久々のジンちゃんのお世話と……

ブログ更新。。。は、3月7日以来。ジンちゃんのお世話は、実に2月21日以来!

その2月21日に家庭用コンセントからサブバッテリーを充電することができなくなって

いることが判明しました。これはもう、チャージコントローラーが壊れてると決めつけて

ポチりました。商品が到着したので繋いでみると……なぜか、充電できません!

サブバッテリーの充電を止めるわけにはいかないので原因究明はあとまわしにして

車載バッテリー充電システムを流用してサブバッテリーだけは充電していました。

そして、今日、太陽電池代わりのACアダプタを取り替えてみたら、どうなるかを実験。

まず、元々はサブバッテリー充電用のACアダプタと車載バッテリー充電用のチャージ

コントローラーを使ってサブバッテリーを充電できるかどうかをテスト。結果はOK。

そして、いよいよ、車載バッテリー充電用のACアダプタと2月21日に充電できなかった

チャージコントローラーを繋いでサブバッテリーを充電できるかどうかを試してみました。

おおおぉぉぉおお~!できました!つまり、元のシステムから言えばACアダプタを

取り替えるだけで良かったということになります。車載バッテリーは、この実験をする前に

電圧を測りましたがミニサイズのアナログテスターの50Vレンジを選ぶしかなくて

約12Vだということしかわかりません。ACアダプタだけを取り替えた車載バッテリー

充電システムを繋いでバッテリー電圧を測ってみたら、これも約12V。こういう時には

デジタルテスターのもんですね。早く見つからないかなあ。

一方、サブバッテリーの充電電圧は、13.5V から 14.2Vに上昇。繋いだばかりなので

何とも言えませんが、まあ、そういう詮索はあとまわしにして、次のミッションへ。

今や、常連となったエポキシパテを使って何やら三角柱を作ってます。

コントローラーの下に設置してモニターが見えやすいように角度を変えました。

今日のところは、こんなところですね。

ついに食べたど!タマちゃんのカキオコ

毎年、一度はカキオコを食べに行くのが習慣みたいになってから

もう何年経つんだろ。

去年、ランキング1位の店に行ってみたら50組待ちで、2時間待ちか

3時間待ちか、とんでもないことになりそうだったので、今年は

作戦を立てて、京阪神方面から来る人が利用しにくい17時半頃を

ねらって行きました。

到着してみると、お店に近くて道路からも目立つ駐車場が全空きだったので

シメシメ。作戦通りと店に向かいました。店の入り口近くは二部屋に

分かれていて、それぞれベンチがズラリと並んでいました。しかし、

ベンチには誰も座っていませんでした。ここで再び、シメシメ。作戦通り。

さて、いよいよ、お店のドアを開けるとーーーーーー。

一組二人が食べてるだけで、あとは全部空席!ひゃあ!まさかここまでとは

思いもよりませんでした。

私は、カキオコモダン(手前)。女房はカキオコを注文して、いっただきま~す。

どちらも、ソースが半分しか、かかっていないでしょ?実はソースカキオコと

岩塩カキオコが半々になっているんです。このお店のウリはアンデス産岩塩を

使うということは知っていたのですが、これが、ウマイ!というよりも牡蠣を

味わうジャマをしないんですね。そして、牡蠣!とにかく絶妙な加熱で

これより短かったら生煮えになってしまうをピッタリ超える職人技としか

言いようがない焼き加減で、これには感心してしまいました。

タマちゃんのカキオコのおいしさの秘密は他にもあって惜しみなく入れた

微小サイズの揚げ玉に、ひっくり返して具に熱を加えるタイミングで

お好み焼きをちょっと持ち上げて鉄板とお好み焼きの間に

↑↑↑の形状の油差し(ジェットオイラーと呼ぶらしい)を使って

ピュピュピュッと油をさします。これがオリーブオイルなんだそうで

揚げ玉やモダンのソバなどをカリッカリッにしてくれて、この食感が

たまりません。

注文時に指定すれば、ソースと岩塩を半々ではなく全部岩塩にも

してくれるそうなので、来年は岩塩カキオコモダンだな。

ネタ底→知恵袋 Ⅱ

Q:熊本地震の時は災害ボランティアの人はどんな作業をしたのですか?

A: 私が入った内牧周辺では能登半島と同じように 瓦や崩れた石垣の片づけも
多かったのですが、 地震で室内の家具などが倒れて生活スペースを 圧迫したり
ガラスが散乱してあぶないので 片づけを手伝って欲しいという依頼も、いくつか
ありました。 片付けで出た、さまざまな品を思いっきりよく 「捨てる」に分類する
おばあさんが印象に残って います。古紙幣やコイン、小判などを額に入れて
飾っているのをあちこちで見かけたりしますが、 それも、あっさりと「捨てる」に
分類したのには ちょっと驚きました。


Q:能登半島地震のボランティアについて。 私は被害のあった隣の県に住んでいます。
石川県からの要請を受けて、ボランティアを募集しているそうです。そのホームページに書いてあった
年齢制限は中学生は保護者同伴なら可ということでした。私は高校生なので年齢制限は大丈夫です。
でも現地にいって高校生ができるようなことはあるのでしょうか?あるとしたら何か具体的に教えて
欲しいです。 私は隣県に住んでいるということもあって能登にはよく遊びに行っていたので少しでも
誰かの役に立てればなと思いボランティアに参加したいと思います。


A:志賀町の中でも特に被害が大きかった富来地区というところが あるのですが、
その地区にある富来活性化センターで、 ボランティア活動の昼休憩をとっているときに
他のグループと 一緒になったので雑談してたら、その中の一人は関東本面から来た
高三女子でした。友達は受験中ということで、たった一人で参加していました。
現在のボランティア活動の中心は倒れたブロック塀の片づけや傾いた家屋から落ちた
瓦を片づけて軽トラなどを使って災害ゴミ 仮置き場に搬入することですが、
他にも屋内の倒れて壊れた 家具などを搬出して同じく災害ゴミ仮置き場に搬入する
仕事もありました。
被災者がやって欲しいというニーズとボランティアが できる仕事をマッチングして
割り振りするのがボランティア センターの仕事です。 相談者さんの体力や重い物を
持てるかどうかはわかりませんが、一口にコンクリートブロックの瓦礫といっても、
いくつもが鉄筋でつながっている大の男でも動かすことができないような重い物も
あれば、手のひらに、いくつも乗るような小さい破片もあります。
つまり、非力な者でも小さな破片を土嚢袋に集める ことはできるわけです。
私は、71歳男性ですが、連続して 重い物を運ぶと腰が痛くなって「腰が……」と言って、
ちょっと戦列を離脱したりします。その代わりじゃないですけど、オヤジ ギャグで場を
やわらげたり、若い人は一度に3個4個と運ぶのに 「2つ半」「いや2つで」と渡す人と
じゃれあったりします。 黙々とやることも大切ですが扱いにくい人の側にいて場が
荒れることを未然に防ぐのも年長者の役割だと思います。
だから、扱いにくいと周囲が見る人とは積極的に会話をするために 軽トラで
長時間一緒に仕事をしたりして間合いを掴んでおきます。
つまり、ボランティアはチームなので、いろんなポジションが あってこそ成立するのです。
みんな投手じゃ野球にならないでしょ。 それに、最初のボランティア活動で、いきなり
それができるわけではなくて、二度、三度と重ねていけば、何をやれば役に立つか、
役に立つには自分はどうすればいいかがわかってくるのです。 そのためには、他の人を
観察したり、自ら積極的に関わることです。 その時、失敗すればするほど、経験となって
あとあと役に立ちます。
ただし、同じ失敗でもケガはいけません。安全のためのヘルメットや ブロックが落ちても
足がツブれない安全靴や厚手の作業手袋などは 用意しましょう。イメージトレーニングも
大切です。ゆる~く、ガンバってね~。


