茨城空港下矢印

茨城に空港が出来て10年くらいになりますが 便利になりました。

 

下矢印自衛隊の「百里基地」と併設ですからね。

茨城から 神戸空港福岡空港への便もあり、

この方面への移動がしやすくなりました。 一度行ってみたいのですが、なかなか・・・

個人的には、東京都内への高速バスが 格安で利用できるのがうれしいです。

他にも那覇・札幌や、中国・台湾への便もありますが、神戸と福岡を強調したのには

理由があります。

東京方面のバスと、海外への航空便は 現在運休中ということです)

 

約700年前 空港も無い時代に・・・

 ここに来ると いつもこう思います。

 昔の人の行動範囲の広さに驚かされます。

 

1333年 鎌倉幕府が倒れ、建武の新政がはじまると・・・

もうチュー歴史の教科書か?って  とにかく、その時代の話です。

 

1336年=建武3年

3月の 多々良浜の戦い(福岡県福岡市東区 wiki.

これが 福岡空港

その後、

5月の 湊川の戦い(兵庫県神戸市中央区 wiki.

これが 神戸空港。 

 

 これらの戦に、茨城県常陸太田市の 佐竹氏が参戦していました。

時の当主 佐竹貞義(さだよし)の七男師義(もろよし)は、後醍醐天皇に背いた 足利尊氏と共に

西日本を転戦していたのです。

 

 特に多々良浜の戦では、尊氏はわずか1500~2000人の軍勢で、海岸に集結した凡そ

2万人の菊池武敏の軍勢と戦いびっくり・・・普通に もうほとんど勝ち目無し!

 尊氏本人が 「いっそこの場で自害しようかショボーン」 というほど劣勢の中で、

師義とその家臣達は、故郷から遠く離れた地で どんな思いだったのかなぁ?

 しかし、戦は尊氏の勝利に終わります。

(菊池軍の中から寝返る者が多かったようです)

 

 師義はこの戦の後、恩賞として常陸太田市の一部を尊氏から直接与えられており、

その活躍ぶりは目覚ましいものがあったとされています。

 

 当時の茨城住民にとっては遠い所の出来事であり、ほとんど関係ない事だと思っていたの

ですが、茨城の武将も参戦していたことを知り驚きましたびっくり

 飛行機新幹線も無い時代に、一族郎党引き連れて遠征していたとは・・・それも戦をしながら。

 

 少しでも楽をしたい私としては、「帰りだけでも飛行機新幹線を利用できれば・・・」と

思ってしまいます。

 

 

下矢印空港近くにある ”地域再生を目指したニコニコ「空のえき そ・ら・ら」” という

 農産物直売所? 道の駅?  レストラン有り!  パンフレットです右矢印こちら

 

下矢印炎天下の作業も 結構 楽になります。

 

 

 

 

下矢印手軽に塩分補給!