幸希子の『あのね』

小学生のとき『先生、あのね』という冊子を担任の先生とやり取りした記憶があります。『あのね』で始まる気づきを綴ります。

『あのね』ノートをつくる

2020年03月19日 | つぶやき
 近々に、メールによるカウンセリングを開業しようと、慣れないPCに向かって準備していますが、そもそも、メンタル心理カウンセラーの資格を取得しようと思ったのは、シングルマザーとして4歳の娘を一人で育てなくてはならなくなって、フルタイムで片道90分の職場に通うような生活が17年続きましたが、退職した翌年頃。
仕事をしていたその間、職場でも、地域でも、ワーキングママとしても、何が一番大変かというと、人間関係のストレス。ついで、将来的な経済的不安。
いずれも、人それぞれ感じ方が違う形のないものであり、共感を得るためには、まず言葉にできるくらい自分の心と向き合わなくてはなりません。

 最初の頃は、済んだことは忘れて口にしない、という強気なマインドを保つよう心がけていました。でも、2年半目でだんだん口を開くと「愚痴」や「マイナスな言葉」を吐き出すようになっていました。娘との生活をまもるため、自分と娘と支えてくれる両親や兄弟たちが幸せを感じられるようにと、必死で逃げ出さないように、踏ん張っているという感じです。
 やがて、同じことを繰り返すしかできないわたしの話に付き合ってくれる友人や家族は「またその話? そんなにイヤなら辞めたらいいのに」と答えてくれるだけになり、だんだん自分の中で気持ちを隠すというか、誰にもわかってもらえないんだという決め付けが始まって、感情を表に出せなくなってしまいました。

 そんな生活の仕方は、「百害あって一利なし」です。
出口のないトンネルを延々と歩いているようで、前に進んでいるのかすらわからず、不安と疑心暗鬼で職場でもケアレスミスしたり、娘に対してイライラをぶつけてしまったり、PTA活動や自治会活動なども嫌で嫌で仕方なく責務を全うする、といったかなしい暮らし方をしていました。


だめだ、だめだ、だめだ、、、、、、こんな状態、なんにもいいことない!!!!!

 そして、小学校一年生のとき、娘が「せんせい、あのね」という作文帳を書いていたノートをなにかの折に見て、あっ! と思いました。

 自分ひとりで抱え込まないで、話す相手がいないならとにかくノートになんでも書いてみよう。「あのね」ノートを作ろう。。。



 そのことがあって、娘が自立し、遠かった職場も退職し、自分自身が今後どう生きていくか、を考えた時、世間話や流行のもの、話題のニュースなど、自分の心に無関係な話はできても、心のうちを明かせる相手がいない人はきっと多いだろうなと思い、カウンセラー資格取得に向けて勉強を始めました。そして現在に至る訳です。

 「カウンセリングに通う」「カウンセリングを受ける」または電話相談など、対面では自分の心をさらけ出すのが不得手な方もたくさんいるんじゃないか?と感じます。自分がそうだったから。
 なので、いま、暮らしの中で ❝Happy❞ な気持ちが少なくて「つらい、しんどい」「モヤモヤ、イライラする」など負の感情で押しつぶされそうになっている方には、
『あのね』で書きだす自分の心のうちをメモ書きする、『あのね』ノートをつくるとほんのすこしだけれど心が軽くなったり、楽になれるヒントを自分で見つけることができたりしますよ。ぜひ、お試しあれ。


~幸希子の『あのね』~
 あのね、このまえ、すごい苦しい夢でうなされたの。
自分の家族や亡くなった親戚まで登場して、失くした物を必死で探しているのに、何を探しているのかわかっていなくて、周りは各々言い争っているの。
みんなには、あたしの姿が見えないのか、無視されているのかな。
そんな気がして、その場から逃げたいのに、探しているものが出てこないから、動けないまま下を向いて何かを見つけようと必死になってる。
 やがて、周囲の人たちがあたしに向かって「何やってるんだ?」と叫びだして、説明しようと思ったら目が覚めた。
なんだったんだろう、こんな夢を見るなんて。
自覚していないストレスがあるのかもしれないなぁ。外出禁止的な世の中や、喘息の母が心配だったり、娘が二人の孫の体調がすぐれないと話していたことが気になってるし。花粉症だし・・・
 だから、その日の朝食は、普段はブラックだけど少し甘めの珈琲をたっぷり入れて、トーストにもお砂糖を丁寧に降らせて、パジャマのまま、お行儀わる~く食べました(笑)。
少しだけ気持ちがリセットできて、お昼には元気になれたよ☆彡
         






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