Be natural~中高一貫進学校にねじ込んだ親とその子のその後のブログ

Be natural~中高一貫進学校にねじ込んだ親とその子のその後のブログ

中高一貫にねじ込んだけど…あまり語られることのないその後を綴ります。
2014終了組→五年生から中受参戦。日能研偏差値40台からのスタートで二年間の全力疾走。下剋上で超難関校へ入学するも深海魚に
2018終了組→入念に準備の上SAPIXα常駐。第一志望の一つへ入学

ようこそお越しくださいました。
今のこのブログの根底にあるテーマは

「進学校の深海魚(とその母)として六年間過ごすということ。」です。

進学校に進学した息子の話とか
なんだよ自慢か。

と思われてしまう方もいらっしゃるんじゃないかとは思いますが、
通っていた学校は自称進学校ではなく、
事実全国有数の進学校なので、
まあそれはそれで仕方ないですよね(雑)

でも、わざわざブログタイトルに入れたのは、
進学校の底辺でもがいたブログというのも、
もしかしたらどなたかの参考、、
にはならないんですけど(爆)!
悩んでいる親子もいる!
という直の発信が何かしらの意味を持つかもしれないと思ったので。
六年間底辺はきつかったですが、まったく後悔はしていません。

まあつまり、
我が子はその全国有数の進学校で底辺でした。
いつから底辺かというと中一の一学期中間でいきなり下位20%くらいだったので、そこらへんからのスタートということです。

中高一貫に進学した親子六年間の備忘録になる予定です。
(次男はまだ在学中ですので、主に長男の話になります)
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受験塾が決定しました。

今考えても周りが見えてなかったな…。と反省しきり。

転勤可能性が少しでもあるなら日能研一択でしょうと思う。

 

学校に居場所が無かった伸ですが、

徐々に居場所を見つけていきます。

 

まず重要だったのは受験仲間。

関西の小学校では中学受験をするのはクラスに数人って感じでしたね。でもこれでもその地域にしては多い方。受験する子がいるからという理由で当時は珍しい運動会が春にある学校でした。

 

で、もう四年生から塾に通っていた子は運動神経抜群でハイパーイケメンで女子にも優しいN君とおっとり優しい一人っ子Hくん。

この二人だったのでカーストがわりかし高いわけです。

そこになんとなーく入れてもらえたため、学校で居場所が見つかったというわけ。

 

あの学校ってなんなんですかね。

突然「二人組を作りましょう。」とか地獄でしかなかったと未だに言います。

どうやらいつも余ってたっぽいです。

性質的に事前にすりあわせとかできないんですね。

遠足や行事の係決めがありそうな時期になると、

「そろそろ誰と組むか決めておきなさいよ!」といいきかせておくのですが、元々友達が少ないうえにものの見事に忘れているんだそうで。

 

…書いてて鬱っぽくなってきました。

伸の性質や性格についてはまた別の機会に・・・。

これまだ乗り超えてないんですよね。(;´д`)トホホすぎる。

 

 

 

 

もし、受験するなら、このタイミングを逃すと結構きつい!

ということで、見切り発車でとりあえず中学受験を決めた我が家だが、

塾選びについてまだ迷っていた。

どちらの入塾基準も達成しているし、

伸はどちらでもいいという。

あとは親の決断のみ。

どうしよう!!

 

やることもたくさんある年末にそんな重要なことまで決断しないといけないとは…。

 

ところが、そんな我が家に急転直下。

主人から連絡がはいる。

 

東京転勤です!

 

というのだ。

こんなに

急に目の前がぱーっと開ける瞬間

というのもめったにあるもんじゃない。

親的には

「よしきたこれ!」という感じだった。

 

首都圏の中学校を受けられるなら、六年間固定だとしても、

実家も近いので、

もしこの先また転勤があっても単身赴任による家庭へのダメージは少ない。

この転勤が中学受験GO!GO~!

となった瞬間であり、

 

塾選びも2択から1択になった瞬間だ。

そもそも日能研は全国にあるので転勤族にはもってこいの塾なのだ。

今考えると、そこに気付かない時点で何をやっていたのか…??

という感じなのだが、(苦笑)

一向に転勤話が無かったため、関西に家も買っていたし、

旦那に転勤があるという感覚を忘れてしまうくらい、関西にどっぷり漬かりきっていたのだ。

 

その時、ちょっとだけサピックスも候補に挙がったけど、

確か当時の関西ではなんかセレブな感じの街に一校しかなかったと思う。

まだまだ関西ではなじみもないし、実績もよくわからず、

一応県内ではあったが、とてもじゃないけど学校帰りに気軽に通える場所では無かった。

 

転勤が理由で、

アットホームなSアカデミーが選択肢がはずれたことは私的には残念だったが、(母親である私はかなりSアカデミーを推していた。)

我が家は新五年生から日能研で中学受験のスタートをきることになった。

伸も、Sアカデミーの方が先生が優しそうだったけど、日能研に友達と通えるのが嬉しい!

と喜んでいた。

勿論「転勤があるかも?」な話は、せめて内示が出るまでは息子には内緒である。

 

クラスは三クラス中、真ん中のⅡ科。

席は一番後ろの列。

二科目平均偏差値46。

 

これが中学受験スタート時の伸の偏差値である。

 

入塾までの話、

とりあえず、

 

~完~


 


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体験授業を受けた後、

Sアカデミーからの勧誘の電話は続いていた。

系列校エディックからの転塾なので入室テストはいらない。

 

対して、日能研からの連絡はそんなに頻繁には無い。

ただ、とりあえず「入室テストは受けてみようか?」

ということになった。

三クラスあるうちのどの位置か知っておくのもいいかなと思ったのだ。

 

気楽に受けに行ったが、

「難しかったー!」

とのこと。

エディックで少しずつ身につけた勉強に対する自信みたいなものも

多少はあったようだが、

こっぱみじんに打ち砕かれたようだ。

 

結果3クラス中の真ん中クラス。

当時の関西ではⅡ科だ。

友達二人と同じクラスなので伸は嬉しかったようだ。

クラス内順位はおそらく下位。

これは入塾するとしたら、一番後ろの列だろうなあ…w

 

ちなみに3クラスと書いたが、実際はその上に雲の上のような存在の「灘特訓」というクラスがあった模様。

まったく考えていなかったので詳しくはわからないのだが、

在籍するには、勿論ある程度の成績は必要だと思うが、基本的に希望制?だったっぽい?(子どもづてのまた聞きのため曖昧すぎてすみません。)

伸の学校でのクラスメイト(開業医ご子息)が在籍していたが、伸にそんなようなことを言っていたようだ。

 

その時のEディック偏差値が63。

N能研での偏差値は50いかないというのは、さすがにびっくりしたが、

冷静に考えてまあ、そんなもんだよね。

 

追いかけるのが好きといっていた伸は

少しがっかりしながらもどこか嬉しそうだった。




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