オタク文化の切れの端

基本的にweb小説を紹介するブログです。普通のラノベも読みます。批評とかもします。たまに一般文芸とか映画の感想とか思ったこととかが入ります。

【漫画 感想】だんしゃりと機能不全家族

 どうも私です。今日はモーニング月例賞の佳作を受賞された『だんしゃり』の感想です。ここから読めるのでどうぞ。

comic-days.com

 

 それで感想なんですが、なんというか複雑な気持ちになりました。あまり良くない方面で。こういう方面の構造になまじ固まった思想あるためにうーんとなってしまうというか。

 主人公の家庭は明らかな機能不全家庭で祖母や父親の反応がとてもリアルです。このような『外には出ないが家の中で問題が多々ある』ような家庭はありふれているでしょう。ただ外に見えてないだけです。

 このような家庭で育った子供というのは心にトラウマを抱えた状態で大人になっていくわけで、それがアダルトチルドレンと呼ばれる人たちになります。自己肯定感が育たずに身体だけが大人になってしまった人。そんな境遇の主人公が救われるまでの話しを描いたのがこのだんしゃりです。しかしながら思うことが二つ。

 一つ目なんですが主人公は明らかにそのような機能不全家庭で育っているのですが、自己肯定感が結構残っているんですよね。幼い頃からであれば反論なんて出来ず、諦めが先に来るはずなのでこのような口論に発展しないはずです。これは精神が強いとかそういう話しではなく、システムのようなもので外部からの手助けがなければこうなります。

 なのでこの祖母と父親と主人公の三人で暮らすようになって問題が発生したと考えられるわけですが、明確に記されていない母親の存在を考えると中学校のあたりまでは自己肯定感がある程度育まれる環境にあったと考えるのが妥当です。

 この自己肯定感や反骨心がなければ先輩に対して助けを求めるという行為にも家出という行為にも繋がりません。その時点でこの境遇の子供が助かるには『事前に自己肯定感が育まれる環境が必要』という夢も希望もない結論になってしまいます。家族に縛られた主人公が救われる話にこの結論は辛すぎませんか? まずこれが一つ。

 二つ目は先輩の存在です。主人公はこのような重い話を抱えているわけですが、先輩にはそんな素振りが一切ありません。主人公に非常に都合のよく作られた理想の助け舟です。主人公の事を肯定しつづけてくれますし、最後は結婚し子供を作って家族まで作ります。

 こんな都合のいい存在いるわけねえだろ! みたいな話はしません。フィクションなのでこういうスーパーマンがいてもいいでしょう。しかしながら気になる点があります。それは主人公と先輩のきっかけです。

 作中で先輩と主人公の関係は共に好きあってる描写で始まります。先輩側が恋愛感情から熱烈なアプローチ(下級生の教室に来るのは熱烈と言っていいでしょう)をしかけ、自己肯定感が減っているので回答できないものの、主人公も先輩が好きと。恋愛感情を発端としています。

 少なくとも男女逆転させたら成立しないでしょう。先輩側が何の問題もなく主人公を支えられるから成立しています。女性側がぐいぐいアプローチをするならば男性側に何かしらの強みがあるようなエピソードがないとおかしい……となるわけですが男女逆転した場合、もはや別の物語になってしまいます。

 この時点で主人公の性別が女性であり、容姿がすごく悪くはないみたいな前提が必要になってしまいませんか? フィクションなのにあんまりではないですか。救われる素養があるから救われましたなんて話は。これが一つです。

 この漫画の感想をツイッターで見てみるとこの漫画を見てなんだか救われた気がすると書いてあるツイートが非常に伸びていました。かくいう私もそのツイートでこの漫画を知りましたが、少なくともこの漫画で救われた気になっている人はもう十分救われていると思います。

 総じて私にとってはリアルな機能不全家庭の事を描いているのに、時折夢から出てきたような存在が出てきて主人公を助けるので、返って現実が浮き彫りになってしまう漫画でした。

 いろいろと考えさせられたので学びになったなぁと思いつつ、この境遇の人が救われるモデルケースは結婚しかないんですかという気持ちにもなります。現実。

 今日はこの辺で。ではまた。