自分の価値は誰が決めるのでしょうか。
 
「自分の価値は、誰が何と言おうと自分が決めるんだ!」
 
・・・大体の自己啓発のセミナーやら本はそう伝えています。
でもこれは半分正しく、半分は間違いです。
 
 私は自分の価値とは2つあると思っています。
 
 ひとつは”内面的価値”、もうひとつが”対外的価値”です。
 
  ”内面的価値”とは、貴方自身が持つ価値観です。
 貴方の持つ世界観や思想に基づいた、理想や世界との関わり方を指します。これは自分自身が何故生きるのか、人生で何を成したいのかという哲学的な意味を持ち、その考えを具現化することで信念となります。
 
 今の世の中、「自分は”信念”を持って生きている!」という人は少ない様に思えます。誰もが生き方を漠然と選び、漠然と生きている。熱く理想を語る人もいるものの、その大半は誰かの借り物の思想であり言葉である様です。
 漠然と生きることが許される環境にいる、それは幸せな時代であると同時に、人の持つ可能性を閉じていく危険を秘めた危うい時代なのかもしれません。
 
 私はこのブログで、「学ぶ」という言葉をよく使いますが、この言葉の語源は「真似」であり、「学んで」いるだけでは、本当の意味では教えを体得することはできない、と思います。このブログを始めたのも、自分が何を学び何を考えて来たのかを整理し、それをもう一度考えなおすためでもあります。
 
 ”対外的価値”とは、周りから見た貴方の価値です。
 世の中で最も言われる価値判断は年収などの金銭ですが、これは物差しのひとつに過ぎず、貴方のする仕事のレベル、組織の中での役割、人柄や人格など、周りに対してどれだけ実績・信用を積み重ねてきたか、その量が単純に問われます。
 
 そして、この積み重ねには対外的にどう関わるか、どう関わったかという行動が問われます。
 
 ”内面的価値”における”信念”、”対外的価値”における”行動”これらは密接に結びついており、片方だけでは「薄っぺらい人間」「口だけの人間」となってしまいます。
 
 自己啓発にあるような言葉、「貴方はそのままで良いの、生きているだけで素敵なのよ。あるがままを肯定し受け入れましょう」も、「とにかく行動しようよ、自分の思うままにやってみよう」も、片手落ちの危険をはらんでいる教えなのです。
 ただし片方に偏り過ぎている人を矯正するという意味では、良いのかもしれません。
 
 信念を持つこと。その信念に従い行動すること。
 
 そうすることで、結果如何に関わらず自分の”内面的価値”、”対外的価値”が高まり、その価値が高めることが自分を信じられるということ、自信へと繋がります。
 
 


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