エール・古関裕而記念館

朝日中学校・阿見第二小学校校歌

 

 

連休中、福島市にある「古関裕而記念館」に行ってきました。生誕の地・福島市には、福島駅の東口には生誕百年を記念してピアノを弾いているモニュメントがあり、西口には古関メロディーが流れるモニュメントがあり、「エール」の古関裕而一色でした。

 

古関裕而は、1909年に福島市に生まれ、1930年に日本コロムビア(株)に作曲家として入社、以来、「栄冠は君に輝く」「オリンピック・マーチ」「六甲おろし」など国民に愛される作品や、全国の校歌や社歌など、生涯5,000曲あまりを作曲しました。1979年には福島市名誉市民第1号となっています。それ以降、新たな名誉市民はいないということです。(記念館パンフレットより、以下同じ)

https://www.kosekiyuji-kinenkan.jp/

 

記念館は、福島市立で入場無料。(日立市にある市立「吉田正記念館」も無料でした。)隣接して「夢の音楽堂」や青少年ホール、働く婦人の家などが併設されていました。

 

 

古関裕而の業績を称え、後世に「古関メロディー」を広く継承していくこと、また音楽文化の振興に資するため、市制80周年記念事業として1988年(昭和63年)にオープンしています。外観は、名曲「とんがり帽子」を思い出させる塔になっており、朝夕古関メロディーが流れるということです。

 

2階に資料展示室があり、写真パネルや直筆色紙、作曲作品の楽譜等、数々の資料が展示されていました。視聴コーナーもあり、ここでは古関メロディーの代表的な100曲を自由に選択してヘッドホンで聞くことができるということでしたが、残念ながらコロナ禍の影響で中止になっていました。その隣にある和室は記念室になっており、作曲する際に使っていた部屋がそのまま再現されていました。3つの座卓置いてあり、多忙な時には一度に数曲を作曲したということです。

 

普段は、テレビもない生活を送っていますが、今回の「エール」はまとめ視聴しています。それは、古関裕而は阿見町にきわめて縁のある作曲家だからです。古関裕而作品で阿見町に関わるものでは、戦前の1943年に作曲した「若鷲の歌(予科練の歌)」が有名です。自衛隊武器学校にある「雄翔園」には歌碑が建立されています。作詞は西條八十です。

 

さらに、朝日中学校の校歌(1980年)、阿見町立阿見第二小学校(1984年)を、丘灯至夫作詞、古関裕而作曲のコンビで作っています。朝日中学校には古関裕而の自筆楽譜と色紙が校長室に掲げられています。

https://ameblo.jp/sougousenryaku/entry-12603715776.html

https://ameblo.jp/sougousenryaku/entry-12486761288.html

http://www.town.ami.lg.jp/0000002840.html

 

なぜ、古関裕而と丘灯至夫に作曲を依頼したのかなあと考えました。単に有名な方々だということだけでもなさそうです。何か阿見町とご縁があるのではないかと思いました。「古関裕而の弟さんが阿見町にいた」という情報はあったものの、詳細は判明せず、結局、予科練の歌(若鷲の歌)つながりかなあと思いました。

 

丘灯至夫は若鷲の歌を作詞した「西條八十」に師事し作詞の道に入ります。

 

茨城県内では、茨城県内では、古関裕而作曲で、福島県境の大子町立袋田小学校、大子町立大子中学校(旧校歌)と、大子町で2つの学校校歌を作っています。袋田小学校校歌は1958年新校舎完成を機に、新しい校歌を制定することになり、当時袋田小学校に勤務していた教諭がたまたま文通をしていた古関裕而に白羽の矢を立てて依頼したという経緯だそうです。作詞は、盟友の野村俊夫です。

 

朝日中学校、阿見第二小学校の子ども達は、どんな気持ちで校歌を歌っているのか知りたいものです。

 

 

古関裕而記念館、丘灯至夫記念館を見学して、郷土が産んだ先人や偉人をしっかりと顕彰して、後世にその業績を伝えることの大切さを学び直しました。旧実穀小学校の校舎を利活用して歴史民俗博物館、先人館などの施設を整備することが、私の議員としての夢です。