この記事の内容は、様々な資料をもとに書かれています。
内容の中には一部ないしは全体を通して、資料に基づく偏見や誤りがある可能性があります。また、筆者自身による偏見や誤りがある可能性も当然否定できません。
できる限り公平かつ事実に基づいて記事を書きたいと考えていますが、この点を踏まえていただけましたら幸いです。
今回のテーマはグラース家の人々です。小説家サリンジャーの作品にはグラース家の物語を扱った作品群があります。ここではグラース家の物語に関する考察を行いたいと思います。ただし、一部の作品については、あまり深くまで読み込んでいないものもあります。
それでは見ていきましょう。
作品
グラース家を扱った作品は6つあります。
『バナナフィッシュにうってつけの日』1948/1/31
『コネティカットのひょこひょこおじさん』1948/3/20
『小舟のほとりで』1949/4
『フラニーとゾーイー』1955/1/29
『大工よ、屋根の梁を高く上げよ シーモア序章』1955/11/19
『ハプワース16、1924』1965/6/19
作品全体を通して意味が難解です。この作品群の中で、最も重要な一つの事件は、グラース家の長男のシーモア・グラースが自殺する点にあります。
シーモア・グラースは一番最初に発表された『バナナフィッシュにうってつけの日』という作品において自殺します。
他のすべての作品がこの自殺を巡っての注釈とも言えるでしょう。自殺の謎は、これらの注釈によって読み解くことはできません。多くの読者は注釈の中から自殺の理由を探ろうとしますが、そこからは答えは導き出せないのです。
なぜなら、この作品は推理小説のような謎解きを前提として描かれていないからです。最後まで知らない人には読み解くことができない作品となっています。
小説の中に答えがないわけですから、小説を超えた世界から答えを探すしかないわけです。従って小説しか読まない人には最後まで彼の自殺の真意がわからない作品になっています。
彼が自殺した理由は実はタイトルに書かれています。シーモア・グラースが自殺した理由は文字通りそのままなのです。そしてこの奇怪なタイトルとその原因が、作品群からは読み解くことができないわけです。
パーフェクト・デイ
この作品の原題は"A Perfect Day for Bananafish"ですが、翻訳そのままに「バナナフィッシュにうってつけの日」となります。バナナフィッシュの意味が解らないわけですが、これは実際に意味が知られてはいけない言葉です。
これについては実際に作品に触れてみた方がよいでしょう。
バナナフィッシュにうってつけの日
バナナフィッシュにうってつけの日
登場人物のシーモア・グラースとミュリエル・グラースはビーチサイドのホテルに泊まっている幸せな夫婦です。話は娘と娘の夫を心配するミュエルの母親とミュエルの会話から始まります。
場面は変わって、ビーチでのシーモアと水着を着た少女のシビル・カーペンターとのやり取りに移ります。シーモアはシビルに一緒にバナナフィッシュを捕まえようと提案します。最後にシーモアはシビルにやさしくキスをして別れます。
別れた後、ホテルに戻るためにシーモアはエレベーターに乗りますが、そこに居合わせた女性に言いがかりをつけ罵倒します。
この後、シーモアは妻が眠る姿を見つめながら拳銃を自分のこめかみに向けて発砲します。
なぜ、シーモアは自殺したのでしょうか。答えはバナナフィッシュなのです。
『小舟のほとりで』は、シーモアの妹のブーブー(ベアトリス)の話になっています。ここでブーブーとその息子ライオネルとの親子のやり取りが展開します。この作品は反ユダヤ主義を扱ったものです。
もちろん、シーモアが自殺した理由はバナナフィッシュであり、これがユダヤ人であることが関係してきます。映画では、シーモアは普通の白人のように扱われていますが、本来の風貌は作者のサリンジャーの容姿に近いものになります。
リンク
『フラニーとゾーイー』以降の作品は、自殺した理由を読み解くための作品ではありません。より、彼らの世界を私たちに説明するための作品なのです。
シーモアの妹のフラニーや弟のゾーイーのある種の苦悩はシーモアの自殺の理由を説明するためのものにはなっていません。以降の作品は謎解きのためのピースが散りばめられたものではありません。
繰り返しになりますがシーモアがユダヤ人であることと、バナナフィッシュの話の時点で話は終わっています。従って、この二つの接点を読み解く必要がありますが、この接点を読み解くためにリンクさせるべき対象は、サリンジャーの作品の中にはないのです。
冒頭においてシーモアの妻と彼女の母親が、彼女たちの心配をしているというのも無関係ではないでしょう。
この日が「バナナフィッシュにうってつけの日」でしたが、簡単に言うと彼はそれを選択できなかったわけです。自殺した理由は罪悪感と言っていいでしょう。もしかすると、もう少し複雑な心理があるかもしれませんが、私は当事者ではないので細かな心理まではわかりません。「バナナフィッシュにうってつけの日」だったわけですが、シーモアはシビル・カーペンターを巻き込めなかったわけです。
バナナフィッシュにうってつけの日とは、つまり、今日現在、世界を騒がしている一連のことです。子供たちにたいして、彼らが行っていることです。それ以外には何もありません。
これはサリンジャーによる告白の書であり、サリンジャーはこの告白の意味を人々が作品の中から読み解けるとは思って書いてはいません。読み解くことができないからこそ、むしろ書くことができるわけです。
バナナフィッシュ
フラニーとゾーイーなどの作品に共感を覚える日本人もいるかもしれませんが、この作品における彼らの演じている役割はより複雑です。重要なのはグラース家のほかの兄弟もまたユダヤ人であるからこそ、これらの作品における彼らの心理もまた、更に意味を帯びてくるわけです。
フラニー
私は基本的には小説を読みませんが、おそらくだからこそ、この作品の意味が読み解けるのだと思います。これらの作品は非常に複雑に見えますが、実際は非常にシンプルです。
そもそも作品から意味が読み解けるようにはできていないわけですから当然です。その意味が分かれば、何も複雑さなどないシンプルな作品として読むことができるでしょう。
もう少し言いますと、私は厳密にバナナフィッシュが意味する行いがどういったものなのかまでは知りません。厳密ではないにせよ、現在世界を騒がしていることと小さくない一致点を持っているということは解るわけです。
シーモアによるバナナフィッシュの説明と、それは一致しているからです。
#pedogate
最後に
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