高校の夜学には休むこともなく、毎日、時間も守って通っていた。

その理由は、給食が美味しかったからというのがあったからだ。

元昼間の学生だった彼はずば抜けて聡明なので、私はよく彼にわからないことを聴いていた。彼といつもコンタクトを取っているので、自然と仲も良くなってきた。

彼に私を見てどう感じた?インスピレーションは?と聴いてみると、当時

私は茶髪で比較的長めの髪の毛でピアスをして、黒のパンタロンで玉虫色のジャケットを着ていた。彼は、そんな私の外見から判断したのか?おお!この辺では見かけないヤンキー崩れの女だと思ったという。

 

ヤンキー崩れは、ちょっと言い過ぎていない?!と彼に言ってみた。

やはり、彼もたぶん東京辺りから来たんだろうなと思っていたという。

この彼の名前は、土田君と本名を書いてみたのだが、もしかしたら

土田君は、もうこの世にいないかもしれないからだ。彼には病気があった。病名は知らないが、昼間の高校に入学してから野球が好きで野球部に入り、寝食も忘れて野球に打ち込んだ。

彼の食事は、甘い炭酸飲料水ーコーラやサイダー・・・今ではコンビニに行けば、色々な甘い炭酸飲料水が手に入る。

 

 

彼は、これしか飲まず野球をやっていた夏に突然と倒れたという。

土田君のお母様のお話では、それから聖路加病院に行き、様々な検査をして、難しい病気になってしまったという。1カ月に1回は身体中の血液を別の血液に入れ替えなければならないことになってしまったという。

 

昭和55年位から血液を入れ替えているという。

血液を入れ替えるというのは、新しい血液を輸血することなのだ。

1カ月に1回必ずやらなければ彼の命は終わってしまうのだ。

 

何故、土田君が生きていないかもしれないと思ったのは、1980年辺りから、「薬害エイズ」の問題が起きてくる。輸血した血液のなかに

エイズ菌が入り込んでいた。「薬害エイズ感染被害」で、多くの方々が「薬害エイズ感染被害者」となってしまったのである。

 

後に1985年には日本で始めてのエイズ患者が現れる。エイズはとくに男性同性愛者の病気とされていたが、女性でも感染することがわかった。

 

ともかく、土田君はそんな身体だったが、それからは食生活を大事にしていた。土田君とは異性というよりも兄妹のような感じだった。

 

 

夜間高校は、この時点ではとても充実していて楽しい学生生活だったはずなのだが。私には充実した時間は長くは与えて貰えずに

また、波乱の多いジェットコースター人生がスタートしてしまうようだ。