7W3D-6D 天国から地獄へ…進行流産→自然排出

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進行流産発覚から自然排出までの4日間の出来事を書きました。
初めての妊娠で流産がこんなに痛いなんて思いもしませんでした。ほぼ3日間寝たきりになりました。
わたしの場合、筋腫3個に子宮入り口にポリープを併発しているため、通常よりも痛みが強く、出血も多かったと思われます。

2/21(金) 7W2D 出血始まる。

前日心拍が確認できたことで浮かれていました。
寝起きにまた鮮血が少し出ていましたが、昨日の内診の影響だと思っていました。この時はすぐに茶オリに変わりました。

夕方、洗面台で愛犬のトリミングをしていたら腰痛を感じて、体のために中断しようかな?と悩んだのですが、休み休みに最後までお手入れしてすぐ横になったのですが、また鮮血が出始めました。
腰痛から腹痛に変わって行き、これは子宮の痛みだと悟りました。これまで何度も出血しましたが、腹痛を伴ったことはない。
あれ、これやばいかな?出血量は生理始まりのようなおりものシートでも足りるかな?といった量で、痛みも余裕で我慢できるほどだったのと、何より心拍確認できてるし大丈夫だろう!と普通に晩御飯を食べて寝ました。

2/22(土) 7W3D 流産確定

朝起きても腹痛は継続、この時は波はなくずーっとほんのり痛いという感じでした。
出血量は明らかに増えていましたが、目安とされている生理2日ほどは多くない。でもナプキンが必要な量で、血の塊も混じっていました。

不幸なことにこの日はまた土曜日。どこのクリニックも午前中しかやっていません。まだ大丈夫、赤ちゃんは生きていると思っていましたが、念のためKLCに電話しました。
「今よりも出血が多くなったら来院してください。流産を止めることはできないですが、経過を観察します。今はとにかく安静にしてください。」
翌日日曜日に仮予約をしてベッドに引きこもりました。

それから徐々に出血量が増えて行き、腹痛は強くなって行きました。
噂通り、陣痛のように痛みに波が出て来ました。
夜、唸るほどの痛みになって来て、妊娠していても飲める鎮痛剤のカロナールでは全く効かず、赤ちゃんもう無理だろな…辛いからもう強い痛み止め飲んでもいいかな?と、思い始めました。

初めて#7119に電話しました。
「今7W3Dで心拍確認済みなのですが、激しい腹痛と出血があります。多分、流産だと思うのですが、薬を飲んでもいいでしょうか?」
薬への回答はなく、県内の夜間に産婦人科医がいる病院を5つ紹介されました。

案内された中で、一番家から近い病院に電話をしました。
産婦人科を中心としつつの総合病院で、不妊治療〜分娩まで全て行なっているところです。
現在の症状をかなり詳しく聞かれ、入院になる可能性が高いので、入院セットを持って来てくださいと言われ、夫に車で連れて行ってもらいました。

20時病院到着、救急入り口から受付を行い、普通に初診用の問診票に記入し、血圧・体温・酸素量を測定。
採尿も指示されましたが、尿と言うよりも血が採れました。

医師の問診で今までの経緯を話しました。
医師はKLCでの体外受精児だと話したところからものすごく口が悪くなりました。
「何で加藤で見てもらわないの?あそこは植え付けたら終わりだもんな!」
「うちだって土曜日は午前中しかやってないよ!何でうちに来たの?」
#7119で案内されたので…と消え入る声で答えましたが、正直言ってこんなに文句言われるんだったら、電話した段階でも体外受精児だと伝えていたので、受け入れ拒否して欲しかったです。

内診の結果、胎嚢はもう子宮の入り口付近まで降りて来ていました。
入り口付近は道が狭いため、形も長細く変形し、痛みが最も強い場所になるということでした。
胎芽も卵黄嚢も見えましたが、心拍は止まっていると言われました。赤ちゃんは多分遺伝子異常だろうと。
やはりダメだったか…とこの時はまだ気丈でした。妊娠判明時から何度もダメになるかもしれないと覚悟して来たからかもしれません。

「明日の朝には出て来そうだね。入院する?まぁどうせ痛み止め打つだけだけどね。」
こんな言い方だったので断りました。後から思えば、ここで入院した方が精神的に楽だったかもしれません。
ロキソニンを3日分処方され、明日のKLCにちゃんと行くようにと指示を受けて、仮会計を払って帰宅しました。

