私がニュージーランドを離れられない理由 前編

前回の記事では、「私がニュージーランド移住を決めた理由」について書きました。やはりお客様からのご質問第1位の内容というぐらい関心のあることなのか、閲覧数もいつもより多くてビックリ。ニュージーランドに移住したい人も多いのかなと思いました。

さて引き続きとなりますが、移住してみて正解だったのか? なぜ日本へ帰国せずに17年も住み続けているのか? このまま永住るのか?

5つのエピソードを交えながらお話しいたします。

エピソード 1 ; 「社長は偉くない」

私がまだニュージーランドに来て間もない頃、地元の高校が移民向けの英語学校をやっていましたので、少しだけ通っていました。
メンバーはアジア系永住者の主婦が多く、半分ほどは韓国人、4割ほどは中国・台湾、日本人はなんと私だけというクラスメートでした。

ある授業でのこと、韓国人の主婦が「◯◯さんは社長なんで偉い人だね〜」という発言から始まり、ニュージーランド人の先生が「なんで偉いの?」と答えました。この「偉い」に相当する英単語が「respect」だったのです。

以下が私の記憶の中にある生徒たちと先生の会話

生徒1「社長は偉いに決まってるでしょ」- キョトンとした答え方で
生徒2「偉いから社長になれたんでしょ」- なんの疑いの余地もなく
先生「その社長さんのことはよく知っていますか?」
生徒1「よく知らないけど」
生徒2「一般的に社長というのは偉い人でしょ」
先生「すべての人がrespectされるべきでは?一般の人よりも社長の方が偉いのですか?」
生徒3「そりゃ平社員よりも社長の方が偉いに決まってるじゃん」
先生「会社内のポジションや、社会的地位などで、respectの順序を決めるのですか?」
生徒たち「沈黙・・・・」
先生「ニュージーランドにはそういう文化風習はありません!」

会話の前半は、私もなんの疑いもなく「社長さんって偉い人」と思っていましたが、だんだんと先生の難しい顔から様子が分かってきました。

東アジアの縦社会文化。人間関係を縦のラインで捉えがちですね。年配者は目上の存在。先輩後輩という概念もあったり、世の中の成功者、脱落者などというワードもあったりします。なるべく上に行きたいという社会風土もあるかもしれません。

儒教などから受け継がれた、日本などの東アジア文化なので、それを否定するつもりは毛頭ありません。私自身も孔子の論語の愛読者なので、日本人としてその文化を大切にしたいと思っています。
しかしその文化の中にいないニュージーランド人の先生にはその発想が不思議でしょうがなかったようです。

どちらかというと、ニュージーランドの西洋文化では、人間関係を縦よりも横の繋がりで捉える方が多いと感じます。敬語が無かったり、親でも目上の人でも名前で呼び捨て。しかしrespect(尊敬・尊重)する精神は強く、それに肩書きや地位などは要素として必要ではなく、その人の人間性という本質的な部分をみてrespectしている風土があるように思えます。

ビジネスをしていても、関係会社はあくまでパートナーで、親会社・子会社などの縦関係で捉えません。売り手と買い手も同等さを感じます。「お客様は神様です」は通用しません。

社長さんは、ビジネスの世界の中では偉い人かもしれません、しかしそのビジネスとなんの関わりもないのに、ただ社長という肩書きだけでは、その先生は尊敬できなかったのでしょう。

スポーツやビジネスなどの世界では競争もあり、優劣が存在するので、関係が縦になるのはやむを得ませんが、社会という大きな枠の中では、人々は競争し合う関係ではないので、勝ち組や負け組などの概念もなく、社会的地位などに関係なく横並びで尊重しあえる社会がニュージーランド的だなと感じます。

この人間関係が横並びでイコールな社会が私のマインドに合うので、ニュージーランドに住んでいます。

エピソード 2 ; 「結果だけでなく過程も大切にする」

ミルフォードトラック、マッキンノンパスにて

17年前のワーキングホリデーも終盤に差し掛かった頃、ワークメイトと「世界一美しい散歩道」のミルフォードトラックを歩きました。53kmのトラック(NZではトレイルのことをトラックと言います)を4日間かけて歩く世界でも有名なトラック。

3日目の峠越え以外はアップダウンもそれほどなく、ゆっくり歩いても十分に次の小屋までたどり着ける行程です。入山数制限のため一方通行。いくら速く歩けても次の小屋を通過することはできません。なのでそれぞれ3泊の山小屋には、いつも同じメンバーが泊まります。

「早出早着」の習慣のある私たち日本人は、誰よりも早く出発。早く到着するのかと思いきや、当時はマウントクックでトレッキングガイドの仕事をしていましたので、ひとつひとつの自然情景に感動し、出会う植物や鳥に心奪われ、写真もたくさん撮ってしまったので、いつもメンバーの中で一番遅く山小屋に到着。

