今回のテーマはロシア革命共産主義です。ロシア革命がどういった人たちによって主導されてきたのか、また彼らの考えはその後どのように発展していったのかその流れを簡単に紹介したいと思います。

 

それでは見ていきましょう。

 

 

 

ロシア革命の首謀者

なぜヒトラーがユダヤ人を迫害したのかについて、これまで多くの理由が述べられてきました。しかし、そこで述べられている理由は極々一部に過ぎません。

ここで日本人が知らない視点を紹介したいと思います。ユダヤ人ラビの視点を通して見てみましょう。

 

ユダヤ人ラビの中には共産主義とユダヤ人の関わりについてはっきりと事実を述べる人もいます

 

 

 


一部のユダヤ人ラビが指摘している点は、ヒトラーがユダヤ人を迫害した理由は、共産主義にあります。彼らが指摘する共産主義者のユダヤ人というのは、カール・マルクスであり、ロシア革命を主導したボルシェビキのユダヤ人革命家のことです。ドイツやハンガリーなどで革命を主導した革命家のことです。

共産主義黒書<ソ連篇>』によると、彼らの恐怖政治で2000万人のロシア人やウクライナ人が虐殺されているとあります。ナチスドイツがユダヤ人を虐殺したと言われていますが、ユダヤ人によると600万人がナチスのホロコーストで殺害されたということになっています。

これまで、ユダヤ人はホロコーストを持ち出して第二次世界大戦時のドイツを非難し続けていますが、ロシア革命でボルシェビキ政権が殺害したロシア人やウクライナ人について世界が大々的に非難したことはありません。

 

ホロコーストとユダヤ・ロビー


当然ですよね。世界のメディアを握っているのがユダヤ人だからです。かつて『シンドラーのリスト』という映画が、世界で、そして日本で、大々的に宣伝され、多くの人々がナチスのホロコーストに対して涙し、恐怖しました。

しかし、今日に至るまで、ボルシェビキ政権による恐怖政治、ウクライナにおけるホロドモールについてはほとんど誰も声をあげません。世界のメディアがこれを取り上げることはありません。

もし世界で誰かがホロドモールについて、あるいはソ連の秘密警察が行った恐怖政治を非難したならば、たちどころに、彼らは反ユダヤ主義と言って非難され、極右の極悪人の烙印を押されます。

 

ホロドモール


まして、ナチスのホロコーストに対して懐疑的な意見を一つでも提出したならば、世界のユダヤ・ロビーはたちどころに騒ぎ出し、彼らにネオナチの烙印を押し、反ユダヤ主義者として、刑務所に入れられます。これは民主国家と呼ばれる国で行われる全体主義の実像です。

学校では誰も教えてくれません。ロシア革命がどういった人間によって行われたのか、革命の構成員がどういったものだったのか。真実は隠され続けてきました。この事実は戦前の日本ではある程度知られていました。

ロシア革命を起こしたボルシェビキ革命家の多くはユダヤ人であり、それを支援したのが、現在、日本でも話題になっているフリーメイソンリーです。

日露戦争のさなか、ロシアではロシア第一革命が発生しました。この時、日本の明石元二郎はレーニンを説得してロシアに送り込むことに成功しています。日本は戦争を有利に進めるために、ロシア帝国と敵対するユダヤ勢力と結びついていました。この時代に、多くの工作活動をしています。

日本は日露戦争においてロスチャイルド系ジェイコブ・シフクーン・ロブ商会が500万ポンドの公債を引き受けており、この時代の日本はユダヤ社会に対して実際に恩を感じていたものと思われます。

ジェイコブ・シフ

お互いの利害が一致し、この時代の日本はユダヤ勢力と協力関係にありました。

ボルシェビキのユダヤ人

ロシア革命の結果、発足したボルシェビキ政権の最高指導部のメンバー10人を見てみましょう。

ウラジミール・レーニン




レフ・トロツキー




モイセイ・ウリツキー

 



