食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

古代ローマの食材(7)ハーブと香辛料

2020-06-26 15:26:53 | 第二章 古代文明の食の革命
古代ローマの食材(7)ハーブと香辛料
古代ローマ人が食べた料理には大量のハーブや香辛料が入っていた。ガルムにも大量のハーブと香辛料が使われていた。このため、古代ローマ人の食べ物は現代のイタリア料理やフランス料理などの西洋料理と比べるとかなり味が濃くて、においも強烈だったと考えられる。このような味の好みはローマ帝国の滅亡とともにヨーロッパから消えてしまったように見える。今回は、古代ローマ人が大量に消費したハーブと香辛料について見て行こう。

まずはハーブだ。ハーブは主にイタリア半島や近隣の支配地で自生あるいは栽培されたものが使用されていた。古代ローマ人は、セロリ、ローリエ、バジル、ミント、コリアンダー(パクチー/香菜)、タイムのような私たちが今日でも口にすることのあるハーブや、ラビッジ(セリ科の植物)やヘンルーダ(ミカン科の植物)のような今ではほとんど使われなくなったハーブ、そしてローマ人が絶滅させてしまったラーセルピティウムなどたくさんの種類のハーブを料理に使用していた。

なお、ラーセルピティウムは古代ローマ人にとても人気のハーブで、高値で取引されていたらしい。もともとは北アフリカにたくさん自生していたが、栽培は不可能で、ローマ人が大量に採取したために一株を残して絶滅してしまった。そして最後の一株は第5代ローマ皇帝ネロ(在位54~68年)が食べてしまったという。

ハーブは料理に入れて香りや辛味などを楽しむだけでなく、病気の予防や治療にも効果があるとされていた。例えばミントは、扁桃腺や鼻づまり、吐き気に効くとされた。当時の医療は食事療法と呼ぶべきもので、これが中世までの西洋医療の根幹を成していた。

香辛料(スパイス)もハーブと同じように、風味付けに使用されるだけでなく、健康になるために料理に入れられた。料理に使わずに、そのまま口にすることもあったらしい。

現代でもよく使われているマスタードとクミン(現代のトルコ料理やスペイン料理、インド料理によく使われる香辛料)は古代エジプトから栽培されている香辛料で、古代ギリシアを経由して古代ローマに持ち込まれたと考えられる。そして、古代ローマ人によって、属州だったガリア(フランス)やスペインなどに広められた。

西暦1世紀になると、ローマ帝国は下図に示すようにオリエント(メソポタミアやエジプト)を含む広大な支配地を獲得する。オリエントは紀元前2000年より以前からインダス文明と船を使った交易を行っていた。そして1世紀頃には、インド洋とそれより東方の南シナ海沿岸地域や中国とを結ぶ海の交易網が構築されていた。一方、内陸部にはシルクロードを始めとする中国と中央アジア、そしてオリエントを結ぶ陸の交易路が存在していた。このような海と陸の巨大な交易網にローマ帝国が参入したのだ。なお、船を使った交易は、ローマの配下になったギリシア系の商人が担うことになった。



インドは香辛料の一大産地である。香辛料の中でもコショウがもっともよく利用されてきた。コショウの木はつる性の20年以上生きる熱帯性の植物で、1本の木から約2キログラムのコショウの実が採れる。実を収穫する時期やその後の処理の違いによって、黒コショウ(ブラックペッパー)、白コショウ(ホワイトペッパー)、青コショウ(グリーンペッパー)、赤コショウ(ピンクペッパー)になる。この中で代表的な黒コショウは、赤く色づきはじめる直前の緑色の実を果皮ごと天日に干して黒くなるまで乾燥させたものだ。また白コショウは、赤く熟した果実を1週間程水につけて外皮を柔らかくしてはがし、白色の実のみにして乾燥させたものだ。黒コショウは肉料理に合い、白コショウは魚料理に合うと言われている。世界中でこれほど使われている香辛料は他には無いことから、コショウの風味は人類の嗜好にぴったり合っているのだと思われる。

紀元前4世紀のギリシアの書物にはコショウのことが記されているので、この頃にはオリエントを介して地中海にもコショウが伝えられていたのだろう。このため、古代ローマの上流階級の人々もコショウの魅力に触れていたと思われる。そして、オリエントを支配したローマ人は先にお話しした交易網を使って、コショウを始めとする香辛料をインドから大量に購入することになる。交易を開始した頃はコショウ以外に、シナモン、カルダモン、ショウガを輸入した。少し遅れてクローブ、ナツメグ、ニクズクなども購入したようである。

ちなみに、香辛料以外には中国製のシルク製品や香料、真珠、宝石などを輸入していた。そして、その代価として金貨を支払っていた。ローマ帝国には豊かな東方世界に輸出できるような産物は無かったので、エジプトなどから徴収した金から作った金貨を使かったのである。プリニウス(西暦23~79年)は「博物誌」において、ローマ帝国は香辛料と絹のために、中国・インド・アラビア半島に年間に少なくとも1億セステルティウス(1000億円くらい?)を支払っていると記している。現在、インドの各地からローマ時代の金貨などが出土すること見ると、当時の交易はとても盛んであったのだろう。

またプリニウスは、1ポンド(約450グラム)の黒コショウは16セステルティウス(16000円くらい)で、白コショウは28セステルティウス(28000円くらい)と記している。現代の日本で買うと10分の1くらいの値段なので、ものすごく高かったというわけではなかったようだ。

さて最後に、「アピキウス」から半熟ゆで卵にかける「松の実ソース」のレシピを紹介しよう。

   松の実ソース(小さい半熟卵4個分)
    ・すりつぶした松の実  200グラム
    ・挽いたコショウ    小さじ2杯
    ・蜂蜜         小さじ1杯
    ・ガルム        大さじ4杯
    すべてを混ぜ合わせて卵にかける。



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