Q:能登災害ボランティアから1日1000円の参加費の徴収を開始しますが、ボランティア一人当たり1ヶ月
ボランティアすれば3万円ほど行政はボランティアより徴収できますので良いことですよね? 1000人の
ボランティアが来れば3000万円の収益となりシルバー人材や特殊団体などの活動費に充填することができます

A:ネットの悪質な書き込みをそのまま信じたのか誤解が あるようですが、1日1000円の
参加費は1日目の夕食 (幕の内弁当)と2日目の昼食(おにぎり2個)の 実費負担分です。
私などは、志賀町のボランティア現場でお湯の用意がないときには自分で湯を沸かして暖かい
昼食を摂ることもできましたが、奥能登ベースキャンプは火気厳禁で、それもできません。
近くにコンビニもないため食事支給は、やむを得ない面もあるのですがアレルギー対応の
食事しかできないボランティアには無駄となってしまうのでオプション対応としたほうが
変な誤解を生まずに済んだかもしれません。
奥能登ベースキャンプの初日の参加者は42人でしたので二日で参加料は4万2千円。
この数字を使って計算すると 一ヶ月で126万円。一方、食事を用意する県側の実費負担も、
ほぼ、同額となり人件費やバス送迎費用などを 考えれば、完全に赤字になります。残念でしたベーッ。
なお、ボランティアには報酬や食事支給をしてはいけない という不文律があって、
東北大震災のときには、高校生 ボランティアに昼食を支給していたため、申し訳ないが
一般ボランティアの方も食べてくださいと「お願い」を されて、そーいうものなのかと思いました。
高校生ボランティアは避難所から通っているので自分で昼食を用意できないため、気仙沼市は
そういう対応を したのでした。同じ活動をして高校生だけ昼食(といっても消費期限ぎりぎりの
パンなど)を支給されて周囲の 大人がそれぞれの昼食を食べたときに高校生に起こる感情に
配慮したのでしょう。
 

Q:教えて欲しいのですが、災害ボランティア車両高速道路通行証明書を発行する際、青森や秋田から
石川に向かう場合、時間があれば高速道路から降りない方法で登録すれば大丈夫だと思いますが、
最短距離での走行だと途中に無料区間など有料区間が途切れる箇所があります。
この場合、「朝日まほろばI.C.」から金沢まで登録する方法しかないんでしょうか。

A:現時点では途切れ途切れの日本海東北自動車道を 利用しながら、たとえば、東北縦貫
自動車道上のICから 乗って金沢に至る場合、全経路の災害ボランティア車両高速道路通行の
無料措置を受けることができるかといった おたずねだと思いますが、ネット上に公開された
情報だけでは お答えすることができません。
高速道路を一時退出できるのは、
① 往路又は復路の途中で、宿泊する必要がある場合
② 往路又は復路の途中で、ボランティア活動者(活動予定者を含む)を 乗降させる必要がある場合
③ 往路又は復路の途中で、ボランティアに必要な機材・資材を調達又は 返却する必要がある場合
④ 往路又は復路の途中で、フェリーで移動する必要がある場合
の4項目に該当する場合のみとある一方で、 出発地の最寄りICから流入 → 他の高速道路会社を
経由→ 被災地の 最寄りICまで通行する場合 についての説明もあるので、今回の場合は、
出発地の最寄りICから流入 → 他の高速道路会社を経由 →他の高速 道路会社を経由 → 他の
高速道路会社を経由 →被災地の最寄りICまで 通行する場合 にあたると思われますので
出発地の最寄りICはどこで、どこまで日本海東北自動車道に乗って、再び、日本海東北自動車道の
どこから乗ってどこで降りて、さらに、朝日まほろばICから乗って 被災地の最寄りICまで通行する……と
いった具体的な経路を示し、日本海東北自動車道の出口によっては係員がいないICがあれば、
確認印が得られないので、そのことも調べた上でNEXCO中日本に メール等を使って相談してみるしか
ないと思います。
中途半端な答えで申し訳ありませんが、その相談をすることは あとに続く青森や秋田に在住の
方々への支援になると信じて 道を切り開くためにも、しっかりと問い合わせをしてみる価値は
おおいにあると思います。

A^2:どうも気になるので日本海東北自動車道について、こちらで わかる範囲で調べてみました。
①:東北道に、どこから乗るのかが不明なので十和田湖IC上りから乗るとします。一般レーンで紙の
通行券を受け取って高速に入ります。
②:河辺JCTを経て日本海東北自動車道に入ります。
③:秋田空港IC本線料金所の一般レーンで通行券と災害ボランティア車両高速道路通行証明書と
顔写真付きの本人確認書類を提示します。 私の考えでは、このとき、本線料金所の係員の方が
通行券を受け取り、 災害ボランティア車両高速道路通行証明書の所定欄に係員が押印して
くれるはずです。もちろん、料金は無料のはず。
④:象潟ICまで走って一般道を使って再び、遊佐比子ICから日本海東北自動車道に乗ります。

A^3:
⑤:鶴岡JCT本線料金所で係員の通行証明書の所定欄に押印してもらいます。ここでも通行料金は
無料だと思います。
⑥:あつみ温泉ICで降りて一般道を使って朝日まほろばICから再び日本海東北自動車道に乗ります。
⑦:中条本線料金所で紙の通行券を受け取ると同時に係員の確認が必要かどうかをインターホンで
尋ねて指示に従います。
⑧:新潟中央JCTを経て北陸自動車道に入ります。
⑨:石川県内の指定ICで降りるとき顔写真付きの本人確認書類を提示するなど所定の手続きを経て
通行券と災害ボランティア車両高速道路通行証明書を係員に渡します。
⑩:その後も定められた手順に従って復路の無料措置も得ます。

