ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

SEALDs 参加者の回想 

 「SEALDs」:自由と民主主義のための学生緊急行動。 Students Emergency Action for Liberal Democracy - s の略号として定着。2015年5月から2016年8月まで活動。2015年の安保法案反対運動のうねり中でメディアから注目された。
 運動の渦中にあった諏訪原健さんがインタヴューで当時をふりかえっている。「若者の保守化」が言われる中、彼がどんな思いでいたのか、知りたいと思った。 

 以下、9月16日付朝日新聞デジタルより一部引用するが、聞き手のことばにやや違和感を覚えた。もちろん実際は字面どおりではないにしても、もう少し共感的なやりとりというのがあってしかるべきだと思う。


「自分と国一体化」は楽だが 野ざらしにされても街頭に:朝日新聞デジタル



――諏訪原さんたちが国会前で「安倍はやめろ」と声をからしていた、その安倍政権が終わりました。

 ……「安倍政権は民主国家としての最低限のモラルをことごとく壊した政権でした。憲法解釈の変更で集団的自衛権の限定行使を認めて憲法を事実上骨抜きにしたり、強行採決を繰り返したり、多数派の声だけで決まることのないよう配慮すべき国会が機能せず、民主主義の基盤が失われた。僕たちは短期的には安保法案や安倍政権と対峙(たいじ)したけど、自分の生きる社会をどうしたいのか、権利や尊厳を懸けて闘っていた。だから今回、安倍さんが辞めたというだけでは何の意味もないのかもしれない」

 ――皆さんが闘った安保法案は2015年9月に成立しました。あれからちょうど5年、SEALDsは社会に何か残せましたか。

 「安倍政権は、人がものを言うことをよく思わない政権でした。街頭演説中、自分を批判した人に放った『こんな人たちに負けるわけにはいかない』という言葉は、象徴的です。自身に批判的な人も含めた国民の代表者なのに、自ら分断する。そんな政権下で、個人が『おかしい』と感じたことを言えるようになってきた。一人の母親のブログから『保育園落ちた日本死ね!!!』が広がったのは16年2月ですが、それぞれが職場や家庭など自分の生きる世界について問題提起をすることが今、いろんな形で出てきています」

<中略>

 ――SEALDsは安保法成立の翌年、16年の参院選後に解散。……<略>……若者が運動している、という点が注目され続けました。

 「自ら戦略的に使った部分もあるので文句ばかりは言えませんが、違和感はありました。若者がこの時代にあえて運動をするのが面白かったんだろうなというのは思うんですけど、同じ主権者、同じ社会に生きる一人として見られているのか疑問に感じることもありました。何かを主張する時に『若者たちがこう言っている』と手段として使われ、『あなたはどうなんですか』と問いたくなることも多かった。それに、やはりどこかバカにされている感覚もあった。『勉強もしていないのに言うな』『政治家がやっていることの方が正しいんじゃないか』ともよく言われました」

 ――第2次安倍政権は、諏訪原さんが20歳になってすぐのころに発足。大人になってからずっと安倍政権下で過ごした世代です。

 「一般化はしにくいですが、僕自身の感覚としては、好景気を実感せずに育ち、ずっとレールを踏み外さないようにという抑圧に近い息苦しさを感じてきた。大学でも就職でも、一度レールから落ちたらどうしようもないんじゃないかと。食いつなぐためには勝ち馬に乗らなければいけない。そのためには政治みたいなものには関わらず、無色透明でいる方がいいという指向性は感じます」
 「社会運動に関わる同世代には、東日本大震災がきっかけになった人は多いです。震災は僕が大学生になる直前。目の前にあるあたりまえの社会で勝ち抜こうとしていたところに、その『あたりまえ』が崩れるような感覚をおぼえた。デモには警戒心しかなかったけど、大学3年の時に特定秘密保護法について知った時に、声を上げようと思いました」

 ――一方で、いまの20代は投票率が低く、それが長期政権につながったとも言われています。

 「投票に行かない人の気持ちはめちゃめちゃ分かります。やっぱり無力感があると思う。日曜の朝、起きてわざわざ投票に行こうとはならない人がいても普通だし、行ったところで何になるのかも分からない。争点がわかりやすく、候補者の数が絞られていれば、短期的には投票率が上がるでしょう。でも、それでいいのかなと。僕はひたすら自分の周りの5人くらいに『選挙に行こう』と呼びかけます。投票が生活と直結していると実感できる人を地道に増やす方が大事なんじゃないかな」
 「余裕のない社会では、自分で考えて声を上げるより、自分を国や政権と一体化させて生きる方が楽。でも思想の左右にかかわらず、ヒーローが自分たちを救済してくれるという考えでは、市民社会が豊かになるわけがない」

 ――諏訪原さん自身は16年ごろから、講演などで1千万円超の奨学金の借金があると語るようになり、「文句を言っていないで返せ」「政治活動をしている場合か」と批判を浴びました。

 「僕は地方の衰退した都市に育ち、家庭には余裕がなかった。大学に行かなければ一生ここで貧しいままの人生か、と。奨学金を受けない選択はなかった。家庭に経済力がないと教育を受けられない日本の制度はアンフェアで、個人の問題として片付けるべきではないと理屈では分かっていた。でも、本当は話したくはなかったです。自分自身の話をするのはしんどい。無防備な中で、野ざらしにされて攻撃を受けるようなきつさがありました」
 「特につらかったのは、『私は働きながら大学に行った。甘えるな』といった批判。いわゆる自己責任論で、貧しい者同士がぶつかり合う。自分のせいなんだから仕方ないじゃん、という考えが染みついている。社会の価値観に個人が縛られている部分、個人が社会の価値観をつくっている部分の両面があり、どちらを責めても簡単に解決しないと感じました。みんなも自分の問題を話した方がいいよ、と気安くは言えません。でも自分の中にとどめている限りは個人的な葛藤のまま。語っていく必要があるのだと思います」

<以下略>




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