日々のつれづれ

詩や日々の出来事を心の趣くがままにUPしています。

『愚か者の酒場』

『愚か者の酒場』


疫病は、
絶え間なく続き、
政府の施策に、
不平不満を増幅させていく。


育てた花にさえ、
雨の少なさを言い訳に、
数えきれない失敗と後悔を、
自然のせいにしている。


そして、
いつも誰かのせいにして生きている。



巷では、
透き通る声で、
危機感を煽らせるアナウンサー。


欺瞞のレクイエム
深紅に染まった異国の衣
空虚がまことしやかに彩る祭典。



吐息が漏れる。。。


愚か者に酒を注ぎ、
罪と罰の器を満たそう。


そして静かに眠りにつくまで・・・。


                            なゆた



井上堯之・宇崎竜童『愚か者』

花をたむけて

同期の訃報が届いた。
癌だったと言う。


会社を引退後、
新しい仕事をはじめたと、
風の便りに聞いていた。


昔、
胸をときめかせ
夢を追った日々。
人生を語ったことも、
すべてが、
思い出に変わっていく。


このまま、
埋もれてしまうのかな・・・。



置き忘れてきたものに、
ひとつひとつ光をあてて、
思い出話をたむけ、
弔いとしよう。


                       なゆた



※※※


歯が抜けるように会社で一緒に働いていた同僚や先輩たちが鬼門に入られた。
他人事ではなく、いつか自分もその仲間入りする事になるのだろう。
「今を生きる」この言葉が、今の私のテーマになる気がする。
悔いなく生きる・・・。難しい言葉だと思う。
ただ、一日一日を精一杯生きられればいいのだろうと思う。

スプーン一杯の幸せ

まだまだ、
朝の寒さが身にしみる。
今朝のコーヒーは、
いつものインスタントコーヒー(ネスカフェ ゴールドブレンド)


確か昔は、
ネッスル(Nestlé)って言ってた気がする。
今は、ネスレというらしい。



暇に任せてインスタントコーヒーの歴史を調べてみた。


「インスタントコーヒーの歴史」
①1771年にイギリスで水に溶かすインスタントコーヒーが発明されたが、
 製品の貯蔵可能期間が短く発展せず、1853年にもアメリカで開発が試みられたが
 保存に成功しなかった。


②1889年にニュージーランド、インバーカーギルのコーヒー・香辛料販売業者デイビッド・
 ストラングが「ソリュブル・コーヒー・パウダー」(可溶性コーヒー粉末)の作成法の
 特許を取得し、「ストラング・コーヒー」として製品化したのが、記録上確認できるはじ
 めとされる。


③1899年にアメリカイリノイ州シカゴに在住していた日本人科学者のカトウ・サトリ博士
 が、緑茶を即席化する研究途上、揮発性オイルを使用したコーヒー抽出液を真空乾燥する
 技術を発明し、1901年にニューヨーク州バッファローで開催されたパンアメリカン博覧会
 で「ソリュブル・コーヒー」と名づけて発表した。1903年にカトウは特許を取得したが、
 やはり、商品化には成功しなかった。


④1906年にアメリカ合衆国でジョージ・コンスタント・ルイス・ワシントン(英語版)が
 インスタントコーヒー製法の特許を取得し「Red E Coffee」として製品化し成功を収めた
 とされる。


「一般への普及」
ワシントンの特許以後、いくつかのメーカーがインスタント・コーヒーの製造販売を行った
が、その中で後年にまで知られる大きな成功を収めたのは、スイス・ヴェヴェイに本拠を置
く食品商社のネスレであった。


⑤1920年代末期、コーヒーの大産地であるブラジルではコーヒー豆の大豊作で価格相場が
 暴落、農民は困窮した。これに苦慮したブラジル政府は、余剰のコーヒー豆を用いた加工
 食品の開発をネスレに要請する。