A^4:という手順になるのではないかと思うのですが、本当にそうなるかどうかを NEXCO 中日本と
日本海東北自動車道の有料部分を管理する NEXCO 東日本に、あらかじめ問い合わせて
おくべきだと思います。 朝日まほろばIC-石川県の区間の無料措置が得られなくなったら
大変ですかね。
私自身は、往路は自費で復路のみ無料措置を得たので往路については 情報不足です。
ただ、復路で利用したときの経験から
1)最初のICに近づく前にETCカードを抜いておき、出口ICを無事通過できるまで抜きっぱなしに
しておくことをオススメします。入り口、出口だけではなくジャンクションなどでもETCカードに
アクセスがあるようです。ETCカードに不要の情報が書き込まれた場合、ボランティア後の
高速道路利用時に思わぬ不具合が発生する可能性が絶対ないとは言えないからです。

A^5:
2)「一般/ETCレーン」を利用したときにはETCをゲートが認識して紙の通行券を
発行させないなどの不具合が発生しないとも限りません。
3)一般レーンでは、係員がいないことがよくあって、インターホンで呼ぶと事務所から
地下通廊を使って来てくれます。また、確認印の押印や証明書の確認なども一定の時間を
要するので後続車に時間がかかるかも知れないという合図として一般レーンに入ると同時に
ハザードを焚いて知らせておくほうが絶対にいいです。いくら、ハザードを焚いても一般レーンは、
ひとつしかないことが多くて実質的なメリットは後続車にはないかもしれませんが、一種のマナーとして
やっておいたほうがいいと思います。少なくとも待たせているプレッシャーが、ちょっとだけ減ります。

A^6:私は、日本海東北自動車道を利用したことがないので間違った箇所が あるかと思いますが、
適宜、読み替えていただけるとうれしいです。 よろしくお願いいたします。 また、文字数制限のため、
返信がコマギレになりました。ごめんなさい。


Q:能登地震の災害ボランティアは何人ぐらい登録者がいますか?

A:2月の半ばの数字が出ていて2万5千人となっています。内訳は 県内が5,500人、
県外から1万9,500人だそうです。しかしながら 同じ時期までに一般ボランティアの
実働人数が延べ2205人しかいないので、その数の少なさを問題視する人もいます。
ただし、たとえば志賀町では、県の登録はしていないけれど 志賀町で当日登録して
活動している人もいました。この人達は そのまま実働するので当日登録者数=実働人数に
なります。 志賀町での当日登録者には、県の登録済で当日登録をする人もいたので、
その内訳はハッキリしませんが2月6日~16日で 言えば、合わせて延べ70人くらいかと思います。
(15日は 志賀町ボランティアセンターが休みで活動はありませんでした) 報道には、その後の
数字がありませんが、奥能登ベースキャンプも 始動しましたし、輪島方面へのベースキャンプも
検討中とのことなので徐々に増えて行くとは思われます。しかし、ナホトカ号の オイル流出時に
福井県と動員数で明暗を分けてしまった石川県特有のボランティア募集方式を今回も
固持するなら、今後も実働数の劇的な増加は期待しがたいとの悲観的な見方を私はしています。


Q:石川県七尾市について質問です 北陸割りに石川県が正式に対象となり、6月に観光を予定しています
宿泊は金沢市内ですが、車で七尾市まで足をのばすことを検討中です
3ヶ月後ですが、現在七尾市は観光客などが受け入れてもらえるような状況でしょうか?
もちろん、被災された方やボランティアさんのお邪魔になるような行動はしないつもりです
目的も七尾城(お城は閉鎖中だと理解しています)のスタンプをもらいに市役所へ行くだけの予定です
住民の方にとって、こんな観光客はご迷惑ではないでしょうか?


A:2月半ばの七尾市は、まだまだ、断水している地域が 多い感じでした。しかし、6月ともなれば、
ほとんどの地域で復旧していると思います。 私個人の考え方なのかもしれませんが、支援のためには
募金よりも実際に現地に入って、お金を落とすほうが 効果的だと思うんですね。
募金というのは、その性格上一時的なものになってしまうし 使い途をゆだねる相手として
信用しきれないというか……
特に石川県はボランティア受け入れに消極的というか、 ひょっとして来て欲しくないのかといった
対応をしているんですけど、募金に対しては、ちょっと恥ずかしく なるくらい積極的に呼びかけていて
ひいてしまいます。
ところで、観光にお金を使うということは、地域の 産業への投資であり持続的なものだと思うんですね。
ボランティアを排斥しておいて観光客だけ来いとは、 さすがの石川県も大きな声でいいにくいところも
あるのでしょうが、ぜひぜひ行くべきです。 行く人が楽しんで地元の経済も潤うんですから、
最高の応援になると思います。


Q:わたしは赤ちゃん返りでしょうか。アダルトチルドレンでしょうか。長文です。ただの愚痴です。
大学生女です。年の離れた姉が3人おり、私含め全員大学進学とともに実家を出ました。
3人はそれぞれ現地で結婚出産して、うち1人が離婚し実家で子育て(姪、1歳半)をしています。

そのせいで、せっかく帰省しても思うような休暇を過ごせずストレスを感じています。
今回の春休みは2ヶ月丸々帰省して短期バイトをしながらのんびり過ごそうと思っていたのですが、
「姪ちゃんの生活リズムに合わせて。朝のんびり起きてこられると困る。子守りに参加して。」と
母に口うるさく言われます。

姪は8時起床20時就寝のリズムで、声もかなりうるさくキーキー叫ぶし感覚過敏なタイプです。
朝はゆっくり寝られないし、お昼寝中や夜は物音を立ててはいけません。夜泣きも酷くてよく起こされます。
一人暮らし中は遠距離の彼氏と通話を繋いで一緒にゲームをよくやってたのですが、それもまったく
出来なくてLINEでしかコミュニケーションとれません。

当の姉はパートで短時間頻繁に姪から離れますが、その間の子守りは父母私の誰か手の空いている人が
します。
姪はママっ子で本当にずっとキーキーうるさくて、可愛くないとまではいかないけど元々そんなに
子供得意じゃないし、危なっかしくて目を離せないから好きに外出や本読んだりできないのもストレスです。

姉3人が大学生で帰省してた頃は私は中学生で、姉たちは今の私が思い描いているようにのんびりと
帰省を楽しんでいました。 私は上3人より少し遅く産み落とされたから今まだ大学生で、なのにどうして
大学生としての帰省が許されないのでしょうか。

私は母親ではありません。両親の子供は姪ではなく、まだ両親の子育ては終わっていません。私を産んだ責任が
まだあります。
私の実家が実家ではなくなってきている気がして、乗っ取られてしまったような、居場所がないような感じがします。

