私も夫の携帯にかけてみたが

留守番電話になっていて

やはり夫は出ない。

 

仕事の中には今日が期限で

市役所に提出する書類も

図面もあるというのに。

 

たぶん夫は

新千歳空港からの羽田空港に向かう

飛行機に乗るのだろう。

 

もう飛行機の中なのだろうか。

 

たぶん、それにはまだ早い。

出発時刻は誰も知らなかった。

 

私は一緒に視察旅行に参加する

遠藤設計事務所の

遠藤所長のことを思い出した。

 

遠藤設計事務所は

うちとは比べものにならないくらい

大きな設計事務所で

遠藤所長とその奥様とは

私も面識があった。

 

急いで電話をした。

 

「はい。もしもし。

遠藤設計事務所でございます」

 

奥様の声だった。

 

「奥さん、おはようございます。

浅見設計事務所の麗子です。

いつも大変お世話になっております」

 

「あら、麗子さん?

お久しぶりね。お元気でしたか?」

 

いつもと変わらぬ明るい声だった。

 

「奥さん、

今日からの視察旅行の

ことなんですけど。

出発時刻って何時でしたでしょうか。

ちょっと至急主人に

連絡取りたいことが起きまして。

携帯出ないんですよね。

まだ飛行機の中じゃないですよね」

 

「え?旅行?なんのこと?

今日が視察旅行なんて

聞いていませんよ。

主人なら今隣にいますけど。

ねえ、あなた、浅見さんの麗子さん

から電話なの。

視察旅行の件ですって」

 

遠藤所長が電話に出た。

 

「麗子さんか、どうしたんだ?

視察旅行だって?

それはずいぶん前に

春に延期になったんだよ。

先方の予定でどうしてもって。

知らなかったのかい?」

 

嘘だった。

 

社長会の視察旅行は

夫がついた嘘だった。

 

そんな見え透いた嘘をついて

どうしようというんだろう。

 

いずれ必ずばれるのに。

 

「すみません…。

私の勘違いだったみたいです。

ちょっとバタバタしてたもんですから。

申し訳ありませんでした」

 

私はそんなちぐはぐな言い訳をして

慌てて電話を切った。

 

「奥さん

所長は視察旅行じゃないんですか?

じゃあどこ行ったんですか?

仕事ほったらかして」

 

「うん、そうだよね…」

 

「今回の旅行だけじゃありません。

昨日だって。

最近社長おかしいですよ。

ふらっと外出してはいつも

携帯も出ないし

何時間も帰ってこない」

 

「そうだよね…」

 

「正直所長の変な噂も聞いてます。

俺たち困るんです。

こんなんじゃ仕事になりません。

市役所にもクライアントにも

なんて説明するんですか」

 

そんな社員の言葉に

私は返す言葉がなかった。

 

視察旅行でないのなら

いったい夫はどこに行ったのか。

 

今日から二泊三日

夫はどこで

なにをするつもりなのだろう。

 

事務所も仕事も

社員も全部放り出して。

 

「奥さん

ちょっとこれ見てください」

 

パソコンで調べ物をしていた社員が

私を呼んだ。

 

見ていたのは共用の

パソコンの履歴だった。

 

「恋人とオシャレな雰囲気グルメ

東京穴場の店」

 

「恋人と泊まる隠れ家的な宿、東京」


そんな検索履歴が続く。

 

そしてその履歴の中には

レストランと旅行会社のホテル宿泊の

予約のページがあった。

 

見つけて慌てて私を呼んだ社員も

バツが悪そうに黙っている。

 

さらに

メールの受信ボックスには

入金確認済みのメールが

旅行会社から届いているのを見つけた。

 

もう誰も何も言わない。

 

この旅行は

社長会の視察旅行ではなく

女との不倫旅行なのだ。

 

引き継ぎもろくにされていない中

案の定ほどなくトラブルが起きた。

 

私では判断できないトラブルだった。

 

世間に広まった夫の不倫の噂は

社員達の耳にも入っている。

 

そしてまさかの不倫旅行。

 

ここまで来るともう

社員の心が夫から

離れることを私には止められない。

 

もう誰一人夫の携帯に

電話する社員はいない。

 

 

 

三日後の夕方

2泊3日の不倫旅行を終えた帰り道

夫は何食わぬ顔で事務所に立ち寄った。

 

東京駅で買ったという

お菓子を手土産に。

 

視察してきたという

建築物の話や設計事務所の話

会合の話や懇親会の話。

 

酔っ払った他の社長達の

エピソード話を

これ見よがしに大声でする夫。

 

そんな夫を相手にする社員は

もはや一人もいない。

 

しんとした事務所に

上機嫌の夫の嘘話が

やけに大きく響いている。

 

昔の真面目な夫は

いったいどこに

行ってしまったのか。

 

夫はいったいどこまで

堕ちて行くのか。