駆り立て続ける強欲の負の力は、他人と自分を比べることによって、さらに強大になる。これはいわうる「人間の性」の中でも特に有害なものだ。

 

六番目の心理的要因はうぬぼれである。

 

割高な銘柄がさらに値上がりしつづけている、あるいは割安な銘柄がさらに値下がりしつづけているのであれば、正しいこと、つまり前者を売って、後者を買うことを実行するほうが楽なはずだ。しかし、人はそのようには動かない。自信喪失ぎみのときに他人の成功話を聞くと、投資家はまちがった行動へと駆り立てられ、その結果、こうした傾向はさらに長続きするのだ。投資家はこのような圧力とも戦わなければならない。

 

それでは、勝率を高めるためにどのような武器を身につければよいのだろうか。以下に、オークツリーで実践していることを挙げよう。

 

  • 本質的価値を強く意識する
  • 価格が本質的価値から乖離した場合にとるべき行動にこだわる
  • 過去のサイクルに関する知識を深め、行き過ぎた相場が最終的に報われるのではなく、手痛い打撃を受けることを心得る
  • 市場が極端な状況にあるときの投資プロセスにおいて、心理的要因がひそかに悪影響を及ぼすことをしっかりと理解する
  • 「そんなうまい話があるわけない」と思えるときは、たいていの場合、そのとおりであることを肝に銘じる
  • 誤った水準にある相場がさらに誤った方向へ動いているときには(例外なくそうなるのだが)自分がまちがっているように見えることを進んで受け入れる
  • 同じ考えの友人や同僚の支持を得る(そして自分も相手を支持する)

 

これらを心がければ確実にうまくいくというわけではないが、そのチャンスを得ることは可能となる。

逆張りをする

逆張りの大まかな概念を受け入れることと、それを実践することは別だ。振り子がどこまで振れるのか、動きがいつ反転するのか、反転後にどれだけ振れるのかは絶対にわからない。

 

ただし、振り子が極限に達すると、相場が中心点に向かって(あるいは中心点を越えるところまで)揺れ戻ることは確実だ。振り子が永遠に同じ方向へと動きつづける、あるいは極限に達したあと、そこにとどまりつづけると信じていた投資家は、失望せずにはいられない。

 

とはいえ、市場に影響を及ぼす要因は数多く、変動しやすいため、逆張りも含めて、全幅の信頼を寄せられる概念やアプローチは存在しない。

 

逆張り投資家として、願わくば用心深さとスキルを携えて落下するナイフを掴みにいくのが我々の仕事だ。だからこそ、本質的価値という概念が非常に重要な意味を持つ。本質的価値に対する考えを維持し、周りがみな売っているときに買うことができれば(そして、それが正しい判断だったと判明すれば)、それこそが最も少ないリスクで最も高い利益をあげる方法なのである。

掘り出し物を見つける

賢明なるポートフォリオ構築のプロセスは、特に収益性が高い資産を買い、それらを買う余地を作るために収益性の劣るものを売り、最も収益性の低い資産は避けることからなる。このプロセスを実現するために必要な材料は、①投資先候補のリスト、②それらの本質的価値の推定、③それらの価格が本質的価値と比べてどうなのかという感覚、④それぞれの投資にともなうリスクと、それらを組み入れることによるポートフォリオへの影響に対する理解、である。

 

掘り出し物は不当なまでに価格が低く、したがってリスクに対するリターンの比率が異常に高いため、投資家にとっての「聖杯」である。こうした資産は効率的市場には存在するはずがない。ただし、私のこれまでの経験をもとに言えば、掘り出し物は日常的にあるものではないが、その存在を排除するであろう要因がうまく機能しないこともしばしばある。

我慢強くチャンスを待つ

秘訣を教えよう。積極果敢に動くよりも、資産のほうがこちらへ向かってくるのを待った方が、良いパフォーマンスをあげられる。売り手が積極的に売ろうとしているものの中から買うものを選んだほうが、自分で「これが欲しい」と決めたもののリストに基づいて投資するよりも、高いリターンが得られる傾向があるのだ。機を見るのに敏な投資家は、お買い得価格で売られているから、という理由で投資する。価格が安くないときに買っても、うまみはないのである。

 

バットをかついで打席に立つのが、バフェット流の「我慢強くチャンスを待つ」やり方だ。バットが肩から離れるのは、リスクが制御された儲かる投資機会が訪れたときだけだ。そのための選別眼を身につける方法の一つは、最大限の努力をして、今いるのが低リターンの環境なのか、高リターンの環境なのかを確実に把握することだ。

 

危機時の投資でカギとなるのは、①売りを迫るマイナス要因から身を遠ざけ、②そのかわりに買い手の立場をとることだ。これらの条件を満たすために投資家に必要なものは、断固として本質的価値を重視すること、レバレッジになるべく、あるいはまったく頼らない事、そして長期的な資本と強い意志だ。逆張りの姿勢と健全なバランスシートを拠り所として我慢強くチャンスを待てば、金融崩壊時に驚異的な利益を生み出しうるのである。

無知を知る

私は、①マクロ経済が将来どうなるのか知ることは難しい、②未来に関するすぐれた知見を持ち、それを継続的に投資する際の強みにできる者はほとんどいない、ということを強く確信している。ただし、例外的な点として、二つ挙げたい。