↑上記のこと全て母に二度訴えましたが(泣いてしまった)、「母さんも思うところがないわけではない。
ストレス溜まる時もある。あんたは私の子供やで、だから2ヶ月間ご飯も洗濯も面倒みてる。今まで
お姉ちゃんたちにも面倒みてもらったんやし、帰省中も送迎してもらったり車貸してもらったりしてるし、
お礼と思って。」と呆れ笑いで突っぱねられました。
最後に「もう帰省したくない」とこぼすと「えぇお好きに。」と。
家族仲は悪くなくむしろ仲いい方ですが、価値観合わなすぎると感じるところは各々あります。

まだあと1ヶ月ありますが、もう大学の方に帰ってしまった方がまだマシなのではと考えてしまいます。
一人暮らしもそれなりにキツいところがあるから帰省で羽を伸ばしたいのですが。

私はどうすればいいですか。もう大学の方に帰るべきですか。私がおかしいですか。

私は上3人を見て、24時間365日ベビーシッターと家政婦をいつでも好きなだけ呼べる経済力を
自分一人で持たない限り子どもは産みたくないと決意しました。
両親にも姉にも未来の旦那の家族にも絶対ボランティアベビーシッターをさせたくないです。
誰にもこんな思いしてほしくないです。

当の姉は3人の中では1番最後に結婚出産していて、なんで前2人を見てて出産しようと思えるのか
理解できないしその後離婚してるのも家族にこうやって嫌な思いさせてるのも本当に理解できないです。
私はまだ大学生なのに必要以上の理解を求めてこないでほしいです。

A:いつも、思い返すのですが大学生の頃の私はガキでした。
といって、ン十年経っても大人になったもんだなあなんて 実感できません。 聞いたことがあるかも
しれませんが「孫が来てくれて うれしい。帰ってくれてもっとうれしい」という言葉が あります。
私の周囲の人、全員が心底その通りだなあと 思ってます。
質問主さんには、ぜひ、今回の質問文をプリントアウトして 秘密の場所に保管し続けて欲しいと
思います。 10年ごとくらいに引っ張り出して読んでもらえれば、 私を含めて他の誰の回答よりも、
すぐれた回答ができる はずです。しかし、一方で「それほど成長できてないなー」と 実感も
できるはずです。30年後も40年後も。 ちょっとだけ違うのは頭で考えた回答ではなく体験を
通じた回答になるので、それだけが年の功というか回答の 味付けになります。


Q:3.11の時、気仙沼市では、災害ボランティアはどんな活動したんどエスか?

A:当時は、支援物資を個人の方が送っていたので、量も種類も バラバラでした。それを
配布するには、春物、秋物とか 女性用、男性用、子供用とか仕分けする必要がありました。
それを行う班と、津波によって敷地内や家屋の床下などに 入り込んだヘドロを除去する班の
大きく分けて二つの班が ありました。
私は、ずっと支援物資の仕分け班にいたのですが、4月の 20日過ぎになると、だいたい
完了したのでヘドロを 除去する班に移りました。ヘドロをスコップですくっては 土嚢袋に
詰める作業なので、けっこう肉体的にはキツイ 作業でした。さらに、この作業(単に「泥かき」と
呼んで ました)の初期には家屋の床をはがして、床下の泥かきを することが多かったのですが、
ときには、床下に流れ着いた 被災者の死体に出くわすこともありました。私自身は 経験して
いませんが、ボランティア仲間として親しくして いただいた方は、一度、遭遇してしまいました。


Q:高校一年女子です。

先日、学校で能登半島地震の現地ボランティアを募集していました。
(深夜バスに乗って次の日の朝から夜まで活動し、また深夜バスで帰る)
あまり、力に自信はないのですが、私にできることはあるでしょうか、?
ちなみに、トイレや食事は自分で持って行きます。

A:私がボランティア活動においてイチバン大切にしているのは 被災地をこの目で見て、
他のボランティアさんと積極的に 会話をして、ボランティア先で被災者の方と雑談でも
いいから 話をかわすことです。
報道では知ることができないナマの情報に触れることは、とても 大切なことだと思います。
志賀町の中でも特に被害が大きかった富来地区というところが あるのですが、
その地区にある富来活性化センターで、 ボランティア活動の昼休憩をとっているときに
他のグループと 一緒になったので雑談してたら、その中の一人は関東方面から 来た
高三女子でした。友達は受験中ということで、たった一人で参加していました。
重い物を持つことができなくても、一口にコンクリートブロックの 瓦礫といっても、
いくつもが鉄筋でつながっている大の男でも 動かすことができないような重い物も
あれば、手のひらに、いくつも乗るような小さい破片もあります。つまり、非力な者でも
小さな破片を 土嚢袋に集める根気がいる作業をすることで活躍できるわけです。
ボランティアはチームなので、いろんなポジションがあってこそ 成立するのです。
みんな投手じゃ野球にならないでしょ。 それに、最初のボランティア活動で、いきなり
何でもできるわけではなくて、二度、三度と重ねていけば、何をやれば役に立つか、
役に立つには自分はどうすればいいかがわかってくるのです。 そのためには、他の人を
観察したり、自ら積極的に関わることです。その時、失敗すればするほど、経験となって
あとあと役に立ちます。
ただし、同じ失敗でもケガはいけません。安全のためのヘルメットや ブロックが落ちても
足がツブれない安全靴や厚手の作業手袋などは用意しましょう。
イメージトレーニングも大切です。 ボランティア保険には出発前に加入しておきましょう。
あなたが一所懸命に活動すれば被災地の方々だけではなく一緒にボランティア活動する
人達にも勇気を与えることが必ずできます。 まずは、参加することが大切です。
ゆる~くでもいいので、ガンバってね~。

趣里? 夫婦狂想曲

2月25日(日)の17時半頃のことです。

TV画面に ↑↑↑ が写ったのを夫婦ともども目撃してしまいました。

趣里?趣里に似た女優?

時間にして、1~2秒。そのあと続いたCMには、趣里っぽい登場人物は

いなかったので、あれは、ひとつ前のCMのラストシーン?放送事故?

でも、本人か本人ではないのかわからないけれど、とてつもなく似てたという点では

夫婦の意見は一致してました。

「趣里 CM」「趣里 激似」「趣里 ……と、思いつく限りの検索語でググりましたが

何もヒットしません。

この映像を見たのが日本TV系の局だったので、次の日から、日本TV系の

西日本テレビにチャンネルを合わすことが多くなり、番組そのものより、CMが流れ出すと

TV画面に注目してしまうという、これまでにない状態になってしまいました。

そして、ついに今日!

