ADHDの脳は目まぐるしい。
溢れてでる文字達は手にとって熱く、冷たく、時に脆く、ふわっと透明になったかと思うと、水をびっちひ含んだように重い。
これらはそれ自体バラバラに動き始める。
カバンに詰めようとしてもはみ出したり、すり抜けたり、持とうとすると尋常ではない重さになる。
このことを誰かに説明出来るだろうか。
やはりどうにかカバンに詰めこむよりない
理解されない文字はどこにも消化されない。
点と線の感覚が強かった、ずっと。
それは真っ直ぐに張り詰めた線、そして点。
点は無限であり、ゼロだ。
このブログのunconsciousはもう30年ほど前、学生の頃にに小さな携帯ガラケーで作ったHPの名前。
もうそれが無くなると知ってコロナをきっかけに、その頃の文章を引っ張り出していくつか上げていった。
やがて、感覚はキューブになった。積み上げられたキューブの上に立っている感覚。それはエンドレスで回る。なぜなら、全てが違う色であったり、全てが同じ色だった。
ぐらつく安定しないキューブ。足元はいつも不安定だ。
宇宙は猛スピードで回る。目眩のように。その感覚は今でも変わらない。
球体。
そう、球体を感じるようになったのは、いつからか。
ああ、全ては球体で回る。循環している。と感じた時の興奮はなかった。
ニコラ・テスラ、フラワーオブライフ、トーラス、カタカムナ、陰陽、曼陀羅、フィボナッチ、子宮
それはエネルギーだ。隠されたエネルギー。
それが、ここにある。ここに。
外ではない、内にある。
私の脳内と外の人格がバラついていた。いや、今もまだ。
カバンは抱えたままで。
えと、最初のテーマは何でしたか?
基本、直しなく書いて投稿するので、最初書こうと思っていたことからいつも余裕でズレてゆきます。
それで、オッケーとして下さい。
そう、スピリチュアルやヨガの講習を受けようと思ったのには、球体への繋がりをとても感じたから。
量子、次元上昇、潜在意識、パラレル、統合、チャクラ、
何か一点に繋がる気がする。
はじまりは瞑想だった。
瞑想で驚きの連続が始まる。
そのうちの、ひとつ。
脳の落ち着き。
集中出来る。余裕が出来る。
いつも時間に追われていた。
上手く瞑想出来た時は、時間がサプライされるのだ。
時計を見るのが苦手だった。
少し具合が悪くなる。
あの一定の周期で回るということが、どうにも逆に歪められている感覚だ。
一定なわけがない。
瞑想でわかることは、時間は一定ではないと証明されることだ。きっとこれは操作出来るようになるのではないか。
ADHDの方には瞑想をおすすめします。
いや、ADHDと一つにテゴライスするわけではなく、個は個でしかないけれど、
もしも、枠に入っていたなら、早く抜け出るべきだし、これからはあなたの時代だから。
瞑想の凄さは、苦手な日常を深掘りさせられる。ふんわりしたものから強固なものになってゆく。それを今体感している。
それは、グラつかない足元への一歩になる。
眠くなりました。
おやすみなさい。
もうこんな時間てすね。