おじさんがおじさんになるまでの話

おじさんは昔おじさんではなかった。それどころか、男の子でさえなかった。男の子に生まれなかったおじさんが、いかにしておじさんになったかを少しずつお話ししていきます。

女性であることを求められて〔個人史5〕

ごきげんよう、道の駅の記念切符を集めているおじさんです。

個人史においての「社会的性についての葛藤」について綴っております。いわゆるトランスジェンダーの悩みというのはおそらくここに重点があるのではないかと思います。「社会の中での自分の性についての違和」を感じて、それを何とかしたいのがトランスジェンダーであろう、という(おじさんの)解釈です。

性同一性障害というのはその上に「生物学的性についての違和」があって、どちらかというとこちらの方が重点となっている。と、おじさんは思っています。

「生物学的性についての違和」の解消について、つまり性別適合手術については既にこのブログのはじまり辺りに集中してお話ししておりますので、も少し社会的性のお話を続けますね。

女性はうつくしかるべきものか

おじさんは27歳の半ばまでは、女性らしい格好や行動をしていた訳ではないものの、世を忍ぶ仮の女性として生活していました。そのため「女性である」それだけを理由に差別されるもしくは差別的な扱いを受けることがあるということを知っています。

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かわいくない、うつくしくないとされる女性を、男性は非常に蔑ろにします。これは年令の長幼は関係ありません。小学生男子もかわいくない、ブサイク女子を物体よろしく扱います。

たとえば。

小学校も中学年以上になると、男子も女子も性を意識しはじめます。すると運動会では蔑ろにされる女子が現れはじめるのです。主な理由はフォークダンスです。

現在では混合列を組んでいて多少はましになっているのではないかと想像するのですが、おじさんが学校に通っていた頃は男女別に列をなして、男子は女子と、女子は男子と手をつないで踊ることを余儀なくされていました。

クラスの人数によっては背が高い人の一部はそれを免れることもあり、おじさんはときどきその恩恵に与ることもありましたが、そうでないときは男子生徒の話題の的でした。

「うわ、俺おじさんと踊らなあかんかも」
「1、2、3……俺ギリギリセーフや、やった!」
「うーわー、俺当たってまうわー、変わってくれよー」
(もちろん当時から「おじさん」と呼ばれていた訳ではありません。便宜上「おじさん」としております)

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ちょー明らさまに、しかも臆面もなく憚ることなく、本人がいる場所で本人に聞こえるのも構わず、おじさんと手をつないで踊ることを厭がってくれるのです。一度や二度ではありません。これが高校を卒業するまで毎年あるのです。

手をつなぐ場面というのはフォークダンスのときばかりではありません。小学生の間は遠足という機会もあります。長距離行軍の際ははぐれないようにと2列縦隊で隣り合う者同士が手をつなぐよう指示が出ることがあるのです。そしてこのときも、男子1列女子1列の2列縦隊なのです。

おじさんと隣り合った男子は、おじさんの真横でおじさんとペアになったことをこの世の終わりのように絶望してみせます。指示が出たのに手をつながないと教員らに叱られるというので、小指だけでつないだりします。

それは思春期のポーズなのかもしれません。しかし、ことあるごとに厭がられること、それが胸の底に少しずつ少しずつ蓄積していくことを、男子のみなさんは考えたことが、想像なすったことがあるでしょうか。高校生になると思想の違いからか一部の女子からも厭がられましたけども。

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その他、校舎の廊下をただ歩いているだけで、怪物扱いされます。別の学年の見知らぬ男子生徒から、中学生の頃は「ゴジラ」と、高校生の頃は「クッパ」と呼ばれていました。そういうことは本人に聞こえないところで言いなさい。

毎年恒例のことですから慣れてもいいものですが、10年近く慣れることができないまま学生を卒業しました。

働くようになってからはさすがにそのようなことはなくなりましたが、性別によって扱われ方が異なる場面というのは、その後もたびたび出会います。

女性の仕事と制服

働きはじめた頃のおじさんはまだ世を忍んでいて女性として働いていたのですが、割りと女性性を求められない職場でした。電気製品を組み立てる工場だったのです。でも、仕事を少し離れると「女性の仕事」が発生しました。お茶くみです。