あのCMに再会したのです。

あらためて見ると、最初のアップの画面以外では似ていると思えるシーンが

やっぱりないので、あれこれ想像してしまったのも無理からぬことだったかと。

このCMに出演しているのは 田尻 あやめ さんというファッションモデル、タレントさんでした。

彼女の名前で画像検索しても趣里似の画像はヒットしません。

瞬間記憶だったので激似と記録されてしまったのでしょうか。冒頭の静止画をよく見ると

顔の右半分か左半分か、どちらとも言えないのですが、半分だけなら今でも似てると

思ってしまいます。

それよりも、これからは西日本テレビにばかりチャンネルを合わせなくてもいいし、

必死にCMを見なくてもよくなったことがうれしいし、何よりも胸のつかえが

夫婦ともども取れたのが、うれしーぃ。

副産物として、TVに釘づけだったため、大谷翔平のインスタグラムでの結婚発表を

11分後に知ることができました。それが何だと言われると言葉に窮するのですが。

ネタが底をついたので知恵袋に回答してみる

ボランティアをしてきました。もちろん、県のボランティア

登録はしないで志賀町で毎日「当日登録」をしてボラセンの

指示に従って、主にブロックや瓦などの瓦礫を片づける

作業をしました。

石川県方式の間違いは「ボランティアが押しかけたら

道路が渋滞して被災地への物資の到着の遅れや、患者の

輸送回数の減少などの支障が出る」という虚偽の理由で自主的な

ボランティア活動を阻んだことにあります。虚偽が言い過ぎなら

事実とは違ったのに是正しなかったことが間違いです。

のと里山海道を救援車専用にするために一般車の通行を

禁止したにも関わらず、従来の道に渋滞は、まったくありません

でした。のと里山海道を通行止めにすることは何万人もの

ボランティアが押しかけたと同様の渋滞発生要因ですからね。

ただ、現地の人は40km制限といえば時速40kmで

30km制限といえば時30kmで走る人が少なからずいたので

それが原因の車列は、しょっちゅう起きていました。我々は

この現象を1台渋滞と名付けました。


Q:能登地震のボランティアについて質問です。
石川県のボランティア募集に登録しているのですが、メールで案内が来たので
応募しようとアクセスしたら、応募開始から10分くらいで締め切られてました。
募集に対して応募人数が多いためとは思いますが、実際の所どうなんでしょう?

自分は登山泊をよくやるんで食事からトイレまで自己完結出来る装備を持って
直接行ってもいいのですが、まだ素人が行っても邪魔ですかね?行った所で
知り合いがいる訳でも無し、何とも歯痒い状況です。

A:2月5日に志賀町に入って2月17日に現地を離れるまで

ボランティアをしてきました。県のボランティア登録は

しないで毎日「当日登録」をしてボランティアセンターの

指示に従って、主にブロックや瓦などの瓦礫を片づける

作業をしました。

宿泊は車中泊でした。水も食料も携帯トイレも持って

行きましたが、トイレは町役場横のバス乗り場のトイレ

(町営・ウォシュレット・24時間使用可能・掃除が

行き届いてる)を使いました。

ボランティアセンターのある敷地内に給水所があるので

飲み水の確保は簡単でした。

知り合いは、活動を一日すれば10人くらいできますよ。

毎日続ければ、ボラセンの人達もボラセンの活動を

手伝ってるオバチャンたちとも、みんな知り合いに

なります。活動時のお昼ゴハンは持参してね。

ボラセン近くのスーパーは営業しているので(18:00まで)

ボランティア帰りに調達できます。私は、mont・bell の

リゾッタを持っていって昼食にしました。


Q:能登地震でSNSで、他では見られなかった執拗なボランティア攻撃が
巻き起こっていましたが、石川県の方々は災害ボランティアの方々が嫌いだから
攻撃して、その後も嫌いだから受け入れないようにしているのですか?

A:2月5日に志賀町に入って2月17日に現地を離れるまで

ボランティアをしてきました。県のボランティア登録は

しないで志賀町で毎日「当日登録」をしてボランティア

センターの指示に従って、主にブロックや瓦などの瓦礫を

片づける作業をしました。

ボランティアに行った先、すべてで喜んでいただきましたよ。

ボランティアセンターの人も、車中泊していた駐車場横の

床屋さんも毎朝の横断歩道指導員の方も、あたたかく挨拶して

くれて言葉もかわしましたよ。

これは、石川県の方々だけではなく、過去の東北の方々も

熊本の方々も、みんなそうでした。だから、我々は、

いつも、ボランティアに行くのですよ。


Q:能登地震のボランティアに行きたいのですが、市町村が募集しているボランティア資格が
県内や市町村内の人に限られているものが多いと感じます。

何か理由があるのでしょうか?


A:2月5日に志賀町に入って2月17日に現地を離れるまで

ボランティアをしてきました。県のボランティア登録は

しないで志賀町で毎日「当日登録」をしてボランティア

センターの指示に従って、主にブロックや瓦などの瓦礫を

片づける作業をしました。

志賀町でも表向き、志賀町及び近隣市町(七尾市、羽咋市、

宝達志水町、中能登町)に在住の方に限るとなっていますが

私は岡山からで、他にも、奈良、三重、大阪、埼玉、岐阜、

愛知、新潟などから、ボランティアに来られていました。

これは、石川県が事前ボランティア登録を強要しているためで

あからさまに石川県の方針にあらがえない市町村は、県バスで

来てもらえる方のみと制限しています。

石川県が、なぜ、2万数千人のボランティア希望者を制限して

実活動できる人が一日当たり200人足らずという状態のままに

しているのか、その真意は想像するしかありませんが、全国から

いっせいにボランティアが押しかけたら渋滞が発生するという

理由は事実とは違っていました。火事場泥棒やボランティア詐欺が

入り込んでくることを警戒している可能性もあります。

しかし、一人の犯罪者を警戒して999人のボランティアを

排除することが、本当に被災者のためになるのかどうかは、

石川県に考えさすのではなく、ひとりひとりのボランティアが

考えて行動すべきだと思ったので現地に入りました。

石川県や、報道や、ましてやSNSに踊らされるのを好む

ボランティアは少数派だと思いますよ。


Q:ボランティアの人って、過去に悪い事をしたので、その償いをしたいと思っているのですか?


