時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

静かに考える時:全米人種差別暴動の底流

2020年06月06日 | 特別トピックス

W. E. B. Du Bois, The Souls of Black Folk(original: 1903), with a new introduction by Jonathan Scott Holloway, Yale University Press, 2015

W. E. B. Du Bois(1868–1963)、アメリカではデュボイスと呼ばれることが多く、本人もそれを好んだと言われる。20世紀で最も重要なアフリカン・アメリカン・インテレクチュアルズのひとりとされる。

 

ブログという枠を超えて、時空の軸をさまよっていると、最近起きている出来事の多くに、「デジャブ」(deja vu: 既視感)を抱くことがある。その多くは映像などで見た印象などが脳裏に残っているためだが、稀には自分がその場に居合わせ、強い臨場感が残っていることもある。

このたび、アメリカ、ミネアポリスで起きた警官による暴行で黒人ジョージ・フロイドが死亡した事件とその後の全米への暴動拡大を報じるTV中継を見て急速によみがえってきた光景があった。その記憶のひとコマは1967年のニューアーク暴動に関わるもので、 このブログでも、映画『デトロイト』が語るもので記したことがある。

黒人を英語でなんと呼ぶべきかという点については、アメリカでは長い歴史があり、今日でも必ずしも統一されていない。公的にはAfrican American, Afro Americanなどが多く使われるようになっているが、議論は収束しているわけではない。今回の暴動では「黒人」Blacks と表現しているメディアが多いようなので、当面これに従っておく。

「1967年、長く熱い夏」の記憶 
1966年から1967年にかけて、ニューアーク、デトロイトなど全米にわたる一連の暴動が起きた。そのひとつの発端となったのは、1967年7月12〜17日にかけて起きた今回と類似する出来事だった。7月12日、ニュージャージー州ニューアークで交通違反をした嫌疑で、黒人のタクシー運転手を二人の白人警察官が殴打し、死亡せしめたという噂から発した出来事であり、今回と同様に投石、火炎瓶などによる放火などを含む暴動に波及した。大規模な範囲での商店の破壊、略奪も起きている。7月15日には、鎮圧に当たっていた警官の一斉射撃で、女性が死亡する事態もあり、激しい抗議や破壊があった。

たまたま、この時ニュージャージー州エセックスフェルズ(エセックス郡最小の自治体、当時の住民数2,000人くらい、白人中層、上層の住宅地)にあった友人の家に滞在していたブログ筆者は、暴動が収まりかけた時、友人と共に現場を見る機会があった。1950 年代以降、急速に高まりつつあった公民権運動について着目し、調査を続けていた。ニューアークはエセックス郡 Essex County の郡都でもあった。このニューアーク暴動に先立って、西海岸ロスアンゼルスでもワッツ暴動として知られる事件が発生していた。全般的に、黒人の仕事の機会の減少、劣悪化によって、彼らの経済状況が悪化の度を深めていた時期であった。

今では、この時代のアメリカを知る世代は少なくなり、ましてや事件を体験したり、記憶する日本人はきわめて少ないだろう。今回の全米に及ぶ暴動記事でも、日本のメディアでこのニューワーク暴動に論究したものは少ない。黄色い衣を着たヒッピー(記憶に残る限り、ほとんど白人)が、街の各所で目についた時代だった。それでも敗戦国から立ち直りつつあった日本人にとっては、全般には豊かなアメリカというイメージが強く残っていた時代であった。

N.B.
 1950年代]以降、 マーティン・ルーサー・キング]などを指導者に、アフリカ系アメリカ人をはじめとする被差別民族に対する法的平等を求める公民権運動 civil rights movement が盛り上がりを見せる。その結果、 1964年 7月2日 に法の下の平等を規定した市民権法が制定された。

しかし法的な 差別が撤廃され、それゆえに「自由な国家」であることを標榜する現在においても、白人が多数を占めるアメリカ社会で黒人に対する差別意識は根強く残り、白人に比べて低学歴の 貧困層が多い。

ワッツ(ロスアンゼルス)暴動
1965年8月に起きたWatts Riots は、現在はロスアンゼルス市に併合されているワッツ市で起きた暴動であり、白人のハイウエイ・パトロールが道路上を蛇行運転していた黒人男性を尋問したことから発生した。警官が本人と弟、母親を逮捕したことから暴動が発生し、警察官の襲撃から、商店の集団略奪にまで発展した。州側は州兵を投入し、鎮圧する事態にまでいたった。
暴動のあった6日間で死者34人、負傷者1,032人を出した。逮捕者約4,000人、損害額は3,500万ドルと推定された。

戦車が破壊した街
ニューアークの暴動現場には事態鎮圧のため、当時州兵 New Jersey Army National Guardsmen、New Jersey State Policeが出動し、戦車が黒人が多かった地域の建物を砲撃し、街の一画は完全に破壊され、凄惨な地域になっていた。当時の記録では死者26人、負傷者727人、逮捕者1,465人に及んだ。この時は州兵が出動している。