グレゴリー・ソコリニコフ



レフ・カーメネフ



グリゴリー・ジノヴィエフ



ヤーコフ・スヴェルドロフ



フェリックス・ジェルジンスキー



ヨセフ・スターリン

アンドレイ・ブブノフ

この内、ヨセフ・スターリンとアンドレイ・ブブノフを除く全員がユダヤ人です。一部では、ジェルジンスキーはユダヤ人ではないという話もありますが、少なくともその妻は確実にユダヤ人です。

ユダヤ人は彼らだけに留まりません。ソ連時代の秘密警察は、ジェルジンスキーから続く、ヴャチェスラフ・メンジンスキーゲンリフ・ヤゴーダミハイル・ボロジンアレクサンドル・オルロフラヴレンチー・ベリヤがユダヤ人です。

左からヤゴーダ、メンジンスキー、ジェルジンスキー

この内、レーニンの死後、ユダヤ系共産主義者の多くをスターリンが粛清していきます。これに対してラヴレンチー・ベリヤがスターリンを暗殺したともいわれています。

ラヴレンチー・ベリヤ(1899 - 1953)

ソ連が発足し、スターリン時代になると、今度はアメリカに多数のユダヤ人、共産主義者がフランクリン・ルーズベルト政権に関与していきます。ルーズベルト政権下におけるニューディーラーはユダヤ系も含めて共産主義者が多かったと言われていますし、原爆開発が行われたマンハッタン計画のメンバーの多くがユダヤ人だったことは有名です。

私たちはこのような国家単位ではない人間の活動に言及しないように教育されています。そべて国家単位で物事を見るように条件付けされているのです。

 

 

 

 

共産主義革命とレーニン

ロシア革命までの流れを見るためにレーニンの経歴を簡単に見ていきましょう。

 

レーニン(1870 - 1924)の本姓はウリヤノフといい、レーニンは筆名です。

レーニンは現在のウリヤノフスクで生まれました。兄のアレクサンドルはアレクサンドル3世暗殺を計画したグループに参加し、1887年に絞首刑にされています。

レーニンはカザン大学在学時に学生運動に参加し、流刑をなります。その後、マルクスの『資本論』に出会い、マルクス主義に没頭していきます。

その後、社会民主党に所属し、スイスのロシア人亡命者のマルクス主義組織「労働解放団」に接近、プレハーノフアクセリロードと面会します。

 

ゲオルギー・プレハーノフ(1856 - 1918)

1897年には東シベリアに流刑になり、刑期が終わった1900年にスイスに亡命、その後ドイツに移住し、ロシア社会民主労働党の機関紙『イスクラ』を創刊、この時のメンバーがマルトフ、プレハーノフ、アクセリロード、ザスーリチでした。1901年より、レーニンの筆名を使用するようになりました。

機関紙『イスクラ』

1902年にロンドンに移住し、そこでトロツキーと出会います。1903年にロンドンで行われたロシア社会主義民主労働党第二回大会で、レーニンとマルトフが激しく対立することになりました。

 

ユーリー・マルトフ(1873 - 1923) ユダヤ人

ここでレーニンを中心とした勢力が「多数派」を意味するボルシェビキとなり、マルトフを中心とした勢力が「少数派」を意味するメンシェビキとなりました。

ロシア第一革命がおこると、レーニンは支援者からの資金では活動資金が不十分として、郵便局、列車、銀行などの強盗による資金集めを容認しました。1907年には、スターリンが指揮をとり、帝国銀行を強盗しました。

1914年に第一次世界大戦が勃発すると、帝国主義戦争から内乱へと導くように各国の社会主義者に呼びかけるようになります。1916年にチューリッヒに移っていたレーニンはジノヴィエフと共に、1917年、いわゆる封印列車でチューリッヒから、ドイツへ、そしてフェリーに乗り、スウェーデンからヘルシンキに向かい、ペトログラードに向かいました。

この時に、レーニンをサポートしたのが、ポーランド生まれのユダヤ人のヤーコフ・ガネツキーカール・ラデック、ベラルーシ生まれのユダヤ人アレクサンドル・パルヴスです。またドイツ外務省の仲介役となったのがドイツの共産主義者でユダヤ人のパウル・レヴィです。