A:初めてのボランティアとして東北に行ったときには

肩だけじゃなくて全身が力んでガチガチの使命感を

もって気仙沼に入りました。震災からちょうど

一ヶ月経ったときで、まだ、梅が満開で公園には

ツクシが生えていました。

しかし、二十日間ほど活動をして、いろんな

ボランティアさんと交流したり、被災者の方と

話をしたり、現場の世話をしている市役所の方と

いわば戦友のようになったりしていく中で

ボランティアについて想像で考えていたことが

実際に身体で感じることができるようになって

いきました。

一年経って、同じ気仙沼で津波に流された写真洗浄の

ボランティアをしたときに、ハーバード大学の医学生の

カップルが日本での旅行の一環としてボランティア活動を

ともにしたのですが、カタコトの英語と日本語での

会話でしたから全部の理解はできませんでしたけど、

とてもナチュラルな感じで生き方のひとつのシーンとして

ボランティア活動ができる人に出会えたのは私の財産です。

その後、熊本や今回の能登半島でボランティアを経験する中で

「過去に悪い事をしたので、その償いをしたい」というのでは

なくて、あたりまえとして生活してきた中で気づかないままに

できていなかったことがあることに気づかされたり、たとえば、

ウクライナに対して何の支援ができるわけじゃないけれど

車のリヤウインドウにウクライナ国旗を印刷したA4の

紙を貼って走っているのも、ひょっとしてウクライナ難民の方が

見かけたら、ほんの少しでも気持ちをやわらかくしてもらえる

のではないかと思ってだったり、1日の数分でもボランティアの

視線で世界を眺めると、いろんな気づきがあります。

ボランティア仲間とは、たいてい一期一会ですし、ボラセンの方を

始め行政の方とも十日とか二十日間の短い期間での交流です。

それぞれの被災者さんとは活動の合間の短い会話しか、たいていは

ありません。それでも、数多くの、いろんな立場の人が被災地で

奮闘している姿を実際に見て、ちょっとでも会話をして、被災地

そのものを自分の眼でみて匂いを感じることは薄っぺらな自分の

人生をほんの少しですが強靱にしてくれてるような気がします。


Q:能登地震のボランティアについて教えてください。

現在他県から石川県へボランティアに行こうと計画しています。(個人で)
現地では、車中泊をしようと考えています。幸い車がハイブリットで、コンセントもオプションで
ついていますので、寝袋だけもっていけばいいかなと考えています。

現地の治安、トイレ状況、飲み水の確保はできますでしょうか?

大体1か月~2か月程度現地でボランティアをすることを考えています。


A:ありがとうございます。ぜひとも、ご活躍いただきたいと

思います。

2月5日に志賀町に入って2月17日に現地を離れるまで

ボランティアをしてきました。県のボランティア登録

しないで毎日「当日登録」をしてボランティアセンターの

指示に従って、主にブロックや瓦などの瓦礫を片づける

作業をしました。

志賀町では羽咋健民自転車道高浜休憩所という駐車場で

ずっと車中泊をしました。とこやさん(石川県羽咋郡志賀町

高浜町ク42-2)に面しています。隣がバス乗り場で町営の

24時間使えるトイレがあります。毎日清掃してくれるので

清潔だしウォシュレットであることが車泊者としては

うれしく感じました。ざっと、20台くらいの駐車スペースが

あります。志賀町の持ち物なので町役場の2Fの「まち整備課」に

許可をくれと言うのは、おこがましいので十日から二週間程度

駐車しますよと「耳に入れて」おきました。町役場の方は

「ここに駐車したら迷惑だなんて誰も言わないと思いますよ」と

言ってくれました。私の場合自作の軽四キャンピングカーを

使ったので、設営や撤収に若干手間取るのと防犯灯近くの

都合が良い位置を確保するため、毎日、10分ほどの距離を

ボラセンまで徒歩通勤?しました。

ボラセンの敷地内に給水所があるので飲み水はそこで補給させて

もらいました。ボラセンのゴミ捨て場も利用させていただけたので

プラゴミとその他燃えるゴミに分別して定期的に捨てさせて

もらいました。カラになったカセットガス缶3本は持ち帰って

地元の資源ゴミ収集所に出しました。

車中泊していたら、職務質問でも受けるかなと思っていたのですが

一度も会ったことはありません。他の車泊車の方は何度か受けた人も

いました。この場所に並んで車泊しだしてからは職質を受けずに

済んでいたようですが、私が活動を終えてからのことは

わかりません。

日帰り温泉もスーパー(18:00まで)も徒歩圏内にあります。

内科クリニックも駐車スペースから290mくらいのところに

あります。地域では一番安いセルフのガソリンスタンドまでの

距離も430mくらいです。

持っていく物としては、ヘルメットは貸し出してくれますが、

1,980円のものでも自前のを持っていくと爽快に使用できます。

活動中、足場の悪いところで壁を剥がす作業をしていた

ボランティア仲間が目の前で背中から落ちて、そのあと頭を

床で打ってしまいました。翌日も、その翌日も、その方とは

ボラセンや日帰り温泉で会ったのですが一応大丈夫みたいだったので

ホッとしましたが頭だけは守っておくべきです。

私は積雪を考えて長靴に釘踏み抜き防止ソールを敷いて使った

だけでしたが、ブロックなどの重い物も扱うし、屋内に入ることも

あるので安全靴であるに越したことはありません。屋内にあがる

時には刑事ドラマで見るような鑑識さんがはいてる靴カバーを

つけて土足であがるのが基本です。ガラス片や木のささくれが

あったりします。手袋も厚手のゴム手袋を用意してあると

いいと思います。複数人での作業なので注意力が足りない人と

組むと思わぬ動きをされてしまうことがあります。実際に

私も指先にブロックを落とされて中指の先にタンコブができて

倍ぐらいに腫れ上がりました。翌日、指はどんな様子ですか?と

その人に聞かれて「心ウキウキ、中指ズキズキ」と答えましたが

通じませんでした。

ついつい、長文になったワリには情報の質が悪かったかもしれませんが

何なりと質問してください。よろしくお願いいたします。

A^2:申し落としました。

1か月~2か月あれば、奥能登での活動もできるように

なってくるかと思います。私は、現地で耳にする道路状況と

自分の車の性能を考えて奥能登の状況を見に行くことも

遠慮しました。この先の季節を考えると必ずしも

スタッドレスタイヤが必要ではないかもしれませんが、

装備できるならあるに越したことはないかと思います。


これで終わるかと思ったら、ドッペリ・ゲンゲルさんが、

A^3:
>>現地の治安、トイレ状況、飲み水の確保はできますでしょうか?

