ラジオ・ショーで、
とある日系アメリカ人が
「子供の頃の苦い思い出」を語っていた
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私の父はアメリカ人です。母は日本人です。
私自身、差別を受けたことは殆どありません。
でも、私の母は違います。
「父との結婚」で日本から移民した彼女は
紛れもなく この国で「外国人」でした。
私がまだ小学生の頃、
母は、私が通うスクールで「教える」ことになりました。
母が英語を話す度に
爆笑するクラスメイト達…
子供達にとって、
彼女の「外国人訛りの英語」は
可笑しくてたまらなかったようです。
私は、この状況を見て
いたたまれない気持ちでいっぱいになりました。
ところが、母は
いいのよ…
私は「面白い先生」の路線で行くわ!
と、開き直っていました…
母はアジア人であるが故に、
「外国人である三重苦」を背負っていました。
Sounds different :
英語に強い外国語アクセントがある
Looks different :
見た目が明らかに「外国人 (=アジア人)」
Behaves different :
明らかに「アメリカ人じゃない」リアクション&行動パターン
この「三重苦」故に、母は常に「外国人」扱いされ、
この地で「コミュニティに所属する」というのは、
母にとって「非常に難しいこと」でした。
だから、
あえて、「面白い先生」となって、
「外国人」である自分を「受け入れてもらう」
それが、
母が選んだ「サバイバル方法」だったんです。
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アタシ、
この話を聞いて…
もう……
大泣き!
運転中、
涙で視界が悪くなちゃったけどさ…
わかる!
わかるよ!
このお母さんの気持ち!
だって、
アタシも 同じ経験あるもん!
以前、サマー・キャンプで
日本語を教えた時…
やっぱ、子供達が
アタシの英語を笑うんだよ!
(その時のお話はコチラ→★)
典型的 日本人な私は、
「L」と「R」が苦手。
だから
「Pool(プール)」は「Poo(ウ◯コ)」になっちゃうんだぜぇ〜
⬆︎そりゃ、笑うわ
でもね、
アタシの場合は、
この状況を甘んじて「受け入れてもらう」のではないくて、
戦って「理解してもらう」ことを選んだよ
アタシが 子供たちに伝えたのは…
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外国で生まれて外国で育ったアタシにとって、
「完璧な英語を話す」のはとても難しいです。
アメリカに移り住んで、
もう10年近くになります。
本を読んだり、テレビを見たり、
色々努力しているケド、
あなた達が期待するような「完璧な英語を話せる」のは、ほぼ不可能でしょう。
外国人である私にとって「英語」は、
ある意味、「障害」も同様。
どれだけ努力しても、
治らないのです。
「Better」には なれても、
「Perfect」には なれないのです。
足がない人が、
「Perfect」に 歩けないのと同じです。
あなた達は、
足に障害を持つ人が
普通の人と違った歩き方をしているのを見て、
笑いますか?
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以来、子供達は
アタシの英語を笑わなくなった。
「わからないから、もう一度言って」
とはよく言われたけどね…
子供達は、単純に知らないのだ。
「外国人である事が どういう事か」を。
「何が差別であるか」を。
だから、「教える」
ラジオ・ショーの「母親」の時代は 一昔前。
彼女の「受け入れる」も 立派な選択の一つ だったと思う。
でも、国際化が進んだ 今の世の中は違う。
「外国人」を「外国人である事」で馬鹿にするのは、「アホ丸出し」行為
と言っても 過言じゃないと、アタシは思ってるよ
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