そして眠りました。痛かったけれど、朝まで通しで寝れました。

2/23(日) 7W4D…と言っていいのか。。。

朝起きると夜用ナプキンから血が溢れていました。ロキソニンのおかげで、昨夜よりは痛みがマシでした。
軽い朝ご飯を食べて、シャワーを浴び、KLCに行くために雑な身支度をしました。
痛がるわたしに夫が車で行った方が良さそうだね、と言ってくれたのですが、日曜日の病院なんて何時間待たされるかわからないのと、渋滞の首都高で激痛に襲われて途中下車できなくなる方が怖かったので、駅までだけ車で送ってもらいました。

車から降りて数歩歩いただけで激痛が襲い、電車の中でも腹痛が襲ってくる度に前にかがみこんで耐えてました。
新宿駅からクリニックまで歩く途中でしゃがみ込んでしまいました。スーツの男性が二人、すぐに大丈夫ですか?と駆け寄ってくれました。大丈夫ですとしか言えなかったけど、嬉しかったです。

案の定クリニックでは、2時間半待ちでした。クリニックの中でわたし一人だけが痛みに耐えている…

やっと内診になり、見たエコーは昨日と変わりませんでした。
隣の人は「順調ですよー!サイズもいいですね!」と言われていて、切なくなりました。天国と地獄、一昨日までわたしもあっち側だったのになと苦笑い。

先生は言葉を選んで話そうとされていたので、夜間診療に行き、流産だともうわかっていると話しました。
KLCでも心拍が止まっていて、入り口付近まで降りて来ているので、自然排出を待ちましょう、出て来たら連絡して胎嚢を持参してくださいと言われました。もう出てきそうだけど、出てこなかったら1週間後に来るようにと。
痛み止めの処方をお願いしたら、ロキソニンが1週間分も出ました。1週間もこの痛みが続いたら最悪だなと思いました。
お会計は保険診療になり、2,200円でした。

帰宅するともう16時でした。軽い昼食を用意してもらって食べ、また寝ました。
友達が近所で集まっているというので、夫に早く帰ってくるなら行っていいよ、と言ったところ、申し訳なさそうに出かけて行きました。
これがまさかの大惨事を招くことになるとは思いもせず。

2/24(月) 7W5D ひとりぼっちの悲劇

腹痛と戦いながら、うつらうつらしていたところ、0時過ぎに激痛に変わりました。痛み止めも効きません。
やっと排出するのかな…と思いながらもあまりの痛さに唸り救急車を検討し始めました。早く帰って来てとあんなに言っておいたのに夫は帰ってこない。出かけて行った飲み会の参加者たちが楽しそうにグループメッセージを送ってくる、ツイートしている。痛みに唸るわたしの前で、愛犬はキッチンでうんこをしている。

「○○ちゃん、そっちじゃない。。。トイレはあっちでしょ。。。。。。」
と叫ぶと共に絶望感と惨めさで目から涙が止まらなくなりました。
そして気を失いました。
(あとで思い出すと笑えますが。笑)

気がつくと2時でした。痛みは軽くなっていました。
とりあえず、夫に怒りのLINEを送りましたが、未読のままでした。
うつらうつらしつつもいつまでも連絡がつかない夫、仲間たちの楽しそうなTL、わたしからのラインは未読なのにツイートしている夫、流産したけど赤ちゃん頑張ってくれてたし!となんとか前向きな気持ちを保つようにしていたのにプツンと糸が切れました。

5時ごろ、朦朧とする意識の中で、妊活垢ツイッターに夫が帰ってこない話を投下したところ、フォロワーさんたちに慰めてもらい、やっと気が落ち着いて来ました。本当にありがたかったです!

そこに、やっと夫からも連絡が入りましたが、青ざめた顔の絵文字ひとつ。
ひとしきりLINEでなじりました。
朝6時、夫が帰宅し平謝りでしたが、クッションを投げつけ、
「流産して苦しいのも悲しいのもわたしだけじゃない!こんな惨めな思いするくらいだったら不妊治療なんてしなかったら良かった!」
と泣き叫び、二階で寝て!とリビングから追い出しました。

夫は夕方まで寝ていました。ずっと涙が止まらないままうつらうつらしていました。
夫は夫なりに気を使っている風でしたが、わたしのご飯を用意することもなく、家事をすることもなく、一人だけ晩御飯を食べてゲームに励んでいました。朝帰りしたら1日何もしなくなるのはいつものことです。だからこそされたくなかった。