もうこの時点で資格無しですね
全部自分で賄ってください、地元に負荷を掛けてはいけません
自衛隊を見習ってください
それができないのであれば、単なる「邪魔者」です

>> 現在他県から石川県へボランティアに行こうと計画しています。(個人で)

最後の(個人で)はどういう意味でしょうか?
行政の指示下に入らずに「勝手に」行動したいということでしょうか?
それこそ「邪魔者」です
必ず行政に連絡を取ってキチンと登録をした上で、行政の指示に従ってください
そうすれば、多少は生活に関する支援(トイレや水)が得られます

と書いたので、アフォな私は、つい反応してしまいます。

A^4:> ドッペリ・ゲンゲルさん

力が入りすぎ。(笑)もっと力を抜いて。
買い物ヴギを唄いながらスーパー行くように
ボランティアできるのが、ひとつの理想です。
資格を必要としないのがボランティアです。
それでも、最低限の守りたい事は存在しますが
一律ではありません。多様性こそボランティアの
底力です。

実際に被災地での自衛隊の活動に会ったら、涙が
出ますよ。訓練に訓練を重ねた体力も気力も知識も
技術も装備もあるからできるのです。見習うべきより
あこがれるべき存在です。マネをしてできるものでは
ありません。絶対に。

おそらく、ドッペリ・ゲンゲルさんは、ボランティア
としての経験を積んでいないのでしょう。体験の
裏付けがない意見は向こう側が透かして見えるほど
薄っぺらなものになるのでご注意ください。
いやいや、これでもボランティア経験豊富だなどと
おっしゃられるなら、ボランティアに不向きです。

ドッペリ・ゲンゲルさんからの反論(笑)

A^5:

おや、どうやら痛いところを突いてしまったようですね(笑
他人の意見にムキになって反論してくるのは、自らに後ろめたいところがあるからでしょ?
あなたがどんな活動をしているのか、私には関心がありません
回答のところどころに眉を顰めたくなる部分はありますが、放っておきます
どうせ指摘したところで変えるつもりはないでしょうしね
ただ、これからボランティアに向かうヒトは、独りよがりでない正しい方法でやって貰いたいと願うばかりです
その第一歩が登録だと思いますがね

>> dok********さん

一方、質問者さんからは、

A^6:

丁寧なご回答ありがとうございます。
情報を収集して私ができることをやっていきたいと思います。
足手まといにならないよう気を付けたいと思います。

と、お返事いただきました。


Q:災害ボランティアの高速無料ですが、紙のチケットが必要です。

ETC専用の首都高新宿ICから乗りたい場合はどうしたらいいのか、教えていただけますか。


A:結論としては、ETC専用の入り口から高速に乗ったら

一般レーンがあるICまで行って、そこを起点に

災害ボランティアの高速無料措置を利用するしか

ありません。帰りも一緒で一般レーンがある出口を

使わないと高速無料措置を受けることはできません。

一般レーンに入ると同時にハザードを点灯して

後続車に時間がかかることを知らせるほうがいいです。

一般レーンでも、ほとんど人が常駐していることは

なくてインターホンを通じてのやりとりをしたら

地下通路を使って係の人が来て手続きしてくれます。

これに時間がかかるのです。

なお、高速無料措置を受ける入り口前から出口を

出るまでETCカードは抜いておくほうが無難です。

あやまってETCカードをICで認識されてしまうと

高速無料措置を受けられなくなる可能性があります。

また、走行中もジャンクションなどで、しょっちゅう

ETCカードへのアクセスがあるので余分なデータを

残さないためにも抜きっぱなしにするのが良いと

思います。

ボランティア石川県方式は間違っている

溜まっていた新聞も今朝の朝刊で、やっと追いつきました。チャージコントローラーは

新品に替えても充電ができないので車のバッテリー充電用をサブバッテリー用に

流用して、じっくりと原因を調べます……といっても、ACアダプターを交換してみても

充電ができなければ、私には原因究明の手立ては残っていませんが。

さて、ボランティア活動を終えて一週間経ち、あらためて石川県方式について

考えてみました。百歩譲って最初の混乱の中で判断を間違ったとしても

それは、しかたないのですが、災害から二ヶ月も経とうかという時期に

至っているのに、災害ボランティアは迷惑だから来るなを押し通すのは

間違っています。

災害救助法に基づく救助は、都道府県知事等の行う「法定受託事務」なので

県が主導します。その県が全国から押し寄せるボランティアを迷惑と考え、

能登方面へ向かう道路については、深刻な渋滞が発生しており、こうした中で

個別に被災地へと向かおうとすると、支援物資の到着の遅れや、患者の輸送回数の

減少など、救助・救援活動に大きな支障をきたす恐れがあるとの理由をつけて

特設サイトに事前登録し、活動日を仮予約したら参加決定通知を受け取った者のみ

参加できる仕組みを押し通しています。

しかし、2万人以上が事前登録し、これまでの累計活動実績が二千数百人ということは

競争率10倍の狭き門をくぐり抜けた者のみ活動ができるということになります。

活動できる人と活動できない人の選別をどのような方法で行っているのかわかりませんが

私のように十日程度集中して活動したいと言っても必ずしもかなえられるとは限りません。

金沢駅前からの県バスに乗って片道4時間をかけて現地入り。3時間の活動ののち、

再び4時間かけて金沢駅まで帰るといった活動をボランティアに強要して何も考えない

……と、思ったら2月26日から穴水町の旧向洋中学校を活用し、最大100人が使用できる

宿泊施設「奥能登ベースキャンプ」を設け、ボランティアは1泊2日での活動を開始するとの

ことです。奥能登ベースキャンプは、ボランティアから参加費1000円を徴収するシステムで

最初の1週間は、珠洲市で30人、穴水町で15人のあわせて45人を募集するというものです。

違う違う。全国から集まるボランティアに、そもそも宿泊場所の用意なんて必要ありません。

奥能登ベースキャンプのようなサテライトボランティアセンターをもっと多く作って大量の

ボランティアが押しかけても駐車できるスペースと仮設トイレを用意してください。

欲を言えば、燃えるゴミとプラスチックゴミを捨てることができるようにしてください。

志賀町での連日の当日受付組は車中泊。活動最終日にはトイレ付きキャンピングカーでの

参加もありました。一般の車中泊者としては、夜間、早朝に使えるトイレと駐車場所さえあれば

活動できるのです。水がなければ積み込んで行くしトイレがなければ携帯トイレで凌ぎます。

でも、例外的な者(私のように県のルールに従わない者)以外は、ちゃんと募集要項に

従って事前登録もするし、軽トラ持参なら当日参加できると知ったら岐阜や岡山から

軽トラに乗って駆けつけるのです。でも、軽トラで車中泊はできませんから着いたその日か

せいぜい、一泊で帰って行きました。

ボランティアに助けを求める人の多くは、家の中の片付けを知り合いにやってもらいたいとは

考えません。家の中の状態をまったくの他人に見られても大丈夫ですが知り合いや

親戚に見られたいとは思わないのです。熊本でボランティア活動したお宅の人に後日

偶然会いました。こちらとしては、一日、顔をつきあわせて少しは親しくなった方ですから

当然のように挨拶をしたら、あいまいに返して、そのまま立ち去っていきました。???と

思いましたが、ボランティアの助けを借りたことを周囲の人に知られたくないのです。

志賀町の富来地区でボランティアさせていただいた高齢者男性の方は、朝のうちは

どこかボーッとした感じで、こちらの話しかけることに従うというか誘導されるがまま

みたいな感じがありましたが、午後になると、しっかり会話もできるようになりました。

ボランティアと話を交わすだけで、しっかりしてきたり元気が出る人って多いのです。

ボランティアを装って法外な「料金」を要求するような輩が入り込んだりするのは

事実でしょう。でも、それは千人に一人とか、そんなレベルで残りの999人のボランティア

活動を県が阻害するのは間違っています。たしかに、ボランティアの中には

やっかいな人もいます。それ以上に心やさしく被災者の気持ちに添うことができる

人達がいるのです。2万人以上の人がボランティアをしたいと手を上げたなら、

その願いをかなえる義務が石川県にはあるのです。ボランティアセンターの人達も

2ヶ月間の活動を通して経験も積み、たくましくなっています。どうしても手に負えない

人が来ても、その人を手なづけることができる人も来ます。多くのボランティアが

集まれば、ボランティア社会の中で秩序が保たれるような力が働くのです。

このあたりは、経験が物を言うとしか説明できませんが必ずスーパーボランティアは

いるし、多少やっかいな感じでも根は善意で参加しているので、まる一日活動すれば

話ができる状態になります。2万人以上の希望者がいれば、そのほとんどが初めての

ボランティアかもしれない。そういった人がボランティア経験をする機会を石川県は

奪ってはならないのです。

道路の渋滞?「のと里山海道」が一般車通行止めでも在来道路の渋滞というものは

まったくありませんでした。ただし、石川県特有というか、40km制限といえば40km

以下で走る車をたびたび見かけました。その車のあとにズラーッと列ができますから

我々県外組は、これを1台渋滞と呼んでました。しかし、先頭車が脇道に入れば解消する

渋滞です。そもそも、能登半島では走行する車の台数そのものが少なく、走ってる車も

長い距離を走る車は少ない。そもそも渋滞ができるほど車がいなのです。全国から

大挙してボランティアが押し寄せても渋滞が起きるほど来ることはありません。

まだまだ、日本ではボランティアって少数派なんです。

今回、被災地で自動販売機が壊された、という報道がありました。当初は「自販機破壊し

金銭盗む」という報道でしたが、その後、「避難者の飲料水を確保するため」に、ちゃんと

所有者の許可をとって壊したことがわかりました。そもそも、高速代とガソリン代を

つぎ込んで自販機の小銭を盗っただけでは元が取れないでしょうという考えが働かないから

県外ナンバーの流入を阻止せよなんて声が起こる。その声をまともに信じて石川県は

ボランティアに実質的な制限をかけてしまいました。それは間違いだったことに

そろそろ気づくべき時期です。自衛隊がやってくれるから大丈夫。などと夢にも

思わないでください。自衛隊には自衛隊にしかできなことをやってもらわねばなりません。

まして、ウクライナがこんな状況でプーチンが日本を名指しで目の敵にしている

このタイミングです。

石川県は何を間違えたかをこんな世界の片隅から指摘するのもボランティア活動

なんですよ。行った人にしかわからないことがあります。志賀町も無条件で

ボランティアを受け入れているわけではありません。ボランティアの募集範囲は

 【1】志賀町及び近隣市町(七尾市、羽咋市、宝達志水町、中能登町)に在住の方

(駐車場の利用は志賀町および近隣市町村の方に限らせていただきます)

【2】県民ボランティアセンターが運行する金沢発の送迎バスを利用される方

のままです。それでも、他県の者が行っても、ちゃんと受け入れてくれます。

石川県が間違えたのなら、その間違いをゆる~く正すのもボランティアの務めかなと

この文章を書きました。

成羽(なりわ)美術館

安藤忠雄氏の設計なのでコンクリートの打ちっぱなしの建物です。

どの駐車場からでも、入り口に至るには建物の外周をぐるっと

回らなければなりません。近道をしようにも建物を取り巻く

お堀のような水面に阻まれます。

今日、展示されていたのは、福島隆壽氏の作品でした。

同時開催として「児島虎次郎を偲ぶ絵画コンクール 30年の歩み」と

題した高梁市内の小中学生が参加する絵画コンクール展で30年間に

児島賞を受賞受賞した全270点の展示が行われていました。

これは、駆け足で観ただけになりましたが、子供らしい作品群の中に

2点ほど、これは!と光る作品がありました。今考えると、ひと通りキチンと

観ていれば、もっともっと光る作品に出会えたかもしれませんが、そのために

270点もの子供の絵を眺めていくのは、ちょっと、タイパが悪いというか……

ごめんなさい。

福島隆壽氏の作品は、氏の60年以上にわたる苦悶とその苦悶の中で

垣間見た輝く物との出会いが感じられて、挑戦的な若い頃の作品と

80歳に至ってたどり着いた作風の長い道のりを味わうことができて

想像していたよりも満足できました。しかし、全般的に暗い展示室内で

天井のスポットライトが作品の一部に当たっているものがいくつかあって、

作者の意図を誤誘導するというか、むしろジャマしているのではないかと

気になって作品世界への没入を阻害されたように感じました。

行きと帰りは違う道を使いましたが、私の脳内ロードマップと異なる

場所に成羽は位置していて驚いたのと矢掛の台湾料理店で食べた

ランチが780円なのにボリュームがあって特に卵スープの味が絶品で

大変おいしくいただくことができたのは幸せでした。

片づけ始動

やっと、その気になったのは、明日お出かけしようってことになったからです。

ひとり寝モードのままでは二人乗車できないので片づけるしかありません。

↑↑↑ は搭載した荷物のホンの一部。よくもまあ、何だかんだと積み込んだもんだ。

とりあえず、ジンちゃんから降ろすべきものは降ろしました。読み終えていない新聞も

三日分だけ。TVドラマも、おおむね見ました。でも、ドキュメンタリー系が、まるまる

残ってます。それよりも、母屋に運び込んだものの整理できていない物が多すぎるし

ガレージに降ろした荷物の整理っていつになるのかわからないし、何故か家庭用

コンセントからのサブバッテリー充電がウマクいってないし、片づけだけでも

山ほど残ってますが、とにもかくにも取りかかったのですから、いつかは片づきます。

今、一番の問題は家庭用コンセントからサブバッテリーを充電することができなく

なっていることです。ソーラー代わりのACアダプターからは20Vの入力があるのに

バッテリーへの出力が2Vくらいしかありません。要するにチャージコントローラーが

天に召される直前状態みたいで、これを交換するしかなさそうです。

悲願の一位は瞬間蒸発一位

にほんブログ村>アウトドア>軽キャンピングカー カテゴリーにおいて

ランキングOUT で一位になるという悲願が、ついに

本日未明に達成されました。(たぶん)数時間後、再び2位以下に転落しました。

だから、何?って聞かないで欲しい。ただただ、うれしかったんだよお。