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みなさん!
こんにちは!ちぃで〜す☆イェイイェイ
写真教室に行くと、この企画展一緒に行かない?とお誘いを受けました。
おお〜〜〜〜!これはブログで紹介すると喜ばれると思い、ご一緒させていただきました!
ただ、この企画展は残念ながらすべて撮影禁止だったので、撮影OKの松江の歴史のブースを本日は紹介したいと思います。
こちらが1600年代の松江城下町の絵図。
そしてこちらが2000年現在の松江市街地。
すごくたくさん建物が増えました。
こうやって見比べると面白いですね。
色々紹介する前にまずは系図を載せた方がわかりやすいかも!
堀尾氏と松江開府
【松江城下町が造られた経緯】
1600年、関ヶ原の戦いの功績により、堀尾忠氏は出雲・隠岐両国二十四万石の領主となります。
当初、戦国大名尼子氏の拠点、広瀬の富田城に入りました。
しかし、兵農分離後、全ての家臣が城下に住むには手狭でした。
そのため城下が広く取れ、水運にも便利な松江の地を選びます。
5年をかけ、松江の城下町は誕生しました。
ノートには、堀尾忠晴を支えた650名の家臣団の名前が記載されています。
月山富田城跡が安来市広瀬町にあります。
ちぃも行ってみたいと思うのですが、結構体力を要するので悩み中です。。。
こちらは、祈祷札。
もともと一つだった祈祷札ですが、現在は4つのかけらとして残っているそうです。
これらは、土地を鎮めるために埋めたものだそうです。
・・・・正直、歴史苦手なのでこの時点でちぃさん結構疲れてきた。
でも、まだそんなに紹介できていないからもう少しだけ頑張るっ!!
こちらは、江戸時代に制作されたとされる天守の模型です。
大工頭の竹内右兵衛が天守を修理する際に制作したものと伝えられています。
当時の技術でこれだけのものを作るって本当にすごいことだと思います。
ちぃこれ一番感動した。
向かって左側が、戦時に食料や水を蓄える備前焼の壺やカメです。
右側が、毛利軍が持っていた中国(明)の磁器です。
こちらは大正時代に撮影された城下の武家屋敷前。
風情があります。
【家中制法】
こちらは、出雲国松江藩6代藩主「松平宗衍(むねのぶ)」が諭した藩士の心構えが書かれた巻物です。
よし!今日はこの辺で終了!
ちぃもう疲れた。頭使いすぎた。
みなさんも疲れたはず!
続きはまた明日〜〜〜☆
松江歴史館
松江市殿町279
0852-32-1607
8:30〜17:00
休館日:なし
(※年末年始はお問い合わせください)
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ちぃさんねる漫画第5話
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