2/25(火) 7W6D やっと排出

朝3時、トイレに行きました。
塊が出ました。でも毎回そこそこ大きな血の塊が出ていて感覚も同じだったので、今度もそうだと思っていました。
排出するときはきっと今まで以上の激痛に襲われるだろうと思い込んでいたのもあって、この時痛みは強くなかったんです。

念のため、トイレを覗き込んで割り箸で塊を寄せたところ、ああ、これが胎嚢なんだ。と気がつき拍子抜けしました。
ベージュ色?とネットで見ていたけど、ほぼ血の色に白い筋ぽいものが少し。へその緒っぽい線もありました。形が丸く表面がしっかりしていました。
エコーで2.5cmくらいだと測定されていたんですが、4cm近くありました。

胎嚢を拾い、軽く洗いました。
ビニール袋に入れて、それをキッチンペーパーにくるみ、ジップロックに入れてありがとうと呟き、冷蔵庫にしまいました。
夫に「やっと出て来たよ…」と声をかけ、すぐに寝ました。

9時に目がさめると、痛みは一切無くなっていました。
KLCに電話しました。本日来院できますか?とのことだったので16時に予約を取りました。
電話中にちょうど夫が起きて来たので、今回の件について話しました。

色々考えたけれど、わたしは昨日のことは一生許せないと思う。
反省していることも理解しているし、謝ってくれたこともちゃんと受け止めているけれど、どうしても許せない。どうしたら許せるのかもわからない。
あなたはそういう時、わたしに「わかった、しつこい」と言い出すようになる。そうなったら、もう別れよう。
これから当分事あるごとにこのことはなじると思う。一緒にいるならそれを我慢してほしい。

「俺が甘くみていた。申し訳ない。」

そして、夫は出社しました。
わたしは、ゆっくり身支度をして、胎嚢をさらに保冷剤を添えてタオルで包み、保冷袋に入れるという重装備を行なって、KLCに向かいました。
こんなに体が軽いのは移植以来かもしれない、と思っていました。

内診室で胎嚢を渡しました。
検体って呼ぶんですね、この間まで赤ちゃんだったのに不思議と思いました。
看護師さんがわざわざ検体は病理検査に出すので預かりますねと、断わりを入れてくれました。赤ちゃん返して!と言う人もいるんでしょうね。

検体を見て、先生から綺麗に出ましたねと言われました。エコーから子宮内に膜がまだ残っているので、血はまだまだ出るだろうが手術は不要とのことでした。
ここでも今回は赤ちゃんの遺伝子異常だろうと言われました。
検体は病理検査に出す。顕微鏡で胞状奇胎でないか、正しい妊娠組織が出来ているかの2点を確認するとの事でした。
病理検査費を含んで、3,410円でした。10万円くらいかかるのかなと思っていたので、拍子抜けしました。明細を見るに高額になる遺伝子検査はしないようです。
次回は、病理検査の結果が出たかどうか10日後に電話をした上で診察に来るようにとのことでした。

帰りに調子に乗って寄り道していたら、腰痛が出て来ました。
家まで歩いて帰れると思い込んでましたが諦めてバスで帰り、また家で寝ていました。
今までずっと子宮がダイレクトに痛かったのが、本当に生理痛という感じで、腰痛に変わっていました。激しく出血したようでナプキンから血があふれていました。

2/26(水)今回の妊娠を通して

今のところ、ロキソニンを服用していることもあり、時折腰痛はありますが、寝たきりからは解放されました。
出血は多くはないけれどあります。精神的にやられたおかげで食欲は控えめです。このまま不妊治療で太った分、痩せるといいなぁ…笑。

妊娠から流産までを経て、家の近所にかかりつけを持つ必要性を感じました。
我が家からKLCまではドアトゥードアで70分ほどかかります。そのため、腹痛に苦しむ中通院するのはとても大変でした。
分娩は子宮筋腫を診てもらった総合病院で行うつもりをしていましたが、診察してもらうには新たに紹介状が必要になるため、緊急時に通院できませんでした。
かと言って#7119で案内された夜間診療で行った病院には上記の通りとても嫌な態度を取られています。
子宮頸癌検査だけでも、自宅近くのクリニックで受けようと実感しました。

今回は残念な結果になりましたが、わたしも着床できる体だとわかりました。
出血が止まったらまた、残りの胚盤胞2つをお迎えに行くために、しっかり体作りをしていこうと思います。

あと、残念な夫の再教育も頑張ります!
夫は普段は見た目は怖いけどすごーーーく気を使ってくれる人で、自慢の夫なんですが、なぜか肝心な時だけ派手にやらかす「超残念な夫」です。笑

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