母から言われて傷ついた言葉

先日軽度のADHDと診断された我が子。現在は放課後デイサービスを見学しに行ったり、検査を受ける予定になっていたりと我が家の発達障害とのお付き合いは始まったばかりです。

「そっか、君は発達障害だったんだね。」

息子に対してそう思ったとき、心がすっと軽くなった感じがしました。どうしてだろう、発達障害であることを望んでいたわけではないのだけど、親として特徴の強い我が子をどのようにして導いてやったらいいのか、私自身がちょっと迷子になっていたのかもしれない。子供に対する愛情と、子供に対する不安が入り混じってしまって、常にちょっと苦しさを抱えていたような気がします。

今回は、ちょっと昔、息子が3歳のころ、私の心に影を落とすことになった出来事を振り返ります。振り返りますが、今回はその出来事を今の私が思い返して「もういいや」と思ったお話です。

今、お子さんの難しさに悩んでいる人に見てもらえたら嬉しいな。

3歳児の息子はこんな子でした

3歳のころの息子はこんな子でした

2020年現在、息子は8歳になりました。随分と体もしっかりしてきて、就学前には毎晩喘息のお薬を飲んでいたことが嘘のように元気です。

私と息子は、息子が1歳の時に離婚のために実家に帰りました。今思えば、何が何でもその時に独立すべきだったとも思いますが、当時の仕事や住んでいた地域のことを考えれば、仕方なかったとも思う。とにかく、受け入れてくれた両親には本当に感謝しています。

息子は1歳から我が家が独立するまでの約3年間を私の実家で過ごしたわけです。

ちょっと面白くないことがあると、すぐにひっくり返って喚く

あの頃、息子は癇癪がひどくて、遊んでいてもご飯を食べていても、面白くないことがあるとすぐにひっくり返って泣きわめきました。ワーンワーンと、子供らしく実に大きな声で分かりやすく泣いたものです。

そうなってしまうのは、本当に些細な事なんです。ご飯のおかわりがなかったとか、もっと遊びたかったとか、自分のルールに従ってお母さんが遊んでくれなかったとか。

「お母さんが悪い!」「お母さんのせいだ!」と喚き続ける

ワーンワーン!と泣きながら、息子はひたすらに「お母さんが悪い!」「お母さんのせいだ!」を繰り返しました。どんなにやめてと言ってもダメ。むしろ声を張り上げて繰り返し続けました。

ずっと言われていると本当に気持ちが滅入るんですよね。これ。

何故、3歳の息子がこんなことを言うようになったか?それは私の母の影響でした。それについては後述します。

とにかく、泣きながら私を責める言葉を言い始めると、それがなん十分も続くんです。

親子二人でいるときは普通の子

そんな息子ですが、私と二人きりの時にはあまりひっくり返って泣いたり、なん十分も喚き散らしたりということはありませんでした。公園に遊びに行ったり、保育園の送り迎えなど、二人でいるときはいたって普通のかわいい子なんです。癇癪もそれは子供ですからたまにはありましたが、実家で見せるような攻撃的な怒り方はあまり見かけませんでした。

たぶん、私の母の目があるところでするもの、という、子供なりの何かがあったのかもしれません。

このころ私はこんなことで苦しんでいました

悩みの種は息子というより母だった

息子がそんな感じなので、あの頃は私、毎日結構辛いと感じていました。毎日のように胃が痛くて、夜な夜な不動産サイトを眺めては引っ越すことばかり考える日々。

悩みの種は実母

悩みは常に息子のことではありましたが、それを引き起こしていたのが主に私の母。母は私が息子に小言を言ったり、何かを教えたりしていると、必ずと言っていいほど割って入ってきては私の発言を修正して息子に伝えました。

話に入ってこないときは、私に聞こえるか聞こえないかくらいの声で、ずっとブツブツと文句を言っていて、私はそれが気になってしまって息子との会話に集中できないことが多くて、それもストレスに感じていたんです。

私の母は、家の王様

私の母はいわゆるお姫様タイプというか、家の中が自分の思い通りにならないと気が済まないタイプの人です。ものすごく我が強くて、しかもそれを自覚していないやっかいな人です。※これ、私も結構受け継いでいると思っているので要注意なんですが。

母は実際家のことは全部自分でしていたし、王として君臨するに足るだけの努力もした人だと思いますので、王様であることをとやかく言おうとは思いません。でもちょっと行きすぎちゃうんですよね。自分の言うことが正しい、あいつの言うことは正しくない!みたいな感じになっちゃうことがあって、私は昔から割と発言を否定されてきました。

そんな母が、常に私に対して「お前が悪い」「お前のせいで」と息子が見ているところで言い続けた結果、まだ3歳でボキャブラリーの少なかった息子はそれをコピーすることで、癇癪を起して自分の感じを処理でいないときに、それを言うようになったのではないかと思うんです。息子としては、「お母さんのせいだ!」は「嫌だ!」とか、「もっと遊びたい!」とか、そういった不満を簡単に自己表現できる言葉だと思っていたのかもしれません。

