結束家から出土した大甕に入った渡来銭は北畠親房の軍資金であった

 

北畠親房の軍資金ではないか

 

阿見観光ガイドの安部次男会長は、結束家から出土した大甕に入った渡来銭について、「歴史的ロマン、想像力をたくましくすると、以下のように考えるのが一番面白いのではないか」と語っています。

 

阿見観光ガイド安部会長の論考/北畠親房の軍資金であった

 

「北畠親房は、南朝勢力拡大のため、結城宗弘と善良親王、宗良親王を奉じ伊勢大湊から東国へ渡ろうとした。暴風により両親王とは離散、常陸国神宮寺(小田治久の城)に上陸。

 その後、佐竹氏に攻められ落城すると阿波崎城、さらに小田氏の本拠地・小田城に移る。

 1340年、北朝方が高師冬(こうのもろふゆ・足利尊氏の家臣)を関東統治に派遣。親房は、小田氏に見限られ、石宗祐の関城に入り対抗した。しかし、1343年に関城が陥落すると吉野へ帰還してしまった。

 総勢数百人の軍勢を、北畠親房は連れてきており、多量の軍資金を持ってきていたと思料される。掛馬で発見された渡来銭は、約11万枚で、1千人の軍勢を約1年間雇える金額ではないかと、言われているそうです。」

 

「北畠親房は、1338年から1343年に、当地周辺に滞在した歴史的経緯があります。

 渡来銭の発見場所は、館の土塁延長線の可能性も高く、発見場所から10メートルほど西側には、幅6メートル前後の堀が霞ヶ浦につながっていることから、京都から海路たどり着いている可能性があるのではないかと想像しました。」

 

「結束家は、つくばの小田氏の家臣の可能性が高い。南北朝の戦いの軍資金の可能性があるのではないかと考えることができます。」

 

以上です。想像力を掻き立てられますね・・・