山小屋に着いたときに、別のトレッカーから「あなたたち一番早く出発したのにね〜」と言われ、日本で山小屋のスタッフを経験をしていた私は「ヤバイ怒られる!」と思ったのも束の間(日本の山小屋では夕方遅く到着すると結構怒られます)、山小屋の管理人さんに「あなたたちが一番時間をかけて歩いたんですね。あなたたちが一番今日のトレッキングを楽しんはずだわ!」別のトレッカーも「そうそう彼らは毎日一番初めに出発して一番遅く到着するんだよ。ミルフォードの楽しみ方を知ってる!」と褒めてくれたんです。

この出来事は当時の私にとって衝撃の出来事でした。なまじっか日本で登山経験をした人なら分かっていただけるのではないでしょうか?ミルフォードトラックを歩く人たちは、ゴールを目指してひたすら歩き、ゴールに到着することの喜びを感じるということよりも(最終ゴール地点ではその喜びはありますが)、歩くという行為そのもの、歩く過程を楽しんでいたのです。まさに今を楽しむ。その場その場の楽しみを点とするならば、その点をつないで線にしてその先にゴールがあるイメージです。

ニュージーランドではトレッキングのことを「トランピング」と呼んでいます。Trampingを英和辞書で調べると「とぼとぼ歩く」「放浪する」という意味もあります。ゴールを目指してひたすら歩く山歩きではなく、ゆっくり時間をかけて思う存分に大自然を満喫する歩き方。途中で絵を描いたり、写真を撮ったり、野鳥や植物の観察、昼寝などなど、何をするかは人それぞれで自由。守るべきものは自然そのもので、人が作った規則ではない。そんなニュージーランドのトランピング精神は、普段の生活でも感じられます。

以前に日本でも「今でしょ!」が流行語になりましたが、まさにこの感覚。そして結果だけではなく、その過程も大切にする。人を評価するときに、結果だけを見るのではなく、その過程の努力や内容も大切にするのは、ニュージーランドの教育現場やビジネスの場面でもよくみられます。

「結果良ければ全てよし」よりもその本質にこだわるのがニュージーランド流なのかもしれません。

エピソード 3 ; 「自分自身をプロデュースできる」

私がまだニュージーランドに住み始めて間もない頃、ベテランの先輩ツアーガイドの方に付いて研修していた時のお話。

よくあるお客様のご質問のひとつ「ニュージーランド生活の何がいいですか?」の答えに「自分自身をプロデュースできる」と先輩が答えていて、かっこいいな〜と思ったと同時に、これって奥深いぞと思ったのを今でも覚えています。

私も日本で会社員としてがむしゃらに働いていた時は、「自分自身をプロデュース」なんていう発想すら浮かびませんでした。朝から晩まで仕事をして、仕事以外自分の時間はあまりなく、仕事上の自分自身のプロデュースはできても、自分の人生や生活をプロデュースとは程遠いものでした。

ご存知の通り、日本と違ってニュージーランドでは、仕事、家族、自分の3つの時間がバランスよく取れる方と思います。どれを重視するかも個人の自由。終業時間にはちゃんと帰宅しますし、自分を犠牲にしてまで勤め先に尽くす人もあまりいないように思います。(企業もそれを望まない)休みは家族や自分の時間に使い、休み時間まで仕事のことを考えて振り回されることも日本より少ないと思います。

ニュージーランドでも奉仕の精神は大切にされます。しかし、誰かや何かのために自分捧げるという美徳感覚は、自分がまずそれに喜びを感じてからが前提。まずは幸せで充実した自分でいられるかが先なのです。

自分のための時間をたっぷり使えるのは、聞こえはいいですが、自分の時間をどう使うかを知らなければ退屈で死にそうな時間になってしまいます。そのために主体的に自分がどのように生きたいのかを意識しなくてはならない。そこから自然と「自分をプロデュースする」につながっていくんだと思います。

また、企業のしやすさも世界1位とよく言われます。大学への進学もしっかり学業に励めば、授業料を払えなくても奨学金でまかなえます。誰にでもチャンスが与えられているのも自分をプロデュースできる要因。「出る杭は打たれる」という言葉がありますが、私の経験上「出る杭は打たれる」文化はニュージーランドであまり感じません。アピールしてなんぼの社会ですので、出る杭ばかりです。その乱立する出る杭の中で魅力的なものがあれば、誰かが必ずサポートしてくれます。魅力的な杭はみんなが引っ張ってくれます。

その代わりに厳しさもあり、出る杭にならなくても、画一性を求められがちの日本文化では、底上げもきっちりしてくれる安心感はありますが、こちらでは頑張ってアピールしないと誰も助けてくれません。黙って助けを求めてもダメなんですね。全体主義の伝統的日本文化と個人主義の欧米文化の違いなのかもしれません。

自分で言うのもなんですが、子供の頃から出る杭は打たれた方ですので、私にはこの国が合うのです。

次回後編では、
エピソード4「教えないで!」
エピソード5「COVID-19」
いいこと尽しじゃないよ をお届けします。

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