パパね、中身が女の人らしい💁🏻‍♀️

性同一性障害MtF
恋愛対象は女性
強烈な男性拒絶でさらに複雑

性同一性障害のカウンセリング 第四回

2020年08月28日 | 男から女性へ💁🏻‍♀️
四回目のカウンセリングは虐めを受けたことについてから始まった。

小学四年生の終わり、三学期の始業式が終わった後のことだ。

仲良しの女の子達四人で、私の机の周りに集まって話をしていた。
冬休み、クリスマスやお正月はどうだったとか、そんな他愛無い話をして笑っていたところに、クラスで目立つ粗暴な男子がやってきた。
彼は私に向かって、
「お前、女みてぇだな」
と食ってかかってきた。
一瞥し、相手にせず無視していると、今度は私の鞄を蹴飛ばしてきた。
「おかま野郎だから鞄も女みたいなやつじゃん、気持ち悪いやつ」
鞄を拾い、机の横に掛け直したが、それをまた蹴飛ばしてきた。
これに切れた。
身長は私の方が大きい。だが、力は互角か私の方が弱いくらいだろう。
あまりにも腹が立ったので彼の胸ぐらを掴んで思い切り突き飛ばした。
後ろに転んだ彼は、すぐに起き上がって私に向かってきた。
動きが見えたのでそのまま身体を捻ってかわしたので、彼はそのまま隣の机に突っ込み、そのまま転んだ。
大きな音に何事かとクラス全体がざわついた。
先生がやってきた。
絡んできた彼は鼻血を出して泣き叫んでいた。
まるで私から手を出したかのように、先生から問い詰められ、叱責された。
もちろんその場にいた女友達や、他の子達からも、彼が最初に仕掛けてきたことが明かされ、鞄を蹴飛ばされたことも含め、彼に非があることは先生に伝わった。
ただ、売り言葉に買い言葉となったこと、結果的に彼は鼻骨が欠ける怪我をしたということもあり、喧嘩を買った形になったことで私にも非があるとされた。
納得がいかなかった。

翌日、学校へ行くと、彼は休んでいた。
ここがまずかった。
事件の当事者として、事実と異なる解釈が広まっていた。
身体が大きいというだけで、その場で起きたことや私の性格などは一切出ず、一方的に私がやったことになっていく。反論したが、他勢に無勢となり、女友達やクラスメイトの言葉も届かず、加害者と決めつけられた。
悔しくて仕方なかった。
先生に相談もした。ホームルームで先生が釈明してくれた。効果はなかった。
その根底には、常に女子とばかり一緒にいた私のそれまでの振る舞いに対する反感や、他の男子からすると私は女子に人気があると思われていた根深い妬みがある。
結局、先生から話が出たことで却って反感を買うことになった。

下校時間になり、仲良しの女の子達と一緒に正門を出ようとしたところで、怪我をした彼と仲が良かった他の男子達に捕まった。
プールの裏の用具室の脇に引っ張られ、いきなり後ろから肩甲骨の間あたりを蹴飛ばされた。そのまま突っ伏すように倒れたところ、数人から殴る蹴るの暴行を受けた。
息が詰まって動けず、声も出ない。ただ殴る蹴るを受けるだけになった。
どのくらいの時間だったのかわからないが、気を失った。
気がつくと保健室のベッドに寝かされていた。
仲良しの女の子達が先生を呼びに行って助けてくれていた。

親が呼び出された。母親が来た。迷惑をかけて申し訳ないと保健室の先生に詫びていた。
先生はすぐに病院で診てもらった方がいいと言ってくれた。
身体中が痛かった。呼吸も苦しいままだった。悔しくて涙が溢れた。
母親は私に手を貸して立たせた。先生にもう一度詫びてから学校を出た。
途端に母親が私を睨みつけて引っ叩いてきた。思い切り、左の頬を母の右手がしなりながらぶつかっていった。何度も叩かれた。母親はそのまま家へ向かって歩いていった。

家に着いた。病院へは連れていってもらえなかった。
部屋の隅に追いやられ、壁に向かって正座をするよう命じられた。
足が痺れた。いつもながら食事もない。トイレへもいかせてもらえない。我慢するしかなかった。
身体の痛みと疲れで睡魔が襲ってくる。だが眠ることもできない。
ようやく母親と姉が眠りについた。起こさないよう、音を立てずに立ち上がろうとした。痺れたままの足に力は入らない。這ってトイレへ入った。なんとか漏らさずに済んだ。トイレから出てまた部屋の隅に戻った。私の布団などなかった。そのまま畳に蹲り、眠った。

家に帰ってきても味方などいない。癒してくれる人もいない。幼い頃からずっと続いていた母と姉の虐待は、この状況でさらにエスカレートした。決定的だった。

女の子みたいな性格の男の子。
最初から女の子として生まれてきていたら、こんなことなかったのに。
男の子の身体だから、女の子みたいな性格の自分は認めてもらえない。
嫉妬、妬み、蔑み、暴力、それが私の知っている男子の姿だった。
そんな男子と一緒にされたくない。
男という生き物がつくづく嫌になった。
自分が男の身体を持っていること、男という性別であることが嫌でならなかった。
男という生き物を一切受け付けなくなった。
自分は女なのに男の身体で生まれてきてしまった不完全な人間だと理解した。
自認性別が女であることと、強い男性拒絶が確立した出来事だった。

「それは・・・辛かったね、よく話してくれたね。ありがとう」
先生は私の涙の意味を理解してくれた。
「幼少期から性別違和があった上で、そんな出来事があったなら、今の状態は無理もないことだと思うわ。あなたの心が女性であることはよくわかった。これは本当に決定的な出来事だったと思う。でも、ここから切り替えていきましょう。これからはそのためにできることを一つずつやっていけるのよ。安心してね」
先生の言葉に慈しみを感じた。涙が止まらなくなった。
隣で聞いていた彼女も、ここまでの話とは思っていなかったようだ。泣いていた。

カウンセリングの時間が余った。
その時間を先生は気持ちを切り替えるために使ってくれた。
生活指導を兼ねて次回はお化粧や話し方、振る舞い、仕草を学ぶ時間にしようと言ってくれた。
性同一性障害のカウンセリングという範囲を超えて、私が女性として生きていく上で必要なことを学ばせてくれるという。ありがたかった。

診察室を出てロビーのソファに座る。
彼女が言う。
「ねぇ、またお部屋行きたいな」
彼女がいてくれるからこそ、今こうしていられる。
迷いはなかった。

病院を出て、今日は少し遠い部屋を目指して車を走らせた。
息子が帰ってくるまで4時間ある。
今は二人でのんびり過ごしたい。

一番の苦悩を言葉に出したことで、不思議と晴々とした気持ちになっていた。
今日は素直な気持ちで、女として彼女を愛し、男の身体を使って抱いてあげたい。
女として生きていく決意も、彼女が向けてくれている愛に支えられていると感じた。


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