コウスケ爺の四方山話し ちょいとホンネで語ってみるか...

ジャンルにとらわれない よもやま話しです。 お付き合いいただけましたらO_o

「豪雨、そしてコロナ蔓延? 見えない顔、聞こえてこない声」(._.)

何十年に一度という豪雨が日本を 特に九州地域を襲っている。


テレビ画面には被災地の風景が実に生々しく映し出されている。

川は今も危険氾濫水位の近くまで既に上がっている。


こういう災害が起こった際によく使われる言葉。

自然の脅威の前には人間の力は微力である。


しかしこういう言葉もある。

人は人によって救われる。


被災地にいて懸命に生きよう、助けようとする人達がいる。

救いがここにある。希望がそこに見える。 と私は感じます。


他方 東京都のコロナ感染が拡大している。

新規感染者数は連日の更新、二百人を超えてきている。

全国では四百人を超えてきている。


検査数が増えてきているから感染者数が増えるのは当然である、という論理もある。

私にとって感染者数自体はそんなに高い重要度ではない。

クラスターが出れば高い数字は出るから。

重要なのはその内訳である。


感染不明者数、陽性率、相談件数、そして近いところでの傾向です。


感染不明者数は連日の100人超え。


陽性率は3週間前には1.9%だったのが昨日は5.6%だったかな 確か。うろ覚えだが。感染者数増加が単に検査数が増えたからだけの理由ならこの陽性率は変わらないはずだが数値は約3倍である。


相談者数は3週間前が800件プラス。昨日は1600件プラスである。


傾向としては1週間を目安に50人プラス、次週が100人プラス、今週が200人プラスと実に綺麗な?倍々ゲームの様相を呈している。


これが今の傾向 下降曲線上ではなく上昇曲線上にあり その傾向に対して以前のような「緊急事態宣言」であるとかの何か強烈な対策が打たれるか、というとその雰囲気は、動きは見えない。 


放し飼い? 放置? 無策? 逆ギレ会見?

明確な指針、指標は 出ない。


と 過程するなら次週はさらに増えるだろうと推測されるのが今、ここだと思います。


そこに見えない要因を付け加えるなら「自己アラート」を持っている人は私だけでは勿論ないはず。この方達の自己規制である。


その判断基準は個々によって変わる。 当然であるが この200人超え、という過去のピークを超えている数字は少なからずインパクトを与えたであろうから 自然発生的に私のように「自己規制に向かう方達」は一定数いるだろうと思う。

そこでどこまで増加を押さえられるか。


と 考えてたら 政府肝いりの「Go to キャンペーン」が今月22日に前倒しされる、というニュースが入った。

この連休に向けて、ということなんだろう。


意図していることは理解できる、確かに。

コロナ感染症対策で壊滅的な被害を受けた旅行業、観光業に希望を、道を示しているんだろうと理解はできる。


が 私も首都圏に住んでいますが 地方に旅行に行く、としてそこで果たして歓迎されるのかは疑問符しかつかない。


「招かれざる客である」可能性が・・・強くネ?


未だ感染者を出していない岩手に行ってもし岩手で感染者が出た、と想像したら・・・怖すぎる(笑)


楽しみにいくのが旅行の定義、目的だから そんな罰ゲームみたいなシチュエーションはあり得ないでしょう。


対応してもらうのもツラすぎるし・・・どこかこそこそする私、旅行にきてるのに。

楽しんでる自分がイメージできない わな。


日本全体に暗い影を落とすこの二つに対して 顔が見えない国を動かしている方々、

声が聞こえてこない方々。


なんなんだろう、という不思議感。


コンビニ袋が有料化されたが この側面には二つの目的がある。

以前投稿しているので同じ言葉は重複するので書かないが 1つが海洋ゴミを減らす、そして地球温暖化に対して、CO2排出を減らす、である。


これが意味するものは今の問題の先にある。


異常気象 何十年に一度の豪雨のはずが最近は毎年の恒例行事化してきている。

何故か?

「地球温暖化」である、と言われている。


この地球温暖化は 氷を溶かし新たなウィルスが出てくる、という警鐘が発せられている。


まさに日本が今 目の前にある問題、その種も将来に向けても蒔かれようとしている。


環境相は語る。

1つの将来への取り組みとしてレジ袋有料化に、意識付けの第一歩として。


なら 日本は未だに 火力発電をやっている国であり そのノウハウを海外に売っている国である。ちょっと仕組みは変わったがさすがに販売は。


どうなの、そこは?

整合性はとれない、よね。


時代に逆行しているとしか言えないはずだ。


今 言わないといけないことではないのはわかっています。


が 今を見たら それは将来につながる、という概念は持っておくべきことだと感じるから敢えて今 書いておきます。


戻して 国民に寄り添って 国民の為に、という言葉はよく聞かれるが 今 この国難ともいうべき二つの事案に対して


「寄り添ってもらっている言葉、発信を」受けたイメージが私には悲しいかな ない。


悲惨な光景を見せる被災地に 何ではない、暖かい言葉であり、希望を、力を与える言葉はあるはず。


使えるのでしょう SNS?

批判をかった動画配信の記憶が私にはある。


何でもいい。出来ないことはないはず、やる気が、気持ちがあるなら。


誰もやらない、なんでだろう。


こういう時だからこそ 普段なら何気ないちょっとした「気遣い」「思いやり」が人の心に届くはずです。 必要な時だと私は感じます。


このブログで知り合った方から私のちょっとしたメッセージに対して感謝の言葉をいただいた。

嬉しかった、これが本音。


でも何かの縁で知り合った方の一言に対して「気遣いを、思いやりを持つ」 人として当たり前のことだと私は感じたからメッセージを書いた。

それに対しての感謝。


これこそが人としての繋がり方だと私は思います。


「人は人によって救われる」。


そして未来に生きる姪っ子ちゃんに残せる自然を、文化を 私達大人はその世代世代で責任を持たないといけないんじゃないかな、と改めて感じていますし そんなことも語りたいよね、と思う土曜日の朝 いやよくわかんない終わり方?(笑)


まぁ 所詮私だから(^-^;


まだ豪雨予報いろんなところに出てる今。


何をさておき 『命の選択を最優先にしてください』

そこから、だし 自分だけがもし助かった、としても自分を責めないでください。

それは亡くなった方が望んでいることではないはずだから。


いろんなストーリーがあると思う。

それは受け入れるものだと思います、時間がかかるとしても。


また 頑張ろうニッポン!! \(^^)/



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