おじさんがいた工場では10時と15時に10分間の休憩があって、そのときには休憩所にある4つのテーブルにそれぞれ6~7杯のお茶を用意しなければならず、それは現場にいる女性の仕事でした。当時の工場は女性の数が少なく、5~7日に1回はお茶当番が廻ってくるのでした。

勤めはじめたときに指導を担当してくれた男性社員が、「お茶くみは面倒な仕事」という認識を持ってのことか、お茶くみの仕事をおじさんに伝えた後、このように仰いました。

「ごめんな、女の子やからな」

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時は既に平成で雇用機会均等法も施行されてはいましたが、時代はまだまだ変化の前だったのですな。

さて、その後。

紆余曲折あって、おじさんは一旦この職場をやめて、数年後に今度は男性として勤めはじめます。工場は町ひとつ分ほども広くて、最初に勤めた部署とはまったく違う部署に配属されたので、以前のおじさんを知る人はそこにはいません。だからこそ性別移行後の職場にこの工場を選んだのです。

工場という職場ではたいてい作業服が制服として支給されて、男性と女性では服のかたちが違います。お茶汲みしていた頃のおじさんは女性用の、事務服に似たかたちの制服を着ていました。任意の普段着に上着を羽織るだけでOKの格好です。

しかし再び勤めたときは、男性用の作業着が支給されました。上下揃いの飾りっ気がまったくない作業着です。これを着たかったんだなー、と思いながらそれを着けたときおじさんは、ずいぶんしっくりきたことを憶えています。サイズが合ったというのとはまた違った、非常なフィット感でした。

しかし、それを着る時間は長くは続かなかったのです。

手のひらを華麗にターン

試用期間の3ヶ月が過ぎ、社会保険をつけてもらえることになった辺りのことです。現場のでの作業にも慣れてきて、いつものように仕事をしようといつものように出勤すると、班長をはじめ現場の同じ部署の人たちの態度がどうにもよそよそしいのです。

おじさんが3ヶ月勤めて現場に慣れたということは、現場の人たちもおじさんと3ヶ月一緒に仕事をして、おじさんに慣れているということです。それが証拠に、昨日まで仕事の指示などをほかの作業員同様にくれていたし、力仕事も当然任されていました。

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それが、その日は朝からよそよそしさ+妙な丁寧さを以て、誰もがおじさんに接してくるのです。いつも隣りに並んで作業していた年配の同僚などは、おじさんが少し大きな部品を移動させようとすると、作業の手を止めて手を貸してくれようとしました。

この部品、昨日もその前の日も、おじさんは一人で運んでたでしょ?

さらに、おじさんを呼び止めるときに昨日まで「おじさんくん」だったのに、今日は「おじさんさん」と呼んでくれます。

あー、と思いました。

現場にいる作業員は、同僚の素性など知りません。いつも接する態度・言動と作業服の胸に付いている名札が、お互いに知り得るデータのすべてです。ファーストネームや居住地やその他のデータを知り得るのは事務所で書類を扱う人だけです。

現場にいる人はそれらデータにふれることがないはずですが、現場の偉い人即ち班長だけは事務所と現場を行き来します。班長は、おじさんの社会保険加入の手続きについて、事務所で知る機会があったのでしょう。そして知り得た事実、つまりおじさんの戸籍上の性別という個人データを現場のほかの作業員たちに漏らした。

おそらくはそういった過程でおじさんがいる部署の人たち――もしかしたらほかの部署の人たちも――は、当時のおじさんの戸籍上の性別を知って、おじさんへの接し方を変えたのでしょう。

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その態度の変わり方というのが、それは見事に「手のひらを返すが如く」でした。「『手のひらを返す』ってこういうことを言うんだ」と感心してしまったほどです。腹が立つとか悲しいとか心苦しいとか、そんなことよりも、昨日と今日とで同じ人が同じ人物に対しての態度をこんなにコロッと変えることができるものなんだな、と驚くことに精一杯でした。

こういった現場にその後も平気で勤められるほど当時のおじさんは強くなかった。間もなく退職して、仕事ジプシーになるのです。

実はというほどでもない事実なのですが、おじさんは社会不適合者です。一般の人と同じように社会の中で生活することができない人です。次回はこの辺りについてお話ししていくことにしましょう。ではまた。

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