ヴィーガンにも関係する?Diversity(多様性)の理解について

ヴィーガンにも関係する?Diversity(多様性)の理解について

ヴィーガン料理に似ている

多様性とは?

熱波の影響で昨日のサンフランの気温は33度、バークレー33度、パロアルト42度、サンノゼ39度でした。シリコンバレーやばいです。(夜は随分涼しくなりましたが)

サンフランは年間を通して過ごしやすいのが売りですので、殆どの家にはACなんてありません。ACなしで30度以上は流石にキツイですね。。

ちなみに最近筆者が気になっているワークアウトのサービスがこれ→ Mirror
かなりクールです!

さて、

過去の記事でもちょくちょく出てくる「多様性(Diversity)」と言う言葉ですが、今後はヴィーガン同士が助け合うにも大事な要素になってきます。(たぶんw)

ですので今回は、多様性について ”かる〜い感じで” 書きたいと思います。(実は以前筆者はピープル・ストラテジストでしたので意外とユニーク?な意見を持っています)

まずウィキペディアでは、
多様性とは幅広く性質の異なる群が存在すること。 性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる。

とあります。

注目したいのは、「性質に類似性のある群が形成される」のところです。

17世紀以前は意味が違っていた

ウィキペディアの説明では、多様性とは「一致可能なものに反すること、矛盾、対立、不一致」という意味を17世期以前は持っていたとあります。

正直、筆者としてはこちらの方が伝わり易いのでは?と感じてしまいます。(この方が誰もが多様性の大事さに気付き易いと思うからです)

ただ、「反する、矛盾、対立、不一致」は凄くネガティブな要素に感じてしまう所が気にはなりますが、実際に多様性の難しさはここにあります。

これらの要素(違い、ギャプ)をどう管理し活かせるかが「多様性」の真髄です。(EQは多様性を理解する上でとても重要です)

面白い例として、

これまでの国際化で謳われた「多様性」ですが、実際は日本国内(日本人の間)での多様性の理解の方がよっぽど難しいです。(データに基づいてます)

例えば、物凄く変な事を言っている人がいるとします、その人が外国人の場合と、日本人の場合ではそれに対する理解が変わります。

全く自分と違う環境で育った外国人を受け入れることはそれほど難しい事ではありません。これは多様性の理解に長けている訳でも活かせている訳でもありません。

多様性の本当の難しさは、ウィキペディアにあった「性質に類似性のある群」の ”中での多様性” です。

つまり日本人同志の場合です。
(郡の ”間の多様性” の理解も簡単ではないんですけど)

アメリカの「多様性」

今でこそ日本は、個人一人ひとりや組織の特性を活かすためにあらゆるものをデータ化し利用する考え方に抵抗はなくなってきましたが、以前はそうではありませんでした。

たぶん、以前は日本人にとって「データ」の解釈が機械的過ぎたのではないでしょうか。(人間をデータで判断することに抵抗があったかも?)

そう言う意味ではアメリカは全く逆で、半世紀以上前からこの「多様性」に特化したデータの収集からのアプローチや管理を発展させてきています。(ちなみにアメリカも定量的データだけで人間を判断してきた訳ではありません)

移民を受け入れ多様性が根本的に求められてきたアメリカ社会は、日本で意味する多様性とは違います。

実はこんなアメリカだからこそ「多様性」と向き合う難しさがあり、同様に日本だからこその難しさがあります。

多様性は受け入れるだけではない

まだまだこんなアメリカでも多様性は色々な組織に求められている要素ではありますが、とりあえずそれは置いておいて、

実際にどのように個人としての「多様性の理解」が組織のレベルを強化し、より価値を生み出せるのか?が一番気になるのではないでしょうか。

アメリカでは「多様性の理解」をこういった事に使っています。

パーソナル・ディベロップメント、リーダーシップ・ディベロップメント、チーム・ディベロップメント、キャリア・ディベロップメント、コンフリクト・マネジメント、転職、雇用、面接、選出、教育、リモート・マネジメント、eスポーツ、、、

挙げていくとキリがないのですが、これらは「企業」だけでなくあらゆる分野で活用されています。

個人としての「多様性の理解」が集団に与える影響は大きいです。(もちろん逆も然りです)

アメリカの大学では、個々の能力を最大限に活かし伸ばす為に「多様性の理解」を積極的に取り入れています。日本の学校・教師・生徒の皆さんにも是非活用してもらいたいですね。

既存の考え方に刺激を与える事により新たな理解をもたらす事が出来る機会となります。

ちなみに多様性は「自分の中」にもあります。

ヴィーガン間での多様性

さて、ではヴィーガンの間の多様性はどうでしょうか?

これを考えるのは凄く良い事だと思うのですが、その理由は、、、

  • フルコミットのヴィーガンを理解できます。
  • 多様性に否定的な意見を理解できます。

多様性の理解も地球の「球体」と同じで、自分の場所からは見えないところがあります。見えているところでも意識を向けていなければ見ている(認識している)事にはなりません。

筆者は、多様性に対して批判的な意見を理解します。なぜかと言うと、多様性を理解し戦略的に活かして使うことは本当に難しいからです。ただ多様性を謳いたいが為なら少し目的が違うのかなと、、、

すでに個人個人はユニークな存在であり、多様性があると筆者は思っています。

多様性の理解で大事なことは、「自分を知る」こと、「自分を管理」出来るようになること。「自分」がどう周囲の中(人・環境・状況)で活かされつつ、同時に自分が「周囲を活かす」スキルを身につけているということ。

多様性とは「理解」を深め「活かし合う」ことだと筆者は思っています。(「色々」と言うより ”統合的” と言う感じなのかな、、)

例えるなら「ヴィーガン料理」と似ていますねw。

ちなみに2020年のMcKinsey reportでは、組織のエグゼクティブレベルの民族的ダイバーシティは財政的に良い結果をもたらすとしています。