事実、実家から引っ越して息子と二人で暮らすようになってからは徐々に言わなくなり、今では全く聞かれなくなりました。本人もそんなことを言っていたことを全く覚えていないんです。

母から投げつけられた、忘れがたい言葉

そんな実家での生活の中で、母からはいくつもの悲しくなる言葉を投げてよこされましたが、その中でも私の心にこびりついて離れないのがこれ。

「孫(私の息子)がこんな風におかしくなったのはお前が悪い!全部お前のせいだ!」

母は母なりに、息子がほかの子たちとちょっと違うなということを察知していたのでしょう。子育てに大いに参加してくれた母ですし、子育ての先輩でもある母ですから、私としては息子の気性についても相談できたら良かったのですが、それはできませんでした。

母から言われた言葉たちに縛られ、自分を責めた

自分を責めたことも

私自身が子供のころから、割と母とは関係が良くなく、ちょくちょく否定的なことを言われて育ちました。私なりに、母の言う人物像になりたいと努力したつもりですし、常に母の言葉を心に留めていたつもりです。今思えば、それはただのコンプレックスだったのかもしれないんですけど。

だから、攻撃的に言われたこの言葉は、ものすごく私の心の深い部分に突き刺さりました。私が悪い。私が親としてちゃんとできていないから、息子がおかしくなってしまった。理性の部分でどんなにそんなことはないと否定しても、心に突き刺さった言葉って抜けないんですよね。

その言葉を言われてからずっと、心の中にとげが刺さって抜けない感覚がありました。知らず知らずのうちに自分を責めてしまって、自分に自信が持てない日々。結構しんどかったです。

現在の私の気持ち

そんな日々でしたが、発達障害ですよと診断してもらったことで、何となく肩の荷が下りた感じがしたんですよね。息子のADHDと向き合っていくのはこれからなんだから、今肩の荷を下ろしてどうするということなんですが。

息子の性格は、彼が生まれ持ってきたもので、しかも珍しいことじゃない。ADHDを抱えても幸せに暮らしている人はたくさんいるし、我が家だってそうなっていいんだ!

そう思ったら、心に突き刺さっていたトゲが、小さく、溶けてなくなっていく感覚がありました。

母を責めようとは思わない

何年にもわたって、私の心にトゲを指した母。でも、私はこのことを母に伝えようとは思いません。「ほら、私のせいじゃなかったんだよ」なんて言ったところで、何にもならないからです。

母を責めたところで、母は私に投げつけた言葉を覚えてはいないでしょう。実は何度もこういうことはあったんです。許せないと感じる言葉の数々を、行った当人の母は結構軽く忘れちゃうんです。

母に認めてもらいたいのではありません。私と息子が幸せな毎日を送れることが大事なこと。だから、過去の発言について蒸し返して責め立てることには何の意味もありません。私達の日々にはもはや母はいないのですから。過去よりも前を向いて、息子と向き合うことに集中しよう、そう思います。

母に対してコンプレックスを抱いていたことを自覚した

私は母に対してきっと、コンプレックスを抱いているんですよね。自分を否定してきた母。母に認められたい、ちゃんとした人になりたい。「ちゃんとした人=母から認められる人」という、謎の方程式が自分の中にあるんでしょう。それを自覚できたので良かったです。

自覚できて良かったというのもちょっとおかしいでしょうか?でも、母が正しいということと、私が母にコンプレックスを抱いていて、母みたいになりたいと思っていた、ということは、全然違うことなんです。私は私でもいい。母みたいになれなくても、それが正しくなれないということじゃない。母へのコンプレックスを自覚すると、そうやって自分のことを否定しないであげられる。これは私にとってはすごいことなんです。

まとめ

子育てって、楽しいことも沢山あるけれど、沼にはまったみたいにどうしようもなく落ち込むこともあります。でも、もがいてみると光がさすことがあって、そっちに行ってみるといいことが起こったりする。今回我が家は息子のADHDとの付き合い方を模索する中で、すでにいくつかのハッピーに出会いました。私が母の言葉にとらわれるのをやめようと思えたのもその一つ。

大変だな、しんどいな。そう思っているとき、助けを求められたらいいんですが、助けを求めるという発想すらできないこともある。実際私、そうだったもんなぁ。

いつかまた私は沼にはまり込むだろうし、子育てってその繰り返しなんでしょうね。その時に、助けてって言っていいということは覚えておきたい。また、同じようなことで悩んでいる人に、「助けてって言ってみませんか?」って声をかけられるような人になっていきたい。

そのためにも一つずつ、ゆっくりと向き合っていこうと思います。

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