カール・ラデック(1885 - 1939)

 

アレクサンドル・パルヴス(1867 - 1924)


ロシアに戻ったレーニンは、ジノヴィエフカーメネフが反対する中、武装蜂起による政権奪取を主張し、10月24日にペトログラードの主要機関を制圧したのちに、冬宮殿を包囲・制圧しロシア臨時政府を打倒します。

 

 

ロシア内戦の流れ


1918年3月に同盟国との間に講和条約のブレスト・リトフスク条約を締結しました。これと並行して当時ボルシェビキと連立を組んでいた社会革命党が政権から離脱します。

1919年のユダヤ人革命家クン・ベーラによってハンガリー革命が起こされ、ハンガリーに共産主義政権が樹立されました。1918年にはドイツでもユダヤ系共産主義者を中心にドイツ革命がおこり、レーニンはこの二つの革命を支援します。

クン・ベーラ(1886 - 1938)

1919年3月には国際共産主義組織、コミンテルンが創立され、初代議長にはジノヴィエフが就任しています。

 

 

 

 

共産主義とその後

現在の一部のユダヤ人ラビたちが指摘するように、共産主義革命を主導したのは無神論者のユダヤ人です。

革命後、ロシアではロシア正教会を始めとした教会やイスラム教のモスクが弾圧を加えられ、聖職者は処刑され、教会やモスクの資産は没収されています。

これがドイツを始めとした東ヨーロッパでの反ユダヤ主義の一つの切っ掛けとなりました。

レーニン以外の革命家についても今後紹介出来たらと思いますが、私たち日本人はロシア革命がユダヤ人革命家が主導して起こされたということを隠されてきました。

戦前にはコミンテルンフリーメイソンリーもユダヤ人が関わっているということが一部で叫ばれていましたが、戦後になって全く議論されなくなりました。繰り返しになりますが、アメリカのフランクリン・ルーズベルト政権下でも多くのユダヤ人、共産主義者が政策決定や重要な計画にかかわっています。

日本がアメリカに奇襲攻撃を行う切っ掛けとなったハル・ノートはユダヤ人のモーゲンソー財務長官の下で特別補佐官をしていたユダヤ人のハリー・ホワイトによって作成されましたが、ハリー・ホワイトは今日ソ連のスパイだったと認められています。

ハリー・ホワイト(1892 - 1948)

世界ではルーズベルト姓が先ほど名前を挙げたロシアの革命家カーメネフやハンガリーの革命家ラーコシ・マーチャーシュの本名ローゼンフェルトと起源が同じだということがほとんど知られていません。

ラーコシ・マーチャーシュ(1892 - 1971) ユダヤ人

フランクリン・ルーズベルト政権下に多数のユダヤ人や共産主義者が暗躍していたとしてもなんら不思議なことはありません。ルーズベルトの側近であるアルジャー・ヒスや商務長官ハリー・ホプキンスも今日ではソ連のスパイであるということがわかっています。

アルジャー・ヒス(1904 - 1996)

のちに、アメリカではマッカーシズムによる赤狩りで一時社会主義が急速に勢いを失いますが、アメリカにおける共産主義の一部は、のちにアクロバティックなことに新保守主義となって復活します。

新保守主義はユダヤ系のトロツキストであるアーヴィング・クリストルノーマン・ポドレツなどによって提唱された政治思想で、旧来の保守主義とは性格が全くことなる政治思想です。


トロツキズムから派生したネオコンは当然にグローバリズムを推進します

この新保守主義の暗躍により、アメリカは湾岸戦争やアフガン紛争、イラク戦争へと進んでいきます。現在のアメリカの言論で、ブッシュ親子がクリントン夫妻と同列に扱われることについて不思議に思う人がいるかもしれません。

 



ブッシュ親子は秘密結社スカル・アンド・ボーンズに所属し、アメリカのシオニストと密接に結びついているのです。

 

 

 

 

最後に

最後までお付き合いいただきありがとうございました。ご感想などありましたら、気軽にコメントください。

 

 

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