 

  • より狭い範囲のことに特化するなら、知見を強みとして発揮できる可能性は高まる。熱心に研究し、スキルを駆使すれば、個別の企業や証券について、隣の人よりもつねに多くを知ることはできる。だが、市場や経済について同じようにできるかというと、その公算ははるかに小さい。だから私は、「知りうることを知るよう心がけなさい」と呼びかけている。
  • 投資家はいま現在、サイクルや振り子のどこの位置にいるのかを見出す努力をすべきだ。そうすれば将来の動きが予測できるわけではないが、起こりそうな事態に備える手助けにはなる。

今どこにいるのかを感じ取る

振り子の振動を正確に予測し、つねに正しい方向に動くことができたら申し分ないだろうが、そのように期待するのはまったく非現実的だ。それよりも、以下のことに力を注いいだほうが、はるかに分別がある。それは、①相場が振り子の軌道の一端に達するときに備えて警戒を怠らない、②変化に応じて自分の行動を調整する、そしてこれが最も重要なのだが、③サイクルの頂点と谷底で多くの投資家を完全に、まちがった行動へと駆り立てる群衆の振る舞いに、歩調を合わせない、だ。

運の影響力を認識する

  • 知ることが難しいマクロの世界(経済・市場全体のパフォーマンス)について予測し、それに基づいて決断するよりも、知りうること(業界、企業、個別銘柄)の中から割安な投資先を見つけようとするのに時間を使うべきである。
  • 未来がどうなるのか正確に知ることができない点を考慮すると、資産の本質的価値を拠り所にする必要がある。そのためには、本質的価値について分析に基づいた確固たる見解を持ち、本質的価値よりも安く買える機会が生じたら動くことだ。
  • 起こりうる結果の多くは逆風となる公算が大きいため、ディフェンシブな投資を実践する必要がある。好ましい結果が生じたときに最大限のリターンを確保することよりも、悪い結果が生じた場合に確実に生き残れるようにすることが重要である。
  • 成功する確率を上げるには、市場が極端な状況になったときに群衆とは逆の方向に動くこと、つまり相場の低迷時には積極果敢に、高騰時には慎重になることが必要である。
  • 結果がどのような要因によって生じたのかはきわめて不明瞭であるため、検証を重ねて解明されるまで、戦略とその結果を(よかった場合も、悪かった場合も)懐疑的な目で見なければならない。

 

世界を不確実な場所と見るのなら、以下の点を同時に心がける必要がある。リスクに対して健全な尊重の念を抱くこと、未来がどうなるのかはわからないと意識すること、将来は確率分布の世界であると考え、ディフェンシブな投資にこだわること、落とし穴に陥らないよう気を引き締めることだ。思慮深い投資とは、まさにこういうことだと私は考えている。

ディフェンシブに投資する 

投資における守りには、二つの大原則がある。一つ目は、損失を出す資産をポートフォリオに入れないことだ。これは、幅広く綿密な調査を行うこと、厳格な投資基準を採用すること、低価格と十分な「誤りの許容範囲」を求めること、持続的な繁栄やバラ色の予測や不透明感のある出来事をあまり積極的に投資の材料としないこと、によって実行できる。

 

二つ目の原則は、相場が悪い時期、とりわけ暴落による市場崩壊が起きるリスクがある時期を避けることだ。そのためには、損失を出す資産をポートフォリオに入れないという個別の対応に加えて、慎重にポートフォリオを分散化させること、ポートフォリオ全体でリスクを抑えること、そして全般的に安全性に対する選考を強めることが必要となる。

 

ディフェンシブな投資と言うと高尚な響びきするが、要は「恐怖心を持って投資せよ」ということだ。損失の可能性を、知らないことを、質の高い決断を下しても不運や予期せぬ事態で台無しになる可能性を、恐れるのだ。そうすれば、思い上がりを防ぎ、慎重さを保ち、心のアドレナリンを分泌させつづけることができる。

落とし穴を避ける

落とし穴を避けるための重大な第一歩は、つねに目を光らせていることだ。強欲と楽観主義が組み合わさるたびに、人々は高リスクをとらなくても高リターンを生み出すと期待される戦略を追求し、流行りの証券に高すぎる価格を支払い、すでに高価格の資産を、まだ値上がりの余地があると見込んで保有しつづける。そして、あとになって誰もがまちがっていたこと、つまり非現実的な期待をふくらませ、リスクをないがしろにしてきたことが明らかになるのだ。だが、手痛い経験によって得た教訓も、落とし穴を避けるうえではそれほど役に立たない。重要なのは、落とし穴を予測しようとすることだ。

 

市場は毎日、教訓を学ぶことのできる教室だ。投資を成功させるためのカギは観察と学習にある。

付加価値を生み出す

付加価値を生み出す投資家のパフォーマンスは非対称だ。上げ相場で達成するリターンの規模(上げ幅)は、下げ相場で被る損失の規模(下げ幅)よりも大きい。相場環境が良いときに、逆境時の損失を超える規模のリターンを得るには、投資家個々のスキルに頼るほかない。これこそが、われわれが追求する投資の非対称性だ。

 

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