日本軍にあった公式の秘密組織だけではなく、私的な集まり、グループも取り扱っている。この本を読んで、ようやく統制派と皇道派がどうして出来上がったかがはっきりした。推測通りだった。

1921年、ドイツのバーデンバーデンに、欧州駐在や欧州出張中の陸軍士官が集まった。永田鉄山、小畑敏四郎(としろう)、岡村寧次(やすじ)の士官学校同期生で、翌日彼らより下の東条英機が合流した。

彼らは、陸軍の主流派である長州閥を駆逐を誓い、他の将校を次々と仲間に引き入れた。やがて、二葉会というグループをつくり、鈴木貞一が作った木曜会(無名会)と、1929年に合併して、一夕会(いっせきかい)となった。

やがて、陸軍きってのエリートと言われた永田が人事を左右する地位につくと、士官学校、陸軍大学には長州(山口県)出身者は入れない、要職にも長州の者はつけないようにして、彼らの目的は達成された。

しかし、一夕会にはもともと考えのいろいろ違う軍人がいた。バーデンバーデンで誓いあった4人も、永田と小畑はしだいに対立するようになる。

永田の考えは、来たるべき第二次世界大戦に備え、中国に侵攻し、その資源を利用するが、国内においてはクーデターなどは起こさず、合法的に国家総動員の体制を整えるというもの。小畑は、対ソ連戦争を考えており、目的のためには、テロやクーデターも辞さない考えだった。

永田の考えが後に統制派となり、小畑の考えが皇道派になり、2人の対立は修復不可能となった。永田は、軍務局長になって、皇道派の相沢三郎に軍務局長室で斬殺されるが、統制派は東条に引き継がれる。

これまでいくつかの本を読んだが、永田と小畑の対立をこれほどはっきり書いたものは無かった。多分こうではないかと思っていたが、やはりそうだったか、と長年の疑問が解けた。