⑥1937年にほぼ現在同様のスプレードライ法によるインスタント・コーヒーを完成させ
 た。この製品は翌1938年に「ネスカフェ」の商品名で市販され、インスタント・コーヒー
 の代名詞として知られるようになる。


⑦フリーズドライ法※※で製造されたインスタント・コーヒーは1960年代にアメリカで登場
 し、風味に優れることから成功を収める。


⑧日本では1950年代からインスタント・コーヒーが輸入され始めたが、1960年代以降国産
 化が進み、1960年に森永製菓によって国内生産が開始されて一般大衆にコーヒーを広く普
 及させる契機となった。  


スプレードライ法※:
高温の乾燥筒の中に、高温のコーヒー液を噴霧して素早く乾燥させる方法。
一般的に気流乾燥装置と呼ばれる。


フリーズドライ法※※:
コーヒー液をマイナス40℃以下で一度凍結させた後に細かく砕き、真空状態にして水分を
蒸発させる方法。
製品は2〜3mm程度の大きさで角が尖った粗い粒状となる。スプレードライ法に比して香味は損なわれにくいが、製造に手間がかかるためやや量産性に劣る。
このため、スプレードライ法の製品より価格は高め。



『スプーン一杯の幸せ』


ほろ苦いコーヒー
閉塞した世界に
微かなゆとりを与えてくれる


苦さを紛らわすには
スプーン一杯の幸せでいい


そとは曇天
生乾きのこころを
どこに干せばいいのだろう


                         なゆた

『嘘』

『嘘』


無口になる時がある
どうかしたって聞かれる
どうもしないと応える。


食べたくない時がある
食べないのって聞かれる
少し食べたからと応える。


頭に渦巻くモヤモヤがある
眠れないのかと聞かれる
目が覚めただけと応える。


寂しいなと思う
なぜか涙が流れる
きっと寒さのせい。



だって
大切な人に
心配かけたくないから。


大切な人って?
きっと
自分のこと。



言葉でしか
伝えられない事がある・・・。


言葉でしか
分かり合えない事がある・・・。


それなのに
今日は
何回嘘をつくんだろう・・・。


大切な人にも
そして自分にも・・・。


                        なゆた


『利己的な遺伝子』

『利己的な遺伝子』


愛を語るに
聡い人がいて
その心に
刃を忍ばせる人がいる。


あらくれ者も
我が子には
惜しみなく
愛を注ぐ人がいる。


説法を説く人がいて
高邁な精神を
伝えるが
心が空虚な人がいる。


およそ裁く者は
自らの尺度と
見識で
人を判断する。


こうして誰もが二つの顔を持ち
苦しみながらもがきながら
一筋の光明を探している。
                          なゆた



※※※


偉そうなことをのたまうわたくしと言えば、
地べたに這いつくばって、
親の仇のように毎日花壇の雑草を取っている。
ハコベすずめの帷子仏の座からすれば、
不倶戴天の敵なんだろう・・・。


  昭和天皇の仰っしゃったお言葉に、
  『侍従長を務めた入江相政氏の「宮中侍従物語」によると、
   65年9月、昭和天皇が那須で静養中に侍従らが皇居・吹上御所周辺の草を
   雑草として刈ったと聞き、「雑草ということはない」と発言。
  どんな植物でも皆名前があって、それぞれ自分の好きな場所で生を営んでいる。
   人間の一方的な考え方で、これを雑草と決め付けてしまうのはいけない。
   注意するようにとお話になったという…』
  
  1人の生物学者としての昭和天皇の見識が見て取れる。


  うがった見方をすると、名もなき民草を一方的な考えで軽んじてはならない。
  国民に寄り添う皇室の有り方を侍従をはじめ、特権階級の皆に言葉で示されたように
  思えてならない。

  それにつけても、A宮家の国民をないがしろにする所業には胸が痛む。

  ⇒ちょっと、脱線してしまいました⁉


戻って、
自らの尺度でしか、考えて行動することしか出来ない自分は、
きっと、似たり寄ったりの「利己的」な人間なのだろうと思う。。。