その数日後、祖父母がつくばの我が家の新しい家にやって来た。

 

父が家の近辺を自転車で見てみないかといわれたが、外に外出するのが、物凄く不安になった。何故って?それは、私が今まで学院という場所で、隔離されていたから一般の人々と出くわすのが不安だ!相手はそんなことはまったく考えていることもなく、私の存在自体にも興味をもつはずもないだろうが!

父に励まされて、思い切って自転車で外出してみた。

 

 

わりと近くにスーパーもあり、便利だった。

 

 

その日を境に家事や掃除の一切を私がやることになった。

祖母は、以前からパーキンソン病のために医者に通い、薬を処方してもらっていた。一時は、薬が効いていてパーキンソン病はとても良好だったのだが、最近は悪くなっているらしい。

 

 

私の日課は、早朝5~6時には起きて、全員の朝ごはんを作る。

皆は、6時30分には起きて来るので、ご飯・味噌汁・納豆・小魚・生卵という簡単でさっぱりとしたものにしている。

 

 

父は、7時過ぎには勤め先に出かける。私は、応接間・2階の2部屋の掃除・拭き掃除などを済ませてから、トイレや台所・お風呂場などの掃除を済ませる。

 

 

祖母は、家族・医師から家の周りを散歩するようにいわれていて、嫌そうだが、無理しながらも散歩をしている。

 

 

私は色々な掃除をしながら、洗濯機を回している。洗濯が終われば

ベランダの物干しに洗濯物を干す。

 

 

しばらく、母と祖父母とお茶を飲む。祖父は、100グラム800円のお茶っ葉しか飲まない。お茶っ葉を買いに行くのは、常に祖父だった。

 

 

宇都宮のホテルでも少し聴いたのだが、母は目の手術で入院していたのではなく、右側の乳ガンで入院していたという。かなり、ほっておいたので、右側の乳は全摘出した。一度見せてもらったが、右側は骨が透けてよく見えていた。

 

 

お茶を飲んだ後は、スーパーに買い物だ。お昼と夜の食材を買いに自転車で行く。量が多いので、スーパーでは段ボールに食材を入れてくれて、自転車の荷台に乗せて自宅へと向かう。

 

 

とにかく、祖母の入れ歯が合わないので食事も細かくカットして食べやすいように特別に作らなければならない。