≪三味線の出会い≫
中学校を卒業して、伯母さんより三味線を習わないか?と言う、お勧めが有った。
伯母は長唄の師匠です。
稀音家淨観(稀音家六四郎)と言う文化勲章を戴いた方の門下。
家元の師匠より直接、長唄を伝授されたと聞いています。
伯母の家の玄関には稀音家六千代の表札が掛かっていました。
お弟子さんが何人か習いに来ていました。出稽古もやってました。
伯母の子供達は三味線に全然興味有りませんでしたのです。
16歳の私に三味線を持たされたのです。
渋々と畳に正座され、つま弾きで、初めて音を出したわけです。
正座は10分もしないうちに足がヒビレを切らし、嫌々でした。
2回目から適当な都合を付けて逃げ回っていましたヨ!
伯母は、私がギターが好きで一生懸命に弾いているのを聞いて、
この私に三味線を教えて、長唄の名取にさせて
後を継がせたかったのでしょうか・・??。 ムリ・ムリ
結局、奨められても自分は興味を示さず、伯母も諦めた様子!
三味線の音色事態が嫌いだったのです。
さて次は伯母の実妹の私の母に長唄を勧め、
母が三味線を習うようになったのです。
母は実姉である伯母から長唄を習い、
可也の腕を上げたように感じました。
この長唄は20分のロングですので,飽きたらSTOPして下さいねぇ~・・
長唄なんて時代遅れに感じちゃいますから、適当にOFFしてね!(笑い)
どうですかぁ?・・私の母が演奏した貴重な録音の音源です。
今は母はあの世に旅経ちましたが、
門下生として伯母から、ここまで三味線を弾けるようになったのだから
褒めてやって下さい。(笑い)
今、思うと三味線は嫌い!と拒否していましたが、
この歳になると、「ぁあ長唄もなかなか粋で良いじゃないか」
と感じるようになりました。
でも自分にはギターがあるから、これで満足しています。
ギターは永遠の恋人のようなものです。