この時見た街の凄惨な光景は今でも目に焼き付いている。市の中心部に近い一帯が見渡す限り文字通り瓦礫の塊のようであり、煙のようなものが至る所に漂っていた。戦車が砲撃した残骸だった。かなり高層の建物もあったと見られる場所だった。

この時代のニューアークは、ニュージャージー州最大の人口を擁した都市であったが、脱工業化と郊外化が人口構成に大きな変化をもたらしていた。工業化で生活環境が変化したことから、白人の中流階級は州内あるいは州外へと移動していった。当時アメリカ最大規模の「白人の逃避」white flight といわれていた。第二次大戦からの白人の帰還兵 たち veteransは、ニューアークから郊外へと移住し始めていた。州を跨ぐハイウエイ、不動産ローン 普及 の恩恵だった。彼らが去った後、市の中心部は黒人の流入で埋められた。しかし、仕事や住宅面での差別は厳しく、彼らの社会的地位や生活水準は貧困のサイクルへと組み込まれていった。そして、1967年の時点では、ニューアークは全米でも黒人が多数を占める大都市のひとつとなっていた。しかし、政治分野は白人が優位を占めていた。

こうした人種面での格付け、教育、訓練、仕事などでの機会の不足で、黒人の住民たちは政治的パワーもなく、経済的には下層市民の地位に押し込まれていた。さらに、彼らの居住地自体も劣悪化し、都市再開発の対象として破壊されていった。住民はしばしば警官の暴力的行為に虐げられていた。住民の50%近くは黒人であり、当時では警察官幹部にも黒人が採用、登用された数少ない都市のひとつだった。

この事件の後、全米各地で暴動の域に達したプロテストが起こっている。警官との対決ばかりでなく、警察や政府機関、商店の破壊、略奪など、ほとんど暴動といってよい状況が生まれた。参加者には若者が多いが、人種の点では黒人に限らず、多くの人種が参加している。


主要な事件だけでも次のような出来事が知られている:
1968年4月キング牧師暗殺、1980年5月マイアミ暴動、1991年3月ロスアンジェルス暴動、2014年5月ファーガソン暴動、2015年4月ボルティモア騒動 

暴動がもたらした破壊の後には、いくつかの改善もあった。市民に占めるニューアーク市の黒人比率は半数近くに上昇した。例えば、ニューアーク市警察本部の警察官に占める黒人の比率は一時期50%近くに上昇したが、その後35%近くであまり変化はない。

ニューアークに限ったことではないが、人種差別問題の根底には様々な要因が働いており、時代の変化とともに社会の根底でダイナミックに動いてきた。脱工業化や郊外化の動きもその要因だった。白人が郊外へと流出した後へ黒人が流入して集住化が進む「インナーシティ」といわれる問題は、ニューアークに限らず、全米の多数の都市で見出されるようになった。ヨーロッパでもイギリスなどの都市で長らく問題になってきた。

公民権法の成立によって、公共分野などでのあからさまな差別行為は見えなくなった。アメリカ史上初めてカトリックの大統領としてのJ.F.ケネディ、初めての非白人のオバマ大統領の誕生など、アメリカの偉大さ、立派さを感じさせることもあった。しかし、それと逆流する動きも依然として強い。法律ができたがために逆差別と言われる現象や陰湿で表面に見えない差別が生まれ、拡大した面もある。

この問題、日本にとっても無縁ではない。少子化による人口の減少に伴い、日本で働いたり、定住を目指す外国人も増えた。しかし、彼らの多くは日本人労働者の下に形成される最下層の市場へと組み込まれてゆく。差別の制度化ともいえる現象だ。

20世紀の問題はカラーラインである(W.E.B.デュボイス)
アメリカの場合は、奴隷制度の過去が根強い影響力を持っている。奴隷解放から今日まで、きわめて多くの主張、運動や論争が行われてきた。アメリカの文化的潮流のひとつを形作っている。この問題に深く立ち入ることなく、今回のような出来事を正しく理解することはできないと言っても過言ではない。

このたびのニュースを見ながら、最初に脳裏によみがえってきたのは、1967年ニューアーク騒動であり、大学院の公民権法(政治思想史)セミナーで、アサインメントとして最初に手にしたのは、20世紀初頭最も影響力を持ったアフリカン・アメリカンの政治的指導者で学者でもあったW.E.B.デュボイスの著作であった。より詳細を紹介する機会があるかもしれないが、この著作で彼は「20世紀の問題はカラー・ラインである」と喝破し、黒人の歴史、人種差別主義、そして奴隷解放以来の黒人の闘争について述べ、道徳、社会、政治、さらに経済の領域における平等について、迫真力ある論説を展開している。その思想は大変強く記憶に残った。新型コロナウイルスと黒人騒動に揺れるアメリカを理解する上で、現代人が手に取るべき一冊ではないかと思う。




☆  たまたま送られてきたNational Geographic 誌が次のタイトルの論説を掲載していた。

Systemic racism and coronavirus are killing people of color. Protesting isn't enough.
After the protests end and the pandemic passes, will anything change for America's communities of color?
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