何才くらいやったかな、、
多分16才くらいの時。
高校はすぐにやめバイトの毎日。
バイト終わったら夜通し友達と遊びに行って家にも帰ったり帰らなかったり。
親がうっとぉしくて、特に父親とはほとんど喋らなくなっていた。
そんなある日いつものように友達と夜、遊びに行こうと駅のホームを歩いてたら、ウンコ座りして座りこんでるおっちゃんがいた。
ええ大人が座りこんで情けないなぁと思ってよく見たら自分の父親やった。
腎臓病やった父親。
ニ個ある腎臓の内、ひとつは全く機能していなく残りの一つも4分の1しか機能していなかったそう。
週に3日は仕事終わりに4時間の人工透析をしなければならない生活。
体力もおちていくなか、毎日しんどかったやろうに家族の為に一生懸命働いてくれてた。
きっとその日もよっぽど疲れてたんやろう、
人混みの中、人目もはばからず座りこむくらいやから。
それかもしかしたら毎日座りこんでたのかもしれない。
私は友達の手前、恥ずかしくて自分の父親だとは言えずにその場を逃げるように離れてしまった。
そんな自分も嫌やったし、なんで自分の父親は病気なんだろうと神様を恨んだりもした。
その後、母親を通して「自分の腎臓を一個移植したい」と伝えたら父親はいらないと言ったそう。
腎臓は二個あるから物理的にはあげれるのだが、やはり移植して一個になってしまい、私の身体に影響が出る可能性を心配したのだろう。
親になった今ならその気持ちが良く分かる。私も同じ立場で自分の子供が移植してくれると言っても反対するかもしれない。
私が23才の時に父は透析中にこむら返りが起きたらしくそのショックが心臓にきてあっという間に亡くなったそう。
最後に何か思う時間はあったんかなぁ…
人工透析さえ続けてたらずっと生きれると思ってた…。
もっとたくさん話してあげたら良かったなと後悔しても遅いんですよね。
遊びなど一切せずに一生懸命働いてくれた父親。
今だに私は何か道に迷った時や、悩んだりするといつも「父親ならどうするだろう」と考えてみたりします。
私に出来る事は、父親に恥じない生き方をする事で、それが私に出来なかった最大の親孝行だと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました♡╰(*´︶`*)╯♡
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