日本国有鉄道 労働運動史(別館)

国鉄で行われた生産性運動、通称マル生運動に関する関連資料をアップしていくブログです

生産性運動導入から、中止まで 第一四話 国労のマスコミ操作と新組合の結成

国鉄の生産性運動は、現場レベルで盛り上がりを見せており、以前から国労を脱退して、鉄労にと言う流れはありましたが、【動労も同様】生産性運動以降はその流れが顕著となりつつ有りました。

今回は、鉄労友愛会議の「国鉄民主化への道」を参考に書かせていただこうと思います。

生産性運動反対派の主流は「反戦青年同盟」

生産性運動が実施された昭和46年頃は、組合の中でも一つの世代交代の波が押し寄せた時期でした。

総評全体もそうですが、昭和21年~27年の第一次ベビーブームと呼ばれた赤ん坊が18歳から24歳くらいであり、こうした若者の中には、反戦青年委員会*1【昭和40年に総評・社会党を中心に結成されたグループ】に属する戦争を知らない世代と、戦争を経験している戦中派グループとの断絶があり、国労内でも、反戦青年委員会のグループの活動には困惑していたようです。

事情は動労も同じですが、国労反戦青年委員会を抑え込もうとしたのに対し、動労は松崎【後の動労委員長】等が、革マル派の力を後ろ盾に、反戦青年委員会を育成する方針をとっていました。

いずれにしても、青年部の勢いは強く、反戦青年委員会派が中心となって、マル生運動批判を行なっていくようになるのでした。

日本における出生率の推移

日本における出生率の推移

新聞社が行なった、ヤラセ投書

新聞の投書欄にやらせの投稿があったというお話しです。

労働評論家の有賀宗吉氏が昭和46年3月14日付の交通新聞に、「生産性運動と国鉄各組合」という記事の中で、新聞への投書で、国労組合員が上司の説得でやむなく鉄労に移籍したと投書しているが、嫌がらせで国労役員が偽名で行なったのではないかと言う内容のことが書かれていたのですが、これに対し、3月28日付の国労新聞で反論したとなっています。

実際には、国労役員による偽名で行なった疑惑があるとして鉄労は批判しているものです。

少し長いで「国鉄民主化への道」から引用させていただきます。

(前略)有賀氏は1月23日付の「朝日新聞」に掲載された、国鉄職員の当初をお読みだろうか。当局や鉄労は「あれは国労組合役員が偽名でやった」と宣伝していたが、その後の調べで実在していることを確認している。(中略)国労→脱退→鉄労のコースを歩まされ、やりきれない気持ちから偽名で投書したというのが妥当だろう(後略)。

と書いていた。

朝日新聞』の投書は、「私は最近、国労から鉄労に移籍しました」ではじまり、「職場の上司の強い説得に耐えきれず移籍」とか、「自宅に職場幹部が来て妻に立ち会わせて」とか言うのである。投書したのは、安中市、五十嵐喜久二(国鉄職員36歳)とあった。

「鉄労新聞」2月2日付けでは「高崎地本で調査したが、安中市には五十嵐喜久二なる人物は存在せず、全くの作り事であると判明した」と書いている。国鉄当局は、朝日新聞社へ行なって問い合わせたが、納得にく説明は得られなかった、という。色々の人の証言から判断すると、どうも『朝日新聞』のいわゆる"ヤラセ"だったような気がする。

ということで、朝日新聞によるねつ造と言いますか、国労からの言い分をそのまま受け入れて、投稿欄に投稿したのかも判りません。」

国労の活動部隊結成とさらなる新組合結成の動き

国労では、「マル生粉砕」の中心部隊となる「国労中央反合理化研究会」(国労反合研

)と呼ばれる組織が3月15日に結成され、鉄労への暴力行為などを行うことになるのですが、このようにして、国労による反撃の体制は整えられていくようになりました。

さらに、国労を脱退した、施設関係の組合員が3000人が全国鉄施設労働組合(全施労)を昭和46年4月27日に結成するなど、国労の中でも再び生産性運動の中で、分裂の動きが起こってくるのでした。

全施労自体は、保線などの限定されたグループであったことから、規模としては小さなものでしたが、それでも

綱領では、「政党支配を排除し、組合民主過ぎに徹して、屋外で働く労働者の提携により作業安全、労働衛生の向上に努力する」としており、保線区の職員が対象でした。

 

続く

 

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*1:社会党や総評系の青年部が中心となって結成された組織で、その後新左翼【いわゆる過激派